13 運命と選択
みなさま、こんにちは。
お盆を前に、街や道も少し賑やかになってきましたねー。昨日スーパーに行きましたが、普段よりもだいぶ人が多かったです。
帰省や準備で慌ただしい方もいれば、のんびり過ごしている方もいる頃でしょうか。
真夏の日差しはまだまだ強いですけれど、夕方の風や夜の虫の声に、ほんの少し秋の気配を感じる瞬間がありますね。
さて、今日のお話は、占いについてです。
はっきり申し上げますと、ネットなどで占い師を見ても、私は全く信じておりません。
「当たった!」と感じるその理由は、不思議な力というより、人の心の働きや偶然の重なりで説明できることが多いんです。
たとえば「あなたは普段明るいけれど、ときどき一人になりたくなることがあります」というような言葉。
これは誰にでも当てはまる内容ですが、自分のことを言われたように感じやすい傾向があります。心理学ではバーナム効果と呼ばれるものです。
また、人は自分が信じたいことを優先的に覚え、外れたことは忘れがちです。これを確証バイアスといい、「当たった」経験だけが記憶に残って、占いがより的確に思えてしまいます。
さらに、占い師が自然な会話や質問を通して、年齢・服装・表情から情報を読み取るコールドリーディングという技術もあります。これによって、まるで心を見透かされたような感覚になるのです。
そして、人間の脳は「意味のあるつながり」を見つけるのが得意です。偶然の一致にも理由をつけてしまうため、「ラッキーカラーを身につけたら良いことがあった」という出来事も、実際には偶然だった可能性が高いのです。
中には、占いを信じたことで前向きに行動し、その結果として良い出来事が起こることもあります。これは自己成就予言と呼ばれ、占いの力というより、行動の変化が結果を生んでいるのです。
こうしてみると、占いは未来を予知するというよりも、人の心の動きと偶然が作り出す物語のようなもの。
だからこそ、深く信じ込むよりも、日常をちょっと彩るスパイスや、背中を押してくれるおまじないくらいの気持ちで楽しむのが、ちょうど良いのかもしれません。
さて、このように科学的に分析して、他人の占いを信じない私ですが、それだけじゃ今回の「いすぱるの日常」に書く意味はありません。
ここから先は、まぎれもなく真実です。私は、読者のみなさまを釣るために嘘をつくようなセコいことはしません。
では、本編にまいります。
私が中学生のとき、母から「すっごく当たる手相占い師がいる」と聞きました。
そのときの私の心の声は、「ふーん(棒)」でした。
興味ゼロ、話半分、耳も片側だけで聞いてました。
ところがその占い師さん、母の手相をパッと見ただけで家族構成をズバリ言い当てたというんです。
……え? 手相で家族構成?
私の知ってる手相占いって、生命線だの感情線だの、「最近お疲れですね」みたいな当たり障りのない台詞を言うもんじゃなかったっけ?
家族構成線? そんな新規路線あったっけ?
しかもその後も、母の現状をポンポン言い当てていったそうです。
母は「すごいのよ!」と満面の笑みで私に話してくれました。
……ええ、その顔だけは今でも忘れられません。
でも、タネは単純。たぶん会話の中で、母がうっかりヒントをポロポロこぼしてたんでしょう。占い師さんはそれを拾って「ほら当たった!」ってやつ。
さらに未来のことまで言ってきたそうで。病気のことや、なんと亡くなる年齢まで!
へぇ~、未来まで…… いやいや、そこまで言うか。
でもこれ、かなり安全な予言なんですよ。だって数十年後の話。もし間違っても、その頃には誰も「外れた!」なんてクレーム入れません。
この時の私は、やっぱり聞くだけ無駄だったなと思っておりました。
それから数か月後……
私は仲の良い友人と二人で、母の父、つまりお祖父ちゃんの家に、夏休みを利用して泊まりに行っていました。
祖父の家は、それはもう山奥の山奥。蛇口から出てくるのは谷の水で、水道なんてありません。
敷地には、大きな家が二つ並んで建っていましたが、どちらにもトイレはなく、用を足すには、離れにあるお風呂の隣まで行かなければなりません。
そのお風呂は、なんと昔ながらの五右衛門風呂。
底の下で薪をくべ、焚火の熱で湯を温めます。湯気がもうもうと立ちのぼり、ぱちぱちと薪がはぜる音が響く中、私はいつも「このままじゃ火傷するんじゃない?」と、怯えながら湯に浸かっていました。
ぽつんと一軒家ではありませんが、お隣の家までは、30メートルほどの距離。しかも周囲には外灯が一つもなく、夜は本当に真っ暗闇です。もちろん、夜中に車が通ることもありません。聞こえるのは、川のせせらぎと虫の声だけ。
そんな中で夜中にトイレへ行こうとすれば、懐中電灯を手に、まるで探検に出るような気持ちになります。まさに決死の覚悟で、暗闇を一歩一歩進むのです。ですので私は必ず熟睡している友人を無理矢理起こして、ついて来てもらってました。(笑)
「では、どうしてそんな場所にわざわざ行くの?」と思われる方もいるかもしれません。
それはやっぱり、田舎の魅力があるからです。それも普通の自然ではなく、大自然です。
川の水は、水道代わりに使えるほど澄みきっていて、その川で泳いだあとは、なぜか肌がつるつるに。
しかも、その川は私たちの貸し切り状態で、誰にも邪魔されず遊べるのです。
なんとも贅沢な時間でした。
水だけではなく、空気も驚くほどおいしく、口の中にほんのり甘みを感じるほどでした。見渡せば、どこを切り取っても絵葉書のような景色。
そして、何よりの魅力はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの愛情です。
私にも友人にも分け隔てなく優しく接してくれて、今思い返しても、胸があたたかくなるような、素敵な夏の思い出です。
一週間ほどの滞在は、あっという間に最終日を迎えました。
お祖父ちゃんの運転で、山を一時間半ほど下り、最寄り駅から電車に乗る予定です。
「そろそろ出発しようか?」
お祖父ちゃんの声にうながされ、私はお祖母ちゃんと互いに別れの言葉を交わし、車へと向かいました。
「また来年も来るからね。元気でね」
そう言いながら、友人と二人で手を振り、笑顔でお別れします。
そしてその後は、一時間ほど続く緊張のお時間。
というのも、山道は車がすれ違えないほど狭く、おまけにガードレールもないのです。もし誤って外れたら、谷底まで真っ逆さま。
お祖父ちゃんは安全運転をしてくれますが、それでもカーブを曲がるたび、心臓が少し跳ねるような怖さがありました。
そして、やっと山を下りてホッとひと息ついた私たちに、お祖父ちゃんが言いました。
「電車の時間にはまだ早いから、あの占い師のところに行こう」
……? あの占い師? いったいどの占い師?
そう、お祖父ちゃんが口にしたのは、母が以前、満面の笑みで語っていたあの手相占い師さんでした。
お祖父ちゃんの家ほどの山奥ではないものの、それでもなかなかの田舎に住んでいて、目的の最寄り駅から車で30分ほど離れた場所です。
へぇ~、こっち方面だったんだ~。けど、行きたいなんて一言も言ってないけど?
そう思いましたが、お祖父ちゃんからすれば「せっかく来たのだから」との善意だったのでしょう。
まぁ、連れて行ってくれるならいいか……と、私は断ることもせず、そのまま車に揺られて向かうことにしました。
やがて、大きな川のほとりに建つ一軒の家の前で、車が止まりました。
……ここ?
最初に目に入ったその家の印象は、正直あまり良いものではありませんでした。
おそらく築50年以上は経っているであろう木造家屋で、外壁のあちこちが傷み、崩れかけている箇所も見えました。
「まるで魔女の館みたい」
私が小さな声でつぶやくと、友人はこくりと頷きました。
お祖父ちゃんが昔ながらの引き戸に近づき、手をかけてノックします。
「ガシャン、ガシャン」
ガラス入りの戸なので、金属的な音が辺りに響きました。
「すみません」
お祖父ちゃんの声とノックに反応して、奥から「はーい、ちょっと待ってね」と女性の声が返ってきます。
やがて、玄関に一人のお婆ちゃんが現れました。たぶん70歳ぐらいでしょうか?
この人が占い師…… お婆ちゃんなんだ……
そう思いながら見ていると、お祖父ちゃんと何やら話し始めたので、耳を澄ませてみます。
「あら~、せっかく来てくれたけど、今日はお休みでね……」
「あぁ、そうですか。孫が遠くからわざわざ来たもんで、せっかくだからと思ってね」
「どこから? え!? そんな遠くから? うーん…… ちょっと待っててね」
そう言い残し、お婆ちゃんは奥へと下がっていきました。
そして1分後。
再び現れたお婆ちゃんは、「遠くから来てるから、特別ですよ」そう言って、私たちに中へ入るよう促します。
「あなたも?」
お婆ちゃんが、お祖父ちゃんに尋ねました。
「いや、わしはええ」
お祖父ちゃんはそう断り、車で待っていると言います。
「さぁ、どうぞ」
お婆ちゃんにうながされ、私は友人と顔を見合わせた後、二人で家の中へ。
そこは外観の印象どおり、年月を経た木造の室内。柱も天井も床も深い色に染まり、歩くとぎしぎしと音を立てます。
私たちは廊下を通り、奥の部屋へと案内されました。
「ここですからね」
そう言って、お婆ちゃんはふすまに手をかけます。
ここで占ってくれるんだ……
そう思った瞬間、開いたふすまの向こうに、ちょこんと何かが座っていました。
……おや? 人形……
私が置物だと思ったそれは、一人の老婆でした。案内してくれたお婆ちゃんよりも、さらに年を重ねた方です。
もしかして、この人が……
そう思っていると、案内してくれたお婆ちゃんに「そこに座って」と促され、私たちは置物のような老婆の前に正座しました。
次の瞬間、その老婆がゆっくりと動き出し、私と友人をジロリと見据えます。
その眼光は、とても老婆とは思えないほど鋭く、深く、突き刺さるようでした。
その目を見た瞬間、私は言葉にならない不思議な感覚に包まれました。
あの目を…… 私は今でも、はっきりと覚えています。
案内をしてくれたお婆ちゃんが、置物のような老婆のやや後ろに座りました。
その視線の鋭さに少し身構えている私たちへ、置物のような老婆が口を開きました。
「……どうばからやぶ?」
……はぁ?
その言葉の意味が分からず、私と友人は顔を見合わせました。すると…… 案内のお婆ちゃんが「どちらからしますか?」と穏やかに尋ねてきました。
続けて、「このお婆ちゃんは今年で101歳だからね。何を言ってるか分からないでしょ? 私が通訳するからね」と言いました。
ひゃ、ひゃ、101歳!? 見た目は…… かなり小さくて、まるで子どもみたい……
そんな風に思ってました。
後で知ったことですが、この案内役の方は占い師さんの娘さんだそうです。娘さんと言っても、もう七十歳くらいのお婆ちゃんでした。
老婆のそばに座っていたのは私でした。
「じゃあ、私からお願いします」と伝えると、「ひゃでえおでし」とまた聞き慣れない言葉。
背後からすかさず、「左手を出して」と通訳が入ります。
私はそっと左手を差し出しました。すると、老婆は両手で私の手を掴み、ジッと手相を見ました。
「ばぁ~、こりゃ~珍しい~」
その一言は、通訳がなくてもすぐに分かりました。
私の手のひらには、端から端までまっすぐ横切る一本の線。頭脳線と感情線がひとつになった、マスカケ線と呼ばれるものです。
老婆はその線をじっと見つめ、ゆっくりと口を開きました。
「ぅな〜…… お父さんとは一緒に暮らしてないね。お母さんと、お兄ちゃんか……」
少し聞き取りづらかったのですが、はっきりとそう告げられました。
それは事実でした。父はずっと前に家を出て、私は母と兄の三人で暮らしていたのです。
思わず目が大きく開くのを、自分でも感じました。
母が話していた通り…… 手相を見ただけで、家族構成を当てられた。 嘘……
驚く私に、老婆はさらに、現状や少し先の未来のことまで静かに告げていきます。私は何も話していないのに、左手を見つめながら淡々と。通訳のお婆ちゃんは、意味が伝わりにくい部分だけをやさしく補ってくれました。
そして最後に、私の未来の家族構成と、亡くなる年齢を告げて終わりました。
「はい、終わりですよ。交代して」
通訳のお婆ちゃんに言われて、ぼんやりとしたまま友人と席を交代しました。
占いは私の時と同じ流れで進み、老婆は友人の家族構成をぴたりと当てました。
さらに現状を言い当て、少し先の未来のことを告げ、最後に未来の家族構成と亡くなる年齢まで話して終えます。
ひとつだけ違ったのは、友人には「命にかかわる病気」の話があったこと。
「3という数字に気をつけなさい。例えば3月とか、その数字にまつわる時に、あなたは大きな病気をする」そう言われ、友人の顔はさらに青ざめました。
後で聞いた話によれば、この占いの老婆さんは職業として占いをしているわけではなく、ある時から人の未来が見えるようになったそうです。
最初は近所の顔見知りの人だけを占ってあげていたところ、その的中率があまりにも高く、口コミで評判が広がり、あっという間に有名になったとのことでした。
とはいえ年齢はすでに100歳を越えており、一日に見るのは数人ほど。しかも謝礼は驚くほど控えめなものでした。
恐らく別の日に訪れていたら、私たちは見てもらうことはできなかったでしょう。たまたまお休みの日に行き、さらに遠くから来ていたこともあって特別に見てもらえた…… これも、何かの運命だったのでしょうか。
肝心の占いの内容ですが、詳細は控えますが、近い未来の出来事はほぼ当たりました。
家族構成を当てられ、驚きで頭が真っ白になっていた私は、すべてを鮮明に覚えてはいませんが、大事な部分はしっかりと記憶しており、それらは後に本当にその通りになりました。
友人はというと、「3」という数字に神経質なほど気を配るようになりましたが、今のところ大きな病気もせず元気に暮らしています。
そして、あのとき聞いた未来の家族構成については、子どもの数も性別も含め、すべてが占いの言葉通りになっているのです。
そして、もうひとつ……
実は、「オタヤン」を休載していた時期に、私の母が亡くなりました。
その喪失感から、気力を失い、以前書いていた通り飽きたこともあり、予定通りの掲載ができなくなってしまいました。
なぜ、このタイミングで母の話をしたのか、お気づきの方もいらっしゃるでしょう。
そうです。あの老婆が口にした母の亡くなる年齢…… それはひとつの違いもなく、そのまま現実となったのです。
これは、ただの偶然なのでしょうか……
手相を見ただけで、母と私、そして友人の家族構成を言い当て、さらに母の亡くなる年齢まで告げた…… あの時の出来事を、私は今も忘れることができません。
私は友人に、母が亡くなったこと、そしてあの老婆の言った通りの年齢だったことを伝えました。友人は深くお悔やみの言葉をくれた後、「今でもあのお婆ちゃんを忘れたことはない。あの人だけは、唯一本物だと思っている」と静かに言いました。
先ほど「すべてを鮮明に覚えてはいませんが、大事な部分はしっかりと記憶しており」と書きましたが…… 実は、老婆の言葉の中で、今もはっきりと耳に残っている一言があります。
私たちは無言のまま、鑑定料の五百円をそっと渡し、その場を後にしようとしていました。すると……
「また…… おいで」
振り返ると、老婆は私と友人の方を見つめていました。
あれから長い年月が経ちましたが、私の心に一番残っているのは、未来の家族構成でも、亡くなる年齢でもありません。
最後にかけられた、この「また…… おいで」という言葉です。
もし未来がすべて決まっているなら、「また…… おいで」と言う必要はないはず。でも、あの言葉には「未来は変えられる」という希望が込められていたように感じました。
時が経つほど、その言葉の重みが増していきます。選択肢があることを教えてくれると同時に、未来を切り開く責任も私に託されたような気がして。
迷いが生まれるたび、あの声が心によみがえります。「また…… おいで」その一言が、時には前に進む勇気を、時には立ち止まって考える余裕をくれるのです。
偶然か必然か、今も答えは見つかりません。
でも、未来は一つではない。そう信じられる限り、私は自分らしく、この先も歩んでいこうと思います。