6.計画
フィードがいなくなってから季節が巡り、3年の時が経った。モニカは15歳になり、ジンは13歳、私は8歳になる。孤児院ではこの3年の間に2人が病気で亡くなり、新たに1人の子どもが増えた。私たちはあれからほとんど変わらない日々を送っている。
フィードがいなくなったあと、デフィオが「売れる子どもがいなくなった」とぼやいていた。どうやらこの世界では年々子どもが生まれる数が減っており、いわゆる少子化傾向にあるらしい。それは貴族だろうと平民だろうと一緒で、どの界隈も人が足りないんだと新しく入った子から聞いた。
確かに、この孤児院でも昔は毎年のように人が売られていたわけだが、ここ最近はそもそも成人を迎える人数自体が少ないため売る機会もやってこない。フィードがいなくなってから次に売られるはずだった子が病気で亡くなったこともあるだろうが、売る人間がいないというのはデフィオにとってはかなり大きな痛手のようだった。おそらく実りの季節に子どもを売ることで手に入れていたお金は、あいつが眠りの季節で楽に生活をするために使われていたんだと思う。
金が手に入らなくなった腹いせなのか、たまに渡されていた野菜くずが手に入らなくなり、太陽神の日である休息日に痛めつけられる頻度が上がった。昔はもう少しまともな肌の色をしていたと思うが、今や服に隠れるような場所は殴られて黒くなった皮膚か膿んだままになかなか治らない傷で埋め尽くされている。
ずっと痛みがあるのが普通になってしまったので、痛いのか痛くないのかも分からなくなってきた。多分痛覚的なものがいかれてしまったんだと思う。どこかで、痛みは人間が壊れないまま生きるために必要なのだと聞いたような気がするが、正直こんな生活をしていたら痛みを感じられないほうが良い。少し人間をやめたような感覚になったが、深くは考えないことにした。
「レクタス」
今日は孤児院の裏手にある畑を手入れする日だった。そこそこ広い畑ではあるが子どもの人数が減ったことで労働力が大幅減になってしまったため、ここは私ともう一人の男の子、レクタスが担当している。レクタスはフィードから名付けをされた子どもで、昔はほとんど関わることがなかったがフィードがいなくなってからたまに私たちに話しかけるようになった。
「何?」
「こっちのほうのお芋はひょろひょろ」
「僕のほうもちっちゃいのばっかだよ」
基本的に孤児院の生活では全員が仲良しこよしではいられないので、ある程度仲間のように過ごせる数人で日々の時間を過ごすことが多い。そのためレクタスが話しかけてきたときは警戒もしたし緊張もしたが、どうやらいたって普通の男の子だった。
元々フィードがいた部屋の子で彼と一緒に過ごしていたこともあるし、兄のように慕っていた人間がいなくなったのは悲しいのかもしれない。そう思うと、私のほうが年齢的には幼いのだが優しくしないと、という感情が浮かんでくる。
「これじゃあ今日のスープも具なしスープだね」
「リアは狩りが得意なんでしょ?フィード兄さんが言ってたよ」
「得意というか、普通」
いつぞやかの記憶がほんのりと思い返されて、胸がチクリと痛んだ。忘れればいいのにどうしてか心にずっしりと重く残っているのはなぜだろうか。私はいつかフィードが言った「ジンがかわいそう」という言葉を理解できないまま、年を刻んでいる。
「そういえばさ、もう少しでモニカは成人だよね」
「考えたくないけど、そうだね」
「フィード兄さんにあげたあの巾着みたいなやつ、モニカにも用意するの?」
あのお守り袋のことだろうか。あれは離れ離れになってしまうフィードを守ってくれるようお祈りをしたものだから、モニカに渡すつもりはない。モニカが売られる前に、私とジンと一緒にここを出ていくのだから。
とはいえ、脱走することを他人に話しても碌なことになるわけがない。少し考えるふりをした後、「まだ決められてないよ」と首を振った。
聞いておいて「ふーん」と興味なさそうに返事をしたレクサスに、何とも言えない気分になる。いやいや、この子はフィードの名付けた子だ。孤児院で育てば情緒の成長なんて見込めないので、こんな態度でいても仕方がない。
しばらくするとレクサスは念入りに周囲を見回し始め、緊張した声色でこそこそと話しかけてきた。
「…ねえ、僕さ、成人する前にはここを出ていこうと思ってるんだ。僕はフィード兄さんみたいに売られたくない。この孤児院で生きていけたんだから、きっと外の世界でも生きていけると思うんだよ」
「どうだろうね。この孤児院にいればさ、たった一日の暴力を我慢すれば毎日の食事と静かな睡眠が手に入るんだよ。結構贅沢だと思う」
「リアはおかしいよ!君だって既にもう売られることが決まってるのに、嫌じゃないの?」
「分かんない」
“おかしい”という言葉に、心臓がぎゅっと締め付けられた。確かに私はどこかがおかしいのかもしれない。この孤児院で記憶を取り戻して、幼い体に尋常ではないほどの傷を負って感覚もなくなったし、おかしくなってしまったのかもしれない。
それでも私は、モニカとジンがいればいいし、それ以外に欲しいものはない。ただこの二人と一緒に過ごせる未来が欲しいだけだ。
「…リアは、ここから逃げようとしてるんじゃないの?」
「どうして?」
「フィード兄さんが言ってた。俺は断ったけどもしお前が必要ならリアと話せって。この話をリアとすれば、お前は助かるんだって」
名付けをした、された子どもは特別な関係だ。この孤児院の中で、無条件に信頼できる関係になるものだし、お互いを大切に思いながら生きている。私だって名付けをしてくれたジンを家族のように思っていて、ジンも私を大切にしてくれているだろう。確かに私が先にいなくなる存在で、孤児院脱出計画の話を聞いていれば、いざというときにジンが助かるよう情報を渡していたように思う。フィードにとっては、レクサスがそういう存在だっただけだ。
「レクサス、あなたが聞いたことは秘密にしておいてほしいの。私たちは、モニカが売られる前にここを出る。その時にあなたが生きていれば一緒に連れていけるから、それまでは黙っていて。準備は私たちで進めるから」
レクサスの手を取って握りしめ、目を見つめてお願いをした。あなたがフィードにとって大切な家族なのであれば、フィードを大切に想う私はレクサスのことも大切にしたい。負担が増えることになっても、ジンならきっと賛成してくれるんじゃないかと思うし。
「分かった。僕は生き延びるんだ、何をしても絶対に」
そう呟いたレクサスの眼には、光が無いように見えた。
その晩、私とジンのいる部屋にモニカを呼んで、今日のことを話した。レクサスに脱出の話がバレていること、レクサスを一緒に連れていくことにしたことを、二人に説明する。モニカは穏やかに笑いながら賛成してくれたが、ジンは少し考えるような様子だった。予想とは違う様子に少し困惑しつつ、ジンに手を合わせる。
「ジン、ごめん。勝手なことして」
「リアを責めないでよ。私もきっと同じようなことをしたから」
「いや、責めるわけじゃない。ただ一個気になることがあるんだ」
「気になることって?」
「今度話す」
言葉少なにそれだけ答えたジンは、「そういえば」とモニカのほうを見た。
「今日頼んでた干し肉、取ってこれたか?」
「うん、大丈夫。今日は季節の変わり目の倉庫整理の日だったし、私一人だけでやってたから」
「よかった。干し肉なら日持ちするから、そのまま前に作った袋の中に入れておこう。俺は今日作った弓を入れておくから」
フィードがいなくなってから、私たちは少しずつ少しずつ、孤児院の子には気づかれないように自分たちの脱出に向けての準備を整えていた。さすがに子ども3人で逃げたところで、食料や必要な道具がなければすぐに野垂れ死に、獣のえさになるだろうということは分かっている。そうはならないように、逃げるために持っていく物資をそれぞれの仕事の合間に手に入れ、隠しているのだ。
ただし、この孤児院にある物自体が多くはないので、何かがなくなったことを他の子に気がつかれないように本当に少しずつ計画を進めていた。
レクサスを連れ出すことになったので食料を追加で一人分用意する必要があるが、モニカが売られるまであと季節二つ分しかないと思うと、ゆっくりとはしていられない。最悪狩りのための弓が手に入ったので食料が不足していてもなんとかなるのではないかという考えもあるが、子どもの力だけで生きていくには準備しすぎても悪いことにはならないだろう。
三人で話し合いをしながら、残りは何が足りないのかを口にしていった。
「とにかくレクサスの分の食べ物を用意しないといけないよね」
「いや、レクサスの分は本人に用意させたほうがいいと思う」
思いもよらぬジンの言葉に思わず首を傾げた。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったので、正直きょとんという感じである。それに、あの優しいジンがこんなに人を拒絶するような行動をすることはあまり見ない。さっきといい、今といい、レクサスへの陣の反応は私の予想できないものであった。
「何で?フィードが残した子なんだから、助けてあげたほうがいいんじゃないの?」
「レクサスはリアより年が上だろ。それくらい自分で何とかするべきだ」
「でも助けてあげないと、一緒に逃げたあとに気まずくならない?」
「レクサスは一人で脱走しようとしてたんだから、俺たちが気を使う必要はないだろ」
モニカと代わる代わるジンに質問を投げかけるも、それは全てバッサリと拒否をされてしまって少し悲しい気持ちになる。
「ジン、レクサスのこと好きじゃない?ごめんね、ジンに聞いてから話せばよかった」
「違う、リアが気にすることじゃない」
「でも…」
「俺が明日、レクサスがどう考えてるのか話す。とりあえずレクサスのことはいいから、それ以外の所で何が足りてないのか考えようぜ」
な?と笑いかけてきたジンには今一つ納得できないが、ジンは私にとってマイナスになるようなことは絶対にしない。今まで過ごしてきた時間の中で、私は助けられてばっかりだったからそれだけは信用できる。
モニカも若干釈然としていない様子ではあったが、この三人組の中で一番しっかりと物を考えられているのはジンなので、ジンの話すことに従うことにした。