魔力配達人
風は吹いているのに、村は息をしていなかった。
乾いた空気が、喉の奥に砂を残す。
音はある。足音も、声も、鍋のぶつかる音も。
それでも、何かが止まったままだった。
街道から外れた村だ。
木柵は古く、門番の姿もない。
……引き返すか。
来た道を戻ろうと踵を返した瞬間、
「……来てくれ」
門の前で、誰かが僕を呼んだ。
振り返ると、土に汚れた手と、赤く充血した目があった。
「息子が……三日、熱が下がらない。医者も呼んだが……」
言葉の続きを待つ前に、空気の匂いが変わる。
焦げた草。鉄錆。ほんのわずかだが、確かに混じっている。
――戦場の匂い。
僕は頷いた。
「案内して」
家は村の中央にあった。
土壁はひび割れ、床板の下に熱がこもっている。
布団の上で、少年が身を丸めていた。
額から汗が流れ、呼吸は浅い。
膝をついて、そっと手首に触れる。
皮膚の下で、淡い青が揺れている。
水のように静かな魔力だ。
だが、その奥に――
赤い粒子が絡みついていた。
荒い。熱を帯び、拍ごとに青を弾いている。
混ざり合わない二つの色が、衝突を繰り返していた。
「勝手なことは許さん」
背後から低い声。
革鎧の音が近い。調査隊だろう。
「素人の介入で、悪化した例は多い。医師にも診せている」
「もう動いている」
僕は視線を外さずに言った。
「放っておけば、青が削れる」
「青? 何の話だ」
「見えないなら、少しだけ黙っていて」
男は言葉を失った。
窓を開け、桶の水を替え、床板の下に木片を差し込む。
熱の逃げ道を作る。
「声を絶やさないで」
家族に告げる。
「名前を呼んで。ここにいるって、伝えて」
母親が震えながら、少年の名を呼ぶ。
青が、かすかに応じる。
少年が薄く目を開けた。
「……こわい」
「うん」
僕は小さく息を吸う。
「怖さは僕がもらう。
君は、呼吸だけして」
腰の封印具に手をかける。
まだ開けない。角度と距離を測る。
青が集中しているのは左胸。
何拍かで、赤の干渉が弱まる瞬間がある。
赤の魔力は、戦場の匂いを持っていた。
怒り。恐怖。絶望。
誰かが置いていった感情の残り火。
「治すんじゃないのか」
後ろで誰かが言う。
「治さない」
僕は答える。
「余ったものを、引き取るだけだ」
少年の呼吸が乱れる。
赤が強く反発する。
父親が、少年の名を叫ぶ。
赤が跳ねた。
胸の奥が、同じ速さで鳴る。
――静まれ、僕。
……ここだ。
一拍、遅れてから、封印具の栓を針穴ほど開く。
空気が吸われ、部屋の熱が一枚、剥がれた。
赤が糸のように立ち上がる。
青に絡みつきながら、抵抗する。
「……っ!」
少年が声を上げる。
家族の呼ぶ声が重なる。
青が踏みとどまる。
吸って。
吐いて。
吐く拍で、赤を引く。
手のひらに、熱が走る。
緑の光が、赤を絡め取る。
体の奥で何かが軋む。
――痛い。
だが、止めない。
焦げた匂いが薄れていく。
熱が、ゆっくりと下がる。
最後に、赤が暴れた。
戦場の残り火。
誰かの叫び。
それもすべて、瓶へ。
封印具の底で、赤が沈んだ。
沈黙。
少年の胸が、大きく上下する。
僕は確かめるように言った。
「……青が、きれいに呼吸してる」
母親が声を殺して泣いた。
父親は唇を噛みしめている。
誰かが深く息を吐く。
◇ ◇ ◇
夜が明ける。
村の空気は変わっていた。
風が通り、乾きが消えている。
少年は目を開け、僕を探した。
「……魔力、持っていった人だ」
「そうだね。持っていくよ。いいかな」
「もう要らないから、いいよ!」
笑い声が広がる。
調査隊の男は、何も言わず剣から手を離した。
記録係は帳面を閉じたまま、こちらを見ていた。
誰も、名前を聞かなかった。
◇ ◇ ◇
村を出る。
背後で、子どもの笑い声が弾ける。
封印具の中を確かめる。
赤い光が、静かに沈んでいる。
風が吹く。
封印具の中で、瓶が鳴る。
コトン。
瓶は鳴った。
それだけが、残った。




