4.回復薬
「モニカ…」
フィオナが来てからしばらく日が経った。
ほとんどの子どもたちの火傷は治ってきたが、重度の火傷によって水ぶくれができて皮膚がめくれ、それが原因で高い熱が出て治らない子どもが一部いる。モニカもその一人だ。
この不衛生で物資すらない環境で皮膚が広範囲でめくれてしまうと、こちらでできることは何もない。治療することもできず、ただただ本人の治癒力に任せることしかできない。
モニカは顔を苦痛に歪ませ、たまに呻くように小さな声を出して、一日を過ごしている。たまに目を覚ます時もあるが、ご飯を食べられたり話ができる状態ではなく、痛みが落ち着いている時にぼんやりと意識を取り戻すだけだ。
日に日に衰弱していくモニカを見ていると、私の心もどんどんと死んでいくようだった。
どうにかしないと、モニカはここからいなくなってしまう。嫌だ。何とかしなければ。
そんなことを考えていても、日々の労働で疲れ果ててしまう私は何か解決策を見出すこともできない。
さらに数日が経って、重度の火傷を負った子の中で一番幼い子が亡くなった。その次の日に、また別の子が亡くなった。少し気弱だけど、毎日一生懸命に働いてくれた子。こんな地獄の中で、少しでも可愛くいたいと言って毎日体を拭いて髪を整えていた子。
ごめんなさい。私にもっと力があれば。知識があれば。高度な技術を持つ別の世界から転生してきたところで、その知識を使えなければ何も意味ないじゃないか。
今だって、昔の私のように苦しんでる子がいるのに、家族のように支えることすらできない。
不甲斐なさに、吐きそうだった。
「リア…、今日はご飯食べろよ」
「もうちょっとしたら食べるよ」
「そう言って昨日も食べなかっただろ?フィードが、顔が青いって心配してた」
隣に座るジンは、心配そうな顔で私を見る。私なんかを心配するより、モニカの心配をしてあげてほしい。私は大丈夫だから。
「あのさ、もし…もしもモニカがいなくなっても、俺たちは、そういう運命なんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが弾けたような気がした。
「運命って、何?どこぞのバカげた貴族の、アホみたいな魔術で失敗されて、何もない孤児院のせいで死ぬのが運命?今まで死んだ子も、モニカも、そんなクソみたいな運命を定められるほど悪いことした?昨日死んだ子は、2人ともこの孤児院で育った子だよね。ずっとずっと、デフィオの理不尽に耐えてきて、その結果がこれだよ?モニカの両親が流行り病で死んだことだって運命だって言うの?」
「落ち着けよリア、お前、何か怖い。それに、目の色…いつもの黒じゃなくなってる。何だよ、それ」
ジンは少し体を震わせて、私から距離をとった。目に映るジンの顔に、恐怖の感情が浮かんでいる。
思わず、窓の側にかけていって、自分の瞳をガラスに映した。
何、これ…。何なの。私の目が金色になってる。気持ち悪い。
荒くなっていた呼吸が次第に制御できなくなり、私は息を吸うことができないような状態になった。床にへたり込んだ状態で、ぜえぜえと肩を上下させて整えようとするが、うまくいかない。
苦しい。手が震える。額に浮かんだ汗が、ぽたりと落ちて木の上に染みを作った。
「リア、リア。ごめん。もう大丈夫だ、怖くないから。落ち着け。俺と一緒に息、できるか」
いつの間にか側に近づいていたらしいジンが、ゆっくりと私を抱きしめる。先ほど拒絶をされたばかりで、びくりと体が震えた。
「ごめんな、大丈夫」
そう言いながら私を抱く手に力を込めたジンは、私に聞かせるように大きく呼吸をした。「俺に合わせて、息を整えるんだ」と言ったジンにもたれかかり、全力疾走の後のように動く肺を何とか抑えた。しばらくの間同じように呼吸をしていると、次第に苦しさは薄れて手の震えもなくなる。
「落ち着いたか?」
静かにそう聞いてきたジンに、こくりと頷いた。
「リア。俺、どうにかできないか考えるよ。お前を悲しませたいわけじゃないんだ」
優しく、一定のリズムで背を叩かれて思わず瞼が落ちる。私のそんな気配を察したのか、少し笑いながら「寝ていいぞ」というジンの言葉を聞いて、私は意識を手放した。
次の日。
起きた時には既にジンが孤児院からいなくなっていた。
「フィード、フィード!」
「どうしたんだ?」
「ねえ、ジンは!?いつもこんなに早く起きることなんてないのに、ベッドにいないの。知らない?」
「ん、詳しく聞いてないけど、心配せずに待ってろって伝えてくれって」
フィードもジンがどこにいるのかは分からないらしい。いつも私の側にいて、心配してくれていた人がいなくなったことで、体がぶるりと震える。
それに気づいたフィードが、私の頭を何度か優しく叩いた。
「大丈夫だよ、ジンは昔からうまくやるやつだから」
「今日もジンは帰ってこなかったよ」
「今日は狩りに行ったからスープに小さいお肉が入ってたんだ」
「今日は、また一人、子どもが死んだよ。火傷してからまだ生きててくれるの、モニカだけになっちゃったよ。もうお墓なんて作りたくない」
「何で二人とも帰ってこないの」
毎晩毎晩、モニカのいるベッドの横に座り、モニカの手を握って話をする。モニカが言葉を返してくれるわけではなく、ただ私が話すだけの時間だった。弱弱しくなっていくモニカの脈拍に、涙が止まらなかった。
そこからさらに数日が経過し、「ぶっ倒れるだろ」と私が無理やりフィードにご飯を食べさせられた朝、ようやく聞きたかった人の声が聞こえた。
「リア、おはよう」
「ジン、何、それ」
久しぶりに聞いた声に安心した瞬間、ひゅっと息を飲む。目の前に立った人の顔には、見覚えのない包帯が巻かれていた。片側の目を隠すように。
「ちょっとドジった!けどさ、見ろよこれ」
ジンは手に持っていた小瓶を私の目の前に差し出し、自慢げに見せてくる。小瓶の中にはうっすらと赤く、少しとろみのついた液体が入っていた。小瓶の中身が何なのか全く見当のつかない私がジンのほうを見ると、「回復薬って言うんだ」と答えをくれる。
「回復薬って…モニカが治るの?」
「火傷で傷ついた皮膚なら治せるはずだ。モニカに飲ませてみようぜ」
そういって私の手を引くジンに急かされ、私はモニカのベッドの横に跪いた。
「モニカ、ジンがお薬を用意してくれたの。飲ませるね」
ジンから小瓶を受けとって蓋を開け、モニカの口を開く。少し背を起こした状態で、瓶を傾けて少量ずつ液体を飲ませた。全て飲ませた後、もう一度ベッドにゆっくりと寝かせる。
「これで大丈夫なのかな?」
「多分な。すぐ効果はないのかもしれないし、ちょっと待ってみようぜ」
「うん」
結局、ジンがくれた薬を飲ませた後から、モニカの体調は日に日に快方に向かっていった。まず、皮膚が向けてずるりと赤い状態になっていたところに、日々新しい肌が作られていったことで怪我をしたことが分からないくらいにまで回復したし、皮膚の状態が良くなったからか熱も徐々に下がっていった。
数日後には、ベッドの上で話せるようになって食事もとれるようになり、さらに日が経てば火傷前と同じように動けるようになった。
「ジン、ありがとう」
モニカが、花が咲くようにふわりと笑う。私も「ありがとう」と言って頭を下げたら、「気にするな」と撫でられた。
「でも、薬ってどうやって手に入れたの?ジン、大きい包帯してるし、気になるんだけど」
「素材さえあれば、誰でも作れるんだよ。この包帯は、素材集めの時に獣にやられちゃってさ。大きい傷だから、隠してるんだ」
「ジンは私の命の恩人だね」
「うん。モニカが治ったから、いつかジンの傷も治るといいな」
その会話を横で聞いていたフィードが、ジンに隣の部屋に来るように声をかける。フィードは少し怖い顔をしていて、ジンは逆に苦笑いを浮かべているようだった。
どうしたんだろうねと二人で顔を見合わせるが、思いつくことは何もない。
しばらくして、「アホだお前は!!」という声と、ガシャンという音が聞こえた。
「喧嘩?」
「フィードとジンが?」
「でも、今の声はフィードだったよね」
頷いた私は、「ちょっと様子を見てくる」と残して、隣の部屋に向かおうとした。ただ、椅子を立ったタイミングですぐにジンが戻ってきたので、「大丈夫?」と声をかけてみる。
「ん、何日もいなかったから“心配させるな”って怒られただけ。あと、俺がいなかった分はフィードが穴埋めしてくれてただろ?謝ってたんだ。ついでに、デフィオが来た時にいれなくてごめんって」
「そういえばそうだね。フィオナ様が言ったおかげなのか服だけはたくさん増えたけど、デフィオが来た時はジンがいなかった時だもんね」
「タイミングがめちゃくちゃ最悪」
うへえと嫌そうな顔をしたジンに、モニカがくすりと笑った。いつも通りの日常が帰ってきたことに、私もほっと息を吐く。モニカとジン、二人ともいなくなってしまっていたら私はどうなっていたか想像もつかない。
特にジンがいなくなった間は、不安定だった。モニカが寝込んだタイミングからご飯は食べれなくなったが、ジンがいなくなったことでさらに私は眠ることもできなくなった。ベッドに横になっても眠れないし、たとえ眠れたとしても、何か嫌な夢を見て、飛び起きる。日に日に顔から血の気が引いていく私をフィードが心配していたが、心配されたところでどうにもならなかった。
「ジン、モニカ。二人とも、ずっと一緒にいてくれたらいいな」
「私も、売られたくないよ」
「デフィオは成人したら売ろうとするから、俺はあと6年くらいかな」
「私はあと4年…、フィードが一番先に成人して、その次が私で、ジン。リアはまだ先だね」
モニカの表情が暗くなる。
「私も一人で残されるのは嫌だから、フィードが成人する前にここから逃げようよ」
「そうね、何とかここから出られたら、4人で生きていけるかも」
私とモニカが手を合わせて話していると、ジンは考えるように首を振った。
「多分、フィードは逃げないと思う」
「何で?こんなところにいるより、絶対4人で逃げたほうがいいじゃん」
「フィードにはフィードの生き方があって、考えがあるから。とりあえずこの話は俺がフィードにしておいてみるよ。だからお前らは、成人するまで生き残ることを考えてろ」
フィードの隠したがりの理由はよくわからないけど、ジンが何か考えているようなので私は気にしないことにした。ジンは周りのことをよく見ているから、彼がそう判断したならそれが良いのだと思う。
みんながいる限りは、生き続けるよ。
心の中でそう決意して、ほっぺたをぺしりと叩いた。
二人がびっくりしてたけど、それは気にしないことにする。