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3.領主の娘



太陽神の日。朝はいつも通りの時間に目が覚めた。寝ている間にじっとりと汗をかいていたようで、服が汗を吸って少し冷たい。一つため息をついて、棚に向かう。そこから替えの服と、体を拭くための布切れを手に取って、部屋を出た。

玄関の扉を開けて外に出た瞬間、びゅうっと強い風が吹く。


「寒い…」


思わず目を細めながら、両手で肩を抱いた。ああ嫌だ。こういう日は、体に残る傷に冷たい風が沁みるのだ。傷のないところに手を置いて、少しでも体温を上げようとする。しかしながら、冷え切った手でどんなに体を包んでも大した効果はなかった。


もうとりあえず邪魔が入る前にさっさと体を拭いて服を洗おう。

そう決意して、井戸から汲んだ水に布切れを浸す。この孤児院にはお風呂のようなものはないらしい。唯一体を清潔にする方法は、濡れた布で体を拭うことだ。ただの水で拭いたところで綺麗になるかと言われたら、絶対にそんなことは無いが、体についている土が落とせるだけまだ良い。


「っ、痛ぁ…」


気を抜いていたせいで、膿んだ傷に布を当ててしまった。ううう、染みる。痛い。汚い。痛い。ただでさえ悪化している傷なのに、こんなばっちい水を傷口にインするなんて。このままさらに酷くなったらどうしてくれよう。

自分がしたこととはいえ、思わず恨みがましく手に持っていた布を睨んでしまった。

今度は慎重に慎重にと、傷に触らないようにお腹の周りを拭いていく。足まで拭き終わって背中はどうしようかと少し考えたが、また痛い目に合うのが嫌で諦めた。


深くため息をついた後、布切れをザブザブと洗ってから、井戸に引っ掛けておいた服を洗う。

今日は寒いけど、風が吹いてるから乾くかな。どうだろうな。ああ、いや、今日はあいつが来るかもしれないから部屋の中に置いておいた方がいっか。外に置いていたら何をされるか分からないし。

桶の中で踏み洗いをしながら黒くなる水を何度か新しいものに変えて、汚れが出なくなったタイミングで濡れた服を絞った。私の力では服の水気を切ろうとしてもどうしても限界があるので、干す前に誰か男の子に絞ってもらおう。




「ジン、フィード知らない?」

「んー、俺が起きたときにはもういなかったけど」

「休息日なのに早起きだね。でも困ったな、今日は全員院にいないと何されるか分かんないじゃん」

「最年長だし、たまには息抜きしたいんだろ。さすがにフィードも慣れてるから、すぐ帰ってくるよ」


何かを考えるように窓の外を見ながら話していたジンは、すぐに誤魔化すように私の手を指さした。


「それ、どうするんだ?」

「干すから絞りたいの。本当はフィードに頼もうと思ってたんだけど。お願いしてもいい?」

「ん」


出された手のひらに濡れた服を渡すと、ジンは格子のついた窓の隙間から外に手を出してぐっと力を入れる。ポタポタと水が滴った。何回か同じ動作を繰り返し「ほら」と服を渡された。


「ありがとう」


受け取った服をパタパタと広げ、部屋に戻って自分のベッドの側に紐を括って干しておく。今日やろうとしていたことを無事に終えられたし、これで一息つけるぞ。

とりあえずいったん休憩しようと思ってベットに寝転んだ。


瞼がとろり、と閉じそうになる。昨日は重労働だったし、その疲れが残ってるんだなあとぼんやり考えていると、外から怒鳴り声が聞こえた。

ああ、さようなら私の太陽神様。


これから起こることを予想し、嫌な気持ちになった。




「おい!さっさとあけろ!」


早足で門のほうに向かうと、先に着いていたらしい子どもが慌てて門を開いている。

門の外には、この孤児院の院長であるデフィオがいた。

いつもいつも思うけど、今日も随分でっぷりとした体型だね…。そのお腹なんて、私たちに比べたら随分蓄えられてそうなんですけど。こっちはなけなしの食糧で生きてるっていうのに、ここを運営している当の本人はあんなにふくふくしてるのは、不公平だよ。


頭の中でぶーすか文句を垂れていると、デフィオが動いた。

「使えねえな」と小さく口にし、腰元に手を伸ばす。それに気付いた子ども達が、ビクリと肩を震わせた。


ああ、またいつもの理不尽か。皆が体を固くして、足をほんの少し後ろに下げたのが目につく。やるならさっさとやってくれ。そう思いながらデフィオを見ると、彼は腰元につけられていた鞭を手にするのをやめて、予想外にも馬車の中に声をかけた。


「フィオナ様、こちらです」

「ありがとう」


鎧を着込んだ男が先に降り、馬車の方に手を伸ばす。その上に手のひらをそっと乗せて姿を現したのは、フワフワレースがわんさかつけられたドレスを着た、くるくる巻き髪の少女だった。

んー、なんだかこういう感じの見た目にはすごく記憶がある。なんだっけな。


「こちらが、私が管理をしている孤児院でございまして、フィオナ様はまず領主になるための予行練習としてこのように院の管理をしていただくのでございます」


フィオナ、という少女は私たちの姿をじろりと一通り見まわして、眉間にしわを刻んだ。


「なんだか皆さん、薄汚れてますわね」

「ええ、ええ。風呂に入れと言ってはおりますが、全く話を聞かないのですよ」

「それに、何だかみすぼらしいのではなくて?」

「領主様から頂いているご寄付で何とか運営はできておりますが、食事や服にまでお金を回す余裕がないのでございます」

「まあ!それならお父様に相談をされればよろしいのに。こんなに汚い孤児院を私が管理してると世間に知れたら、私の能力が疑われてしまうじゃないの」


どうやら目の前に現れた女の人は、領主の娘らしい。そして、この会話から察するに多分現領主もやばい人間なのだろう。


「おっしゃる通りでございますね、フィオナ様。

おいお前ら、この街を含む広大な土地を管理されている領主様、ハーディング・セレヴェール様のご令嬢であるフィオナ様の前で、何を突っ立ってんだ!跪け!」


今度こそ腰元にあった鞭を手に取って、その鞭で地面を叩いた。

びくりと震えながら、子どもたちは周囲を見回す。一人がおずおずと跪くと、同じように周囲も座っていった。


私も同じようにしておこう。

青あざができている膝が若干じわりと痛むが、土の上に片膝を立てて座った。


「デフィオ、それは何ですの?」

「これは孤児に対しての使用が許されている、教育用の道具でございます。このように使うのですよ」


その言葉と、バチンという音がするのはほぼ同時だったと思う。デフィオのすぐ側にいた子が鞭で叩かれたのだ。叩かれた子は比較的年が上のほうの子だったからか、一瞬「ひっ」と喉がひきつるような声が聞こえたが、歯を食いしばって叫ばないように耐えている。


「頭も下げんかい、この馬鹿者が!」


そう怒鳴りながら再度手を持ち上げると、2度、3度と鞭が振るわれた。

孤児たちは一斉に頭を下げるが、叩かれている子はほとんど姿勢を保てておらず、ひたすらに歯を食いしばるようにして唇をかんで耐えている。。


「デフィオ、やめなさい」

「承知いたしました、フィオナ様」


フィオナの言葉で、デフィオの手にあった鞭が元の場所に戻される。デフィオの癇癪がこの短時間で終わることは早々ないので、フィオナがいてくれたことは孤児院の子どもたちにとっては良かったのかもしれない。


そう思いながら、視線をほんの少しだけ上げて様子を伺うと、フィオナが何やら片手をまっすぐに伸ばしている。


「アクア・フェルヴィダ」


その言葉と同時に、フィオナの手首につけられていた腕輪がうっすらと光った。


随分綺麗な光だなという感情が浮かんだが、一瞬後にはバシャンという水音と同時に尋常ではないほどの熱さを体に感じて思わず「うう」と声が漏れる。周りからは泣き声や、呻くような声が聞こえた。


「あら、あまりにも汚いから綺麗にして差し上げようと思ったのですけれど…どうやら温度を間違えてしまったようですわね」

「なんとフィオナ様!このような者たちにご自身の魔力を使われたのですか。なんてこの者たちは幸福なのでしょうか」

「ええ、デフィオ。でもどうやら皆様から感謝の言葉はいただけないようです」


悲しそうに眉を下げ口元に手を当てたフィオナに、デフィオが慌てた様子で声をかける。


「この者たちは魔術というものが分からないのです。魔術は平民にはないものでございますから。ですからフィオナ様にいただいた幸福がどれほど価値にあるものなのかも分かっていないのですよ」


言いながら、またひゅっと鞭を振った。熱湯を浴びた体に、鞭を打たれるのは地獄のような痛みだと思う。叩かれた子は、「ぎゃあ」と叫んだが、フィオナもデフィオもまったく気にしていないようだった。


「皆、聖女のようなフィオナ様に頭を垂れ感謝を述べよ!」


そう高らかに声を上げるデフィオに、孤児たちがぽつりぽつりと声を出した。


痛い、熱い、痛い、熱い。膿んだ傷に熱湯を浴びた服が張り付き、どくどくと脈打つように痛む。早く水を浴びに行かせてくれ。早くいなくなってくれ。

頭の中ではそんなことしか考えられない。視界が霞んで、痛みから逃れるように意識が飛びそうだった。視界に入る子どもの中には倒れこんでいる子どももいる。


「それではフィオナ様、視察もできたことですしそろそろ城へ戻りましょう」

「そうね、そうするわ」


言いながら2人は馬車に向かって歩き出す。途中、フィオナがデフィオに対して「みすぼらしいから服は綺麗なものを与えなさい」と言っていたが、その言葉に喜ぶものは誰一人いなかった。




フィオナたちが去ったあと、すぐにジンが声をかけてきた。


「リア!大丈夫か」

「大丈夫。これじゃあみんな、酷い火傷になるから…井戸に連れて行って」


私の言葉にジンは頷いて、肩を支えようとしてくれる。しかし、「私は自分で向かうから意識のない人を」と断って、おぼつかない足取りで井戸に向かった。


「おい、フィード!お前も動けるなら手伝え!」

「ああ、俺はこっちからだ!」




井戸につく頃には何とか意識もはっきりして、自分のやらなければいけないことを考えられるようになった。

まずは冷やさねばと、服の上から水をかぶる。ああせっかく今日着替えたばかりなのに。そんなことを考えながらひたすら水を浴びていると、ジンが他の子たちを連れてきた。


「熱いままだと火傷になるから、服の上から水をかけるね。服、脱げそうなら脱いでしまうほうがいいけど、水ぶくれができているならそのままのほうがいいから」


言いながら、何度も井戸から水を上げて、子どもたちにかけていった。どうやらフィオナの水は、場所によって温度に差があったようで、ジン達のように問題なく動けている子もいれば、水ぶくれができるような酷い火傷になっている子もいる。


あのフィオナという人間は、多分私たちのことを人として見ていないんだろう。というか何だろう。あの、生きる感覚が違う感じは。これが貴族と平民の差なのだろうか。あれが貴族なのだというなら、私はこのままここで死んだほうがましだ。


痛みに泣く子たちの間を何度も往復しながら、火傷への対処でその日の休息日は夜になった。



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