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 11 今日だけは、病院がちょっと好きになった


 ご存じの方も多いかと思いますが、私は持病がいくつかあり、病院にはよく通っています。

6月だけでも、いったい何回行ったのか…… たぶん月の三分の一は病院でした。しかも、通っているのは一か所だけじゃなく、複数の病院です。病院へ行くのは、慣れるものではありません。本当に気がめいります。


 今回お話しするのは、その中のひとつの病院で起こった出来事です。


 その病院は、軽い診察を受けて、いつもの薬をもらうだけの医院です。その日も診察はスムーズに終わり、あとは薬を受け取るだけ。時刻は夕方で、診察時間はすでに終了していました。私以外の患者さんはもう一人だけ。その方が最後の診察中でした。


 待合室で薬を待っていると、カタンと自動ドアが開きました。なんとなく視線を向けると、一人のおじいさんが入ってきました。

診察の受付は終わっていたので、(あぁ、入院患者さんが戻ってきたのかな?)と私は思いました。


 おじいさんは、受付のお姉さんに向かってこう言いました。


「わしの部屋はどこかの?」


 やっぱり入院患者さんなんだな、と思っていたのですが、お姉さんの表情がなんだか冴えません。


 どうしたのかな?と見ていると、お姉さんが少し困ったように、


「うーん……たぶん、違うんじゃないですかね〜」と優しく返します。


 えっ、何が違うの?と思っていたところ、おじいさんが

「早く部屋に連れて行ってくれんかの」と言いました。


 それでもお姉さんは「あの〜……たぶんこの病院じゃないと思います」と再び優しく返答。ところがおじいさんは、「ここだぞ、ここに間違いないぞ」と断言します。


 私とお姉さんの視線がバチッと合いました。お姉さんは明らかに困った顔。

 そして、「おじいちゃん、病院の名前わかる?」と優しく聞くと、おじいさんは俯いて、「うーん……わからんの」


 その瞬間、お姉さんは下を向いたまま、ぴたりと動かなくなりました。恐らく、笑いを一生懸命こらえていたのでしょう。私も見ていて、思わず顔を背けてしまいました。


 そのおじいさんの答える間とか、可愛らしい言い方とか、すべてが完璧でした。


 なんとか笑いをこらえて復活したお姉さんが、ゆっくり顔を上げて言いました。


「おじいさん、お名前教えてもらっていい?」


「わしか? わしは……」と名前を告げたおじいさん。


「おじいさん、ここじゃないと思うからね。今から病院探しますね」


 お姉さんはそう優しく告げて、近くの病院に電話をかけ始めました。


 そのあいだもおじいさんはずっと、


「早く部屋に連れて行ってくれんかの」とか

「ここで間違いないがの」と繰り返しています。


 お姉さんは、電話越しにおじいさんの名前を伝えながら、該当する病院を探し続けていましたが、なかなか見つからないようでした。


 そんな中、おじいさんが急にキョロキョロと辺りを見回し始めました。


 そして私と目が合った、その直後……


 「うーん…… 様子が違う……」と一言。


 もうダメでした。私は耐えきれずに声を殺して吹き出してしまい、お姉さんはついに声を出して笑ってしまっていました。


 いえ、もちろん笑いごとではないのは重々承知しています。迷子になってしまったおじいさんは、本当に気の毒です。でも、その場の空気がもう…… 耐えきれなかったんです。


 最終的に、おじいさんの入院先の病院は無事に見つかり、私が薬を受け取って車に向かうころ、ちょうどそのおじいさんもタクシーに乗り込むところでした。


 そのおじいさんが、一度も怒ったり、声を荒げたりすることなく、終始ほんわかした口調だったこと。だからこそ、あの一連のやりとりがどこか微笑ましくて。申し訳ないと思いつつも、心がふっと和む時間でした。


 いつもは気が重い病院通い。


 でもその日だけは、ふとそんなことも忘れてしまうくらいの、ちょっぴりあたたかい出来事でした。


 おじいさん、いつまでもお元気でね。



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