第6話 ① 帰還
「本当、無事で良かったよ、2人とも」
千鶴さんの声がスマホのスピーカー越しに響く。
「すみません、心配かけてしまって」
私は千鶴さんにそう答えた。
「いいよ、照子ちゃん。謝らないで。それにイザミに会ったんでしょ。相手が引いてくれたとはいえ、2人とも、本当に無事で良かった」
千鶴さんの声が若干震えているように聞こえる。
相当、心配してくれているのだろう。
「イザミが何かするとは思っていましたけど、まさかタタリ神じゃなくて巫女に私たちを襲わせてくるなんて驚きましたよ」
私の隣にいる葵ちゃんが千鶴さんに話しかける。
「私や葵も知らないノエルと名乗る巫女か。しかも自ら持っていた草薙剣を正真正銘の真打ちだと言い張ったと」
「あながち嘘ではないと思います。あの圧倒的な魔力の威圧感からは本当に真打ちだと思えるほとでしたから」
「葵がそこまで言わせるほどか。それはすごく興味深いね」
「それに相手は白昼に東京のど真ん中で人払いを起こしたんです。大きな騒ぎになっていませんか?」
「マスコミはまだそこまで騒いでいないね。まあ、その内、手は打つでしょ」
「すぐにそっちに戻るので、詳しい話は神宮で」
「それもそうだね」
「すみません。手はず通り神宮までお願いします」
葵ちゃんが運転手さんに声をかける。
運転手さんは快諾したのか軽く会釈する。
そして、車が私たちを神宮に送るためにゆっくりと動き出す。
私たちが今いる場所。
それは真っ黒なワゴン車の中だ。
さらに、その車が止まっている場所はなんと皇居の中。
なんで、私たちがこんなところにいるかというと。
イザミが去ったあと、スマホなどの電波障害がなくなり、私と葵ちゃんはすぐに千鶴さんと警察に連絡。
その後、街でよく見かける制服姿の警察官の人たちではなく、真っ黒な背広姿の警察官の人たちだった。
彼らは表情を一切動かさず、目の奥から感じ取れる眼差しはどこか冷たいものだった。
彼らの名前は公安警察。
葵ちゃんが言うには、日本の中でも数少ない、巫女やタタリ神の存在を知っている人たちでもあるそうだ。
公安警察、日本国内のテロ対策や治安維持以外にも、タタリ神に関する事件などの超常的な事件にも関わっているらしい。
彼らはすぐに人払いがされている東京電波塔と私達がいたお寺などの周辺を封鎖。
私と葵ちゃんは軽い事情聴取を受けた後、身の安全の保護のために公安警察に皇居の中に入ることになった。
特殊な結界が張られている皇居。
その結界は例え神であるイザミでも手出しが出せない。
人払いが起きたすぐに、私と葵ちゃんは避難するために向かっていた皇居。
ノエルちゃんの襲撃で行く手を阻まれたけど、なんとか皇居にたどり着くことができた。
皇居にたどり着くと、私たちはなんと宮内庁に通される。
葵ちゃんから“神衣の巫女”は一般の人が入ることができない場所に入れるとは聞いていたけど、まさか皇居の宮内庁にも入れるなんて。
私は内心、驚愕を隠せない。
だけど、私たち“神衣の巫女”の存在は日本政府にとってそれほど重要な存在なのだろう。
そして、その“神衣の巫女”の1人が私なんだと感じていた。
宮内庁で私と葵ちゃんは施設内で待機していた宮内庁病院の看護師さんたちに体に異常はないか検査や治療を受けることに。
幸い、葵ちゃんには何もなく、私に関しても草薙剣がかすった切り傷後だけで大事に至らなかった。
私たちは治療を受けた後、すぐに皇居から神宮に戻ることに。
宮内庁の人たちは私達が留まっても問題ないと言ってくれたのだけど、これ以上迷惑をかけられないことと東京での人払いに世間の目が向いている今日中に戻れば怪しまれずに済むという理由もあった。
だけど、それ以上に私たちが皇居に留まれない理由がもう1つ。
それはノエルちゃんが起こした“人払い”だ。
ノエルちゃんが人払いをした場所は東京電波塔周辺。
あそこの近くには数多くの大使館が立ち並んでいる。
大使館は、言わばその国の領土のようなところだ。
もしその大使館が何者かに無断で侵入、攻撃されるようなことがあれば国際問題に発展しかねない。
実際、日本政府や大使館側はそうならないために大使館周辺の治安や変化に関して常に警戒をしてきた。
もちろん日本に駐在する大使館関係者の人たちは、日本にいる“神衣の巫女”や“タタリ神”の存在を知っていて、日本の事情も十分に理解をしてくれているそうだ。
タタリ神討伐のための人払いの発生は日本の外務省を通じて伝えられるので基本的には問題ない。
だけど、今回ノエルちゃんが起こした人払いは事前予告無しのもの。
ただでさえ通常とは違う事前予告なしでの人払いの上に、草薙剣の竜巻やイザミによる雷の発生、度重なる異常事態に大使館側を動揺させるには十分だった。
さらに葵ちゃんが言うには、あの事件の渦中にいた私と葵ちゃんが皇居内に留まり続けた場合、大使館側が“不自然な皇居の動き”から異常を察知し、「日本側が何かを隠している」と要らぬ誤解を与えてしまう。
そうなってしまえば、日本が外交的に不利な立場になりかねないと。
だからこそ、私たちは今日中に皇居を出て神宮に戻らないといけなかった。
私達が今日中に神宮に戻るということが決めると、公安警察の人たちはすぐに私達を神宮に送り届けるために車を用意。
その用意してくれた車こそが真っ黒なワゴン車だった。
もう時刻は19時を過ぎていて、外はすっかり真っ暗。
私たちを乗せた黒塗りのワゴン車は煌びやかな街灯が照らし出す東京の街を駆けていく。
さらに車の前後には公安警察が乗る黒塗りのセダンが、どこから襲撃されてもいいように警護と囮役を兼ねている。
もちろん全車とも装甲は防弾仕様だ。
私は揺れる車内で窓の外を流れる景色を眺めていた。
正直言うと、今日中に神宮に戻れることに内心ほっとしている。
だけど、まだ安心できない。
イザミが「見逃す」という言葉をどこまで信用していいのだろう。
なんとか無事に帰れればいいんだけど。
私がそう考えていると、自分が気づかない内に膝の上で掌をぎゅっと握りしめていることに気がつく。
体が緊張しているのだろう。
体がこうなるのも無理もない。
今日は本当に疲れた。
この日を心待ちすぎるあまり眠れていなかった状態で東京に向かい、買い物と観光中にノエルちゃんの襲撃を受けて、あのイザミが私達の前に現れたのだ。
掴みどころのない異様な雰囲気を纏ったイザミ。
イザミの笑顔には人とは違うなんとも言えないおぞましさのようなものを感じた。
イザミが私に向かって言った「お姉さん」という言葉がすごく引っかかる。
あの時のイザミの表情はすごく親しい人に向けるようなものだったと思う。
私は1度イザミに会った?
私はそう物思いにふけていると、ふと葵ちゃんの姿が目に入る。
葵ちゃんも私と同じように車の窓からの景色を見ていた。
お互い話さない状況によって、車の走行音だけが低く響き、車内は静寂に包まれていた。
き、気まずい。
どうしよう、空気が重いよ。
このまま黙っているのも良くない。
そうだ。何か、何か葵ちゃんに話しかけよう。
私は意を決して口を開く。
「葵ちゃん。それにしても、びっくりだよね。警察の人たち、私たちのために警護の車を2台も用意してくれるなんて」
私は葵ちゃんに若干作った笑顔を向けながら話しかける。
私が話しかけたことに葵ちゃんは少し驚いたような表情になるが、口元に小さな笑みになり口を開く。
「まあ当然の処置ね。バスに乗って帰るにも一般の人を巻き込みかねないし。警護してくれるのはありがたいわ」
だけど、この葵ちゃんの声には確かな緊張が混じってるのを私は聞き逃さない。
葵ちゃんは続けて話す。
「でも欲を言うともっとほしいわね。一応、私の魔力索敵で周囲の状況を見てはいるけど。イザミが手を出さないと言っても、それを鵜呑みにはできないし」
冷静に現状を話す葵ちゃんの言葉に私は少し息を飲んでしまう。
警護の車2台でも足りないというのは相当シビアな状況に思えたからだ。
「確かに油断は禁物だよね。周囲の様子はどう?」
私は自分の緊張を葵ちゃんに伝わらないように気さくに振る舞いながら葵ちゃんに話を合わせる。
「今のところは問題ないわね。照子は安心して休んでおいて。何かあったらすぐに伝えるから」
葵ちゃんのこの言葉に私は少し息を吐いてしまう。
気づくと体の緊張が解けてしまっていた。
「じゃあお言葉に甘えようかな。でも葵ちゃんは疲れていないの?」
「大丈夫。照子に手や魔力を回復してくれたから。むしろ今が元気なくらいよ」
「それなら良かった」
私は両手を上に向けながら、背筋を伸ばす。
ふとあることを思い出す。
「でも、ひなたと千鶴さんのお土産持って帰れなかったのは残念だったね」
「そうね。でも仕方ないと思うわ。公安が電波塔のお土産まで全部持って帰ってしまったし」
「人払いの形跡を残さないためっていうのは分かるんだけど」
「まあ、形跡が残ってしまう以上にお土産の中にイザミたちが残した呪詛のようなものがあったらそれこそマズイし。それに買った服までとられなかっただけでも御の字よ」
「そうだよね。でもなあ——、お土産持って帰りたかったなあ——」
「そんなこと言ったら、私も甘いものを食べたかったわよ。それにあれから何も食べてないから。今すごくお腹減ってる。これなら宮内庁で何か食べれば良かった」
「葵ちゃん……。まあ、そうだよね。ごめん、わがまま言っちゃってた」
「ふふふ、ごめんなさい。私も照子に意地悪しちゃったわ」
「もうそれならひどいよ、葵ちゃん」
私と葵ちゃんは少しだけど微笑み合う。
そうだ、私だけじゃない。葵ちゃんも嫌な思いをしているんだ。
私は葵ちゃんのおかげで少し冷静になれた。
とはいえ、何か解決策を考えないと。
私がそう思っているとふと頭にある考えが思い浮かぶ。
「よし、決めた。絶対もう一度東京電波塔に行く。そのときはひなたと千鶴さんと一緒に」
「それもそうね。私たちだけだったし。次こそ全員で行かないとね」
「でもそうなら、私たちでなんとかして世界をイザミから守らないと。でも私達にできるかしら?」
「大丈夫だよ、私と葵ちゃんなら」
「私と照子が?」
葵ちゃんは私に試すように問いかける。
「そうだよ」
「ふふふ、なら覚悟を決めないとね。お互い頑張りましょう」
「うん」
私と葵ちゃんはそう言った後、お互いの右手でグータッチする。
「それと……照子。ありがとうね」
「っ!? えっ、あ、ああ……ど、どういたしまして」
私は葵ちゃんが口にした突然のお礼に戸惑い、思わず言葉がつかえてしまう。
「ふふっ……ははは。ごめんごめん、急にこんなこと言われたら驚くよね」
葵ちゃんが小さく吹き出す。でもその笑顔には、さっきまで張りつめていた緊張がほんの少し和らいでいるのが見て取れた。
「でも、照子。イザミが私を責めている時に、照子が言い返してくれたでしょう? あの時、照子が言ってくれた言葉。私、すごく嬉しかったの。だから、どうしてもお礼を言いたくて」
「ああ、あの時は思わず咄嗟に叫んじゃったというか。でも、いてもたってもいられなくて……。葵ちゃんは全然悪くないのに」
「そうね。あの大震災を起こしたイザミが悪い。でも私は姉さんを守れなかったのも事実。イザミはそんな私の罪悪感を利用した」
「イザミは葵ちゃんがあかねさんを大切にしている心をもてあそんだ。あれは本当に許せないよ。葵ちゃんはイザミの言葉なんかに気にしなくていいんだよ」
「ありがとう、照子。確かにイザミが間違っているわ。それでも、私はたとえイザミが悪くても私自身の弱さを許せない気持ちもあるの」
「……葵ちゃん」
「でもね、照子がイザミに言い返してくれた。あの時の照子は私にとって本当に太陽みたいだった」
「そんな大袈裟だよ」
「そんなことない。照子がいなかったら私は言われっぱなしだったと思う。照子のおかげだよ」
「そうかな?」
「そうよ、自信を持って、照子。一緒にイザミを倒すんでしょ」
「も——、ズルいこと言わないでよ」
「ふふふ。でも、照子、約束して。自分の命に代えてでもイザミを止めようなんて絶対にしないで」
「……」
私はそう口にする葵ちゃんの真剣な眼差しに対して黙り込んでしまう。
「私、もう2度と姉さんのように大切な人を失いたくないの。だから……お願い」
「うっ、うん、分かった。約束する」
「ありがとう、照子」
葵ちゃんはそう言いながら微笑んだ。
「それと話は変わるんだけど、本当に大丈夫なの、照子?」
「うん? 何が?」
「魔力のこと。戦闘で大文字や草薙剣の魔力供給に私の手や私の魔力まで回復させたのよ。普通ありえないことだわ。何か具合が悪くない?」
「どうだろう。特段変わったことはないよ。むしろ元気なくらいだよ」
「……それならいいけど、でも全く何のリスクがないのが気になるわ。火傷が一瞬で治るなんて。何か照子の力には何らかのカラクリがあるんでしょうね。例えば、魔力ではない代わりの何かを動力源にするとか」
「魔力じゃない何か、か?」
「まあ、あくまで仮説だけどね。今ここで考えても結論は出ないし。詳しいことは神宮に戻ってからね」
「それもそうだね」
私たちは神宮に着くまで他愛のない話をした。
神宮に着くと、もう時計は20時過ぎを示していた。
各停留所に止まっていく高速バスとは違い、最短コースで神宮に着いたため、思いの外、早かった。
車は神宮の鳥居前に着く。
運転手さんになってくれた公安の刑事さんにお礼を言った後、私たちはすぐに神宮の社務所に向かう。
鳥居と楼門を通っていき、社務所の前に立つ。
私と葵ちゃんが社務所の玄関を開けた瞬間。
「2人とも、おかえり!!」
突然、千鶴さんが私たちの前に飛び出し、勢いそのままに私と葵ちゃんを抱きしめたのだ。




