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 8 物ごとは考えようによって


 私はイタリア料理が大好きです。


 イタリア料理を好きになった理由は色々ありますが、最近とくにその思いが深まったのは、ある一軒の店との出会いが大きな転機になったからです。その店のシェフは北イタリアで修業を積み、帰国後、自らの店を開きました。「森の中の小さなレストラン」という素晴らしい曲がありますが、その曲がぴったりくるような、まさにそんな隠れ家的な佇まいです。シェフとウェイトレスが数人だけという小さな店でした。

 

 初めて訪れた時、料理の美味しさに感動すると同時に、懐かしい記憶が蘇りました。幼い頃、美食家だった大叔母がイタリア人シェフの店に私をよく連れて行ってくれていたのです。その店で食べたピッツァは格別で、子供だった私は厨房の前に立ち、生地が魔法のように広がっていく様子を瞬きも忘れて見つめていました。そんな私に、ウインクをしてくれたイタリア人シェフを、今でも覚えています。


 小さな店のピッツァを口にした瞬間、幼少期の記憶が鮮明によみがえりました。優しかった大叔母と分け合ったあのピッツァと同じセモリナ粉の焼けた香り、同じような食感と味わいが懐かしく、思わず感極まりそうになりました。ピッツァだけではなく、パスタもです。料理に使われているチーズも、シェフの自家製ハムも、とっても美味しかった。毎日でも通いたいと思っていましたが、その年からコロナ禍が始まってしまいました。


 行きたくても行けない状況の中、「それなら自分で美味しいイタリア料理を作ればいい」という結論に達し、元々料理好きだった私は、YouTubeで本場のイタリア人シェフの動画を見始めました。当時はまだ日本語字幕のない動画が多く、まだ多少は理解できる英語字幕を頼りに研究しました。

 

 イタリア料理といえばオリーブオイルは欠かせません。そのため、オリーブオイルについても深く学びました。最近はよく耳にする事実ですが、日本で流通しているエクストラバージンオリーブオイルの約80%が偽物だということを知り、当時は大変驚きました。


 コロナ禍が落ち着いてきた今、そして「オタクとヤンキーが異世界にいくとだいたいこんな感じになった」のイドエ編が無事終わった祝いも兼ねて、5年ぶりに小さな店を予約しました。そして、ついにその日が来ました。待ちに待ったこの日をどれほど楽しみにしていたか、言葉では表せないほどでした。


 5年振りに訪れた店の雰囲気は、以前と変わらずとても気持ちの良い空間です。飾られている物ひとつひとつがとても可愛く、目と心を楽しませてくれます。

 

 コース料理を注文すると、最初に前菜が運ばれてきました。オリジナルドレッシングをかけた生野菜と自家製ハム。


 そう! これこれ! 


 フォークとナイフでハムを一口大に切り分け、ゆっくりと口に運びました。


「あ~、美味しい!」


 この店の自家製ハムは、本当に格別なのです。以前訪れた時も、コースに含まれていたにもかかわらず、別途注文したほど気に入っていました。前菜の段階ですでに感動してしまいました。


 続いてテーブルに運ばれてきたのはスープです。これもまた絶品でした。控えめな味付けながらも、野菜の旨味が見事に引き出されていて、心地よい満足感を覚えました。


 そして、次はパスタとピッツァの登場です。前回この店を訪れた際はカルボナーラを注文しました。ペコリーノ・ロマーノとパルミジャーノ・レッジャーノを使用し、生クリームなど1ミリも入っていない本場のカルボナーラ。濃厚で格別な美味しさでした。

 今回は趣向を変えて、トマトソースのパスタを選びました。テーブルに運ばれてきた瞬間、まずはゆっくりと香りを嗅ぎました。


 ……あれ?


 その時、微かな違和感が頭をよぎります。だけど、そんな事は気にせずに、素早くフォークを手に取ってパスタに突き刺し、クルクルと巻き取り口に運ぶと、その違和感の正体が明らかになりました。


 それは、私自身が作るパスタと味が似ているということでした。そして申し訳ないのですが、正直に告白すると、私が作るパスタの方が美味しいと感じてしまったのです…… 

 そしてそれは、私だけの感想ではなく、一緒に行っていた友人も同じ感想でした。


 あれほど楽しみにしていたのに、残念ながら私の気持ちは一気に沈みました。美味しくない訳ではないので、最後まで食べきりはしましたが、心には大きな空虚感が広がりました。それはピッツァも同じでした。続いて運ばれてきたメイン料理も、パスタと同様の感想を抱いてしまいました……


 私は一度何かに興味を持つと、自分なりにとことん突き詰める性格なのですが、イタリア料理もその例外ではありませんでした。空いている時間に動画を繰り返し見て、翌日に再現を試み、失敗しては再び挑戦する日々。本場のイタリア料理に近づくために必要なら、と思い、輸入食材の購入も躊躇しませんでした。


 そんな私の情熱と探究心が、思いがけずその店のシェフの味を追い越してしまったのかもしれません。


 物ごとは考えようですね。自分の料理の腕が上がったことは喜ばしいことなのですが、あれほど楽しみにしていたお店に物足りなさを感じてしまい、残念ながら、もう訪れたいとは思えなくなってしまいました。


 私は、自らの楽しみを、自らの手で奪ってしまったのです。


 勿論お店に落ち度はありません。


 今回の事で、何事も上達すれば良いってことはないと学びました。


 私の性格にはもう一つの特徴があります。それは、一度興味を失うと、それまで熱中していたことを完全に手放し、記憶からさえ消え去ってしまうのです。苦労して見つけ出した最高のレシピも、編み出した秘伝の技も、すべて忘れ去ってしまい、書き留めることもしません。


 でも、それが私にとっては救いでもあるのです。時が経ち、再び同じものに興味が湧いた時、また一から学ぶことができる。その喜びと楽しさは、初めて出会った時と変わらない新鮮さがあります。今は、せっかく上達したイタリア料理への興味が、早く薄れてくれないかと、そんなよく分からない気持ちもあります。


 すべてを忘れて、いつか改めて感動と共に出会い直せる日を、そんな日を待ち望んでいるのかも知れません。



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