悪役令嬢は断罪され99歳の老婆に転生しました
誤字報告本当にありがとうございます。
華も霞む程の美貌と賢者をも凌ぐ知性。老若男女問わず世の憧れの的といえば、このわたくし。
美を体現したわたくしに、国家の宝は何をしても許され、誰も彼もが平伏しますのよ。
今日はわたくしの婚約者が主催を務める王政派限定パーティで、わたくしが自ら婚約者のために華を務めさせて頂く予定でおります。
王政派、つまり婚約者の派閥に属する若手の党員ばかりを集めたパーティでございます。
そこでわたくしの婚約者から思わぬサプライズを頂きました。
「婚約破棄だ!かの乙女のドレスを破り、飽き足らず毒を盛り亡き者にしようとしたそうだな?!貴様、死罪にしてくれる!これこそ真実の愛だ!」
まぁなんてこと、なんてこと。
彼のその腕に絡む女が、下品な顔で醜く笑っているのにまったくお気づきにならないのね。
全てでっちあげですのに、この男のどうしようもないこと。
おつむの悪い王子はこの国を滅ぼすのでしょう。
その女は財にしか興味ないのに、騙されちゃってお可哀想に。
わたくしの婚約者は真実の愛などという妄言を信じてしまうおバカさんでしたが、人を動かす才能はあるようで、投獄から裁判と刑執行までが1週間足らず。
元老院も国王夫妻も果てはわたくしの両親も外遊中の出来事でした。
わたくしが処刑台の前に死装束で登壇すると、民衆のすすり泣く姿が見えました。
最前列には、畑仕事で一緒に切磋琢磨した農民のみなさん。
囚人は、自由な発言が許可されていませんから、目で表情で訴えるしかありません。
さようなら。さようなら。わたくしは大丈夫よ。
『豊穣の女神』なんて見出しで民間新聞に載った時は嬉しかったのよ。
あら、その手に持っているのは新品種の病気に強いリンゴではありませんの。
そう、実ったのね。干ばつ続きで大変だったわよね。
実ったら一緒に頂きましょうって約束したけれど、叶えられなくてゴメンナサイね。
泣きたいけれど、今は泣いてはいけないの。
だって女神らしく、わたくしは皆さんを笑顔にして最後を彩りたいもの。
あぁ、みなさん泣かないで。悲しまないで。
さようなら。さようなら。わたくしは大丈夫よ。
「ちっ汚い農民めが。おい、最期に言いたいことはあるか?」
深く頭巾を被った死刑執行人さんに問われました。
発言の許可に感謝いたしますわ。じゃあ言わせて頂きましょう。
「さようn…」
あぁ、眠い。まだまだ寝ていたいのに。
けれど、なんだか楽しげな歌が聞こえるの。
それに、とてもいい香りも。
お肉とお魚の香ばしくてジューシーな香りと少ししょっぱいスープのような香りに甘いデザートの香り。
あら、この素敵な香りはアップルパイかしら。
「…トゥーユー!!」
パンッ!といっせいに何かが弾けた音と火薬の臭い。
甘い香りが一瞬できな臭くなり、驚いて目が覚めてしまいました。
目を開けると、目の前に同じような見た目の平たい顔の方々が5人。笑顔で何かお祝いしているではありませんか。
見知らぬ5人と猫1匹。人の顔を覚えるのは得意でしたが、どうにも思い出せません。
見たこともない部屋の景色に、見たこともない人。
しかし目の前のみなさんは、農民のみなさんとどことなく似ているお召し物をされていますけれども、どなたも清潔で上質なお召し物。
この老いたの男女は、同じ指輪をしているからきっとご夫婦だと思います。
あとは初老の女性1人に若い娘2人。
どうしましょう。みんな似た顔で区別が付かないでいます。
「「ハクジュおめでとうー!」」
ハクジュ?なんのことかしら。
みなさんこちらを向いているし、わたくしにおめでとうと言っているのかしら?
お礼を言うべきよね。
「ありがとう」
「「えっ」」
静まり返り固まる皆さん。猫まで目を丸くして見ています。
わたくし対応を間違えてしまいましたかしら。
それよりも、とてもしゃがれた声が出てしまって恥ずかしいわ。
まるでわたくしじゃないみたい。
「うそ、お母さん今ありがとうって言った?!」
「うん言ってた」
「ののちゃんがちゃんと喋った!いつも寝てるのに喋った!!」
「おぉ目が開いてる!!」
「シャーッ!!」
一斉に喋りだした平たい顔の方々は、とても驚いているけれど何かしら?
猫まで威嚇してきて、ちょっと落ち込みそう。
「どうかしまして?ん?あらいやだ」
やっぱりしゃがれたお婆さんのような声が出てしまいました。
恥ずかしくて俯くと、目に入ったのはわたくしの白魚のような手。ではなく、土気色でシワシワでシミだらけの枯木のような手!
驚きの余りその手で顔を覆うと、顔までシワシワじゃありませんの!
これは大変!毒でも盛られたのかしら?!
でも、記憶では処刑台で…
「どうかしまして?ってこっちのセリフよ!」
「ののちゃん、今日は誕生日よ!99歳!白寿のお祝いでしょ!」
「久しぶりに聞いた!ののちゃんのお上品言葉!」
「ののちゃんの大好きなアップルパイ買ってきたよ!」
「おい、補聴器つけないと聴こえないんじゃないか?どこだ補聴器は!」
「やだ、おじいちゃんまでボケてきたの?」
皆さんやたら大声で喋ってきて恐ろしい。
それよりも何故老婆になったかわからずパニックです。
皆さん私を差し置いて、あーだこーだと言いながら円卓に並んだご馳走を各々取り分けている様子。
老婆になったことは到底納得できないけれど、でも、目の前には見たこともないような美味しそうな料理がとてもたくさん並んでいて、愉快にお祝いしてくださっているのだからきっと大丈夫よね?
やっと心を落ち着かせた頃、目の前に肉や魚のご馳走が彩り良く盛られて皆さんに行き渡っていました。
豪華な食事の前では多少の不安など気になりません。
あら、わたくしのお料理は特別な料理のようです。
出された料理は皆さんより細かく刻んでスープのように作ってあります。
どの料理も晩餐会で出されたものよりも豪華で新鮮そう。
何故か止まらない震えを止めるためにお祈りしてから口に運びますと、どれもこれもとても柔らかくてとろみがあり、味がまろやかで、天下一の王宮料理番よりも美味しく頂けますわ。
「まぁ!こんな美味しい料理は初めて食べました」
思わず声をあげると皆さん慣れたように返事が返ってきました。
「昼も同じの食べたでしょ」
「やっぱりさっきの会話は偶然だわね」
「ののちゃん今日はおしゃべりだね」
こんなに美味しいご馳走は本当に初めてで、心底驚いているのに皆さんはまるで当然のような様子。
本当にいつもこんな素晴らしいご馳走を食べていらっしゃるの?
おじいちゃんと呼ばれていた老いた紳士が、どこからともなく橙色の豆を2つ持ってきてくれました。
食べるのかと思ったら、何を思ったかわたくしの耳にそれを詰め込むではありませんか。
「おっと!補聴器を投げないで下さい!」
豆が耳に入った瞬間、途端にとても煩くて驚いて豆を投げつけてしまったけれど、不可抗力だわ。
「お義母さん!これしたらみんなの声が聞こえるから付けましょう!」
彼が近くで怒鳴るような大声を出したので、耳がキーンと鳴りました。鼓膜が破れてしまうかと思いましたが間一髪無事というところでしょうか。
「ひどく煩くて、とても無理なの。あと、みなさんもう少しお淑やかにお話されたほうが素敵よ?」
突如訪れた静けさに耳が聞こえなくなったのかと心配していると、娘二人共が喋りだしたのが聞こえたので安心できました。
「ねぇ、ののちゃんヤバくない?なんていうか、すごい普通」
「補聴器が合わなくて必死とか?耳聞こえるの?」
「聞こえるわけないじゃん」
「あら、とても良く聞こえるわ」
確かにお婆さんになってしまったけれど、目も耳も大丈夫みたい。すべて聞こえています。
(ねぇ、怖いんだけど。今、会話に入ってきたよね?おばあちゃん聞こえるみたいだよ?耳って治るの?)
(治るわけないじゃん。聞こえるフリじゃないの?)
(認知症なのに?それも治るわけ?)
(知らないよ、あの増えた薬のせいかもよ)
(えーあのボッタクリみたいに高いやつ?)
途端に小声で話し出すそっくりな娘たちは双子かしら。テーブルを挟んで座っているからちっとも小声になっていないわ。
ちょっと失礼な娘たちだけれど、どちらも青みがかった黒髪で素敵。
こんな髪色は見たことないわね。何の染め粉かしら。
どちらも艷やかな黒髪で濡烏のようで美しいし、肌が白くてとても綺麗。
どうしましょう。やっぱり見た目では見分けがつかないわね。
小声のつもりでとても失礼な会話を続けているので、流石に何か物申したくなって来ました。
「聞こえるフリじゃありませんよ。きちんと聞こえてますし、頭もしっかりしています」
「「ヒェッ」」
続いて心配そうに話しかけて下さったのは、一番年上の女性。
「ねぇお母さん、今日なんの日だかわかる?」
「わたくしのお誕生日なのでしょう?祝ってくれて嬉しいわ」
「やだ?!会話が成り立つ…!」
会話が成り立つだなんて随分な物言いですこと。
さぁ、こちらから探る番よ。
「それよりも、どれもとても美味しいわ。これだけ作るなんてとても時間と手間がかかっているわよね。どこの料理番がお作りになったの?お礼を言いたいの」
「はいはーい!私が作りました!」
元気よく返事をしたのはテーブルを挟んで右前に座った娘。先程は気がつかなかったけれど、よく見れば頑丈そうなブルーの履き物が色褪せてビリビリだわ。
可哀想に、こんなに美味しいご馳走を作るのにこき使われているのかもしれません。
「レトルトのくせに!ののちゃん、私がオードブルとアップルパイ買ってきたよ」
「トロミを足したのだって私だし!オードブルはののちゃん食べれないじゃん!」
今度はテーブルを挟んで左側に座っている方の娘がアピールしてきました。
破れてはない服装だから、イジメはされてないのかもしれないわ。
褒めて褒めてとせがむ二人が、なぜかとても可愛く愛おしくみえます。
「ありがとう。とても美味しいわ」
「ユキもミキもとっくに成人なのに全く料理ができないんだから」
「サンドイッチなら得意だし」
「トーストならできるし」
ため息をついた初老の婦人がこの子達の母親なのでしょう。
二人を区別するにはナイスタイミングですので、思い切って年齢を聞いておきましょう。
するとまずは服装の破れてない方が答えました。
「30だよののちゃん」
「私25!」
思ったよりも随分お年でありました。
「大きくなりましたね」
「「ののちゃーん!!」」
それにしては見た目も言動も幼い気がしますけれど、きっと平たい顔族の方はそうなのでしょう。
アルカイック・スマイルでやり過ごして、可愛い二人の情報をしっかり頭に入れておきましょう。
さて、食事も終わり別室へと通されました。
わたくしの足腰はおおよそ言う事を聞いてくれませんでしたので、娘たちが車椅子で明るい部屋に移動させてくれたのです。
手伝いされながら椅子に腰掛けて周りを見回すと、センスの良いリンゴの置物がたくさんと、机の上に本が何冊も積まれていました。
布張りのそれは随分古びたものから新しそうなものまで何冊もあります。
古そうな物から中身を読みますと、見たこともない知らない文字。
遠くはよく見え近くでは霞んでしまう不思議な目が、老眼のせいだと気づいたのは数刻たってからで、ピントが合えば読めるそれは『昭和―』と見慣れぬ年号の日付から始まる和子さんの日記でありました。
見知らぬ文字でも読めてしまうのは不思議でしたが、懐かしいような最近のような。
読んだら大切な何かを思い出せそうな気がして手が止まりません。
日記の主は戦争で田舎に疎開したそうで、そこで勝手に婚約者を用意され終戦後に都会に帰ることを許されず、あげくに結婚式当日にその婚約者となる殿方に初対面だったとか。
わたくしも政略結婚でしたので、似たような境遇に心を痛めてしまいます。
しかし読み進めるうちに、殿方の素晴らしさが違うことは明白でした。優しく心遣いの出来るよい伴侶であったことや、子宝に恵まれなかった苦労を二人で乗り越え待望の子供の誕生のこと。
それから子供たちとの素朴で平和な日常が明快に愉快に記されています。
一見してとてもご苦労なされていますが、彼女は強くしなやかな発想で日々を過ごしてらっしゃるようでした。
逆境に強いポジティブな性格は、わたくしと同じでなんと素晴らしいのでしょう。
日記ですので勝手に読むのは憚られますが、しかしどこか懐かしいような、まるで自分で書いたような気さえしてしまいまだ読むのを止められません。
何冊か読んだあとにどこかのページから、はらりと一枚の紙が抜け落ちました。
―君を救えなくて後悔ばかりをしていた。君が幸せであることが僕の幸せだ。いつまでも愛しているよ―
「どうして―」
地面に落ちた紙には、わたくしが世界で一番大切に想って慕っていた彼の筆跡。
わたくしの専属護衛の文が何故こんなところに、しかもどなたか宛ての恋文だなんてと寂しく思いつつも拾い上げようと触れた瞬間、目の前がパッと真っ白になり知らぬ記憶が一気に雪崩込みました。
なんてこと、あなただったのですね。
知らぬ記憶ではありません。わたくしの記憶。
ここ数年の記憶は朧気ですが、和子として生きて99年。
「ののちゃん」とは大祖母を意味するあだ名で、今日は本当にわたくしの誕生日。
ここはわたくしの家で、先程お祝いをしてくれていたのは娘夫婦に孫娘とひ孫の二人。
このはらりと落ちた手紙の主は伴侶の実さん、でもこの文字はわたくしの前世で使われていた古代文字。
そういえば実さんは以前、酔った勢いで誰とも知らぬ女の惚気話をわたくしに聞かせたことがありましたが、それは前世のわたくしのことだったのですね。
その時にわたくしが思い出していれば、とてもとても拗れた夫婦喧嘩は無かったでしょうに。
何故もっとはやく思い出せなかったのでしょうか。
やり場のない怒りと、悔しさと寂しさが頬を伝ってきました。
「ののちゃん、大おじいちゃんの手紙?」
「ええ」
「いいなぁ死んでもラブラブで。悪いけど寝る時間だよ!アルクサ!照明を暗くして」
「ハイ、わかりました」
急に現れたひ孫のユキの呼びかけと同時にどこからともなく女性の声がしたと思った瞬間、部屋が勝手に薄暗くなり気づけば私はベッドに寝かされていました。
「暗くなったわ!」
「そうだねー、夜だから寝よう」
「あのお手紙を仕舞わないと」
「大丈夫だよ。手紙は仕舞ったよ」
「本当?」
「本当。アルクサ、眠れる音楽かけて」
♪〜
「まぁ!」
それまで静寂が支配していた部屋に、突然穏やかな音楽が!
わたくしは庶民として生きてきたはずで、楽団を雇うほどのお金など無かったはず。
焦るわたくしとは正反対に、アルクサがピアノのゆったりとした旋律を軸にして、私を夢の中へと誘おうとします。
しかし、この狭い部屋に楽団がいるなど到底安心して眠ることなどできません。
どこを向いても楽団の姿は見えないということは、もしかして狭い壁裏で弾いてくれているのでしょうか。
「ほんと、ののちゃんは毎日新鮮でいいねぇ。おやすみ」
ユキが退室した後、部屋に流れ続ける素晴らしい音楽に耳を傾けましたが、寝ながら聞くと言うとはどうにも失礼ではないのかと気になって眠れません。
しかし、アルクサの演奏は休憩も無しに次から次へと曲目が変わっていき、終わる気配がありません。
私が寝るまで演奏されるのでしょうか。
アルクサと呼ばれる影はなんと優秀なのでしょう。
しかし、やはり寝る時に音楽など経験したことがなかったのでなかなか寝付けません。
わたくしが寝なければ彼女もまた帰れないのでしょう。
永遠と演奏し続ける可哀想なアルクサに話しかけてみたくなってきました。
「アルクサ、演奏が上手ね。顔が見てみたいの。出てきてごらんなさい」
「すみません、よく聞き取れませんでした」
よほど引っ込み思案なのでしょうか。演奏は止まりましたが一向に顔を出してくれる気配はありません。怒らせてしまったのかしらと不安になるも眠気には勝てませんでした。
再び暗闇と静寂に包まれると、壁掛け時計の振り子の小気味良い音がよく聞こえて安心できます。
わたくしはいつしか眠りについたようで、気づけば朝になっていたのでした。
朝早く目が覚めたようで、カーテンの隙間からは淡い光が見え隠れして美しい影を作っていました。
昨日、もとい前世で美の象徴だった私の身体は、今や何度見てもシワシワの老婆のままで、何を差し置いても大切にしてきた輝く長い髪はぱさついて頼り無さげに地肌を薄く隠しているだけです。
こんなことになってしまうなんて。
もし実さんが生きていたら、もしもっと早く思い出していたら。
言いたいことたくさんあったはずなのに、肝心な時にいつも居ないんだから。
気持ちの切り替えをしたくて身支度をしたかったのですが、いかんせん身体が言うことを聞きません。
老婆の身体は、まるで薄い鉛の板が全身に貼り付けてあるように重く硬く、少し背筋を伸ばすだけでも節々が悲鳴をあげるのです。
やっとの思いで上半身を起き上がらせたところで、疲れて何もする気が起きなくなってしまいました。
老人とはなんと難儀でしょうかと戸惑っていると、若い娘があくびをしながらノックもせずに部屋に入ってきました。
記憶が曖昧でひ孫のどちらかなのはわかりますが、化粧を落とされてはどちらかなのかまったく予想が付きません。
「おはよののちゃん、今日も早起きすぎだよ〜」
「ごきげんよう。まだ寝ておいでなさいな」
「わぁ、今日も会話出来てる!ののちゃん私の名前わかる?」
「…ユキかしら?」
「ふふふ。そうだよ!ほんとに凄いね!ののちゃん凄い!」
当てずっぽうで当たって一安心。
ユキはニッコリ笑うとテキパキと私の身支度を整え始め、あっという間にお出かけスタイルに仕立ててくれました。
車椅子に乗せてもらい、どこに行くのか尋ねると近くの公園までお散歩するそうです。
まるでお城の庭園のように広々とした公園は、ゴミ一つなく様々な品種の植物が植えられており、街の治安の良さと豊かさを誇らしげに語っています。
「こんなに素敵な場所は始めて来たわ」
「毎日来てるよー」
車椅子はゆっくりと進み、東屋に着くとユキは慣れた様子でサンドイッチと果物と紅茶を広げてくれました。
「いただきまーす、あ、ののちゃんはこっちのサンドイッチね」
「ありがとう、いただきます」
わたくしの分は具材が細かく切ってあり、大きさも一口サイズで食べやすく加工してくれていました。
野外でパンにかぶり付くのは恥ずかしかったので、その心遣いが嬉しいと思うのもつかの間、あまりの美味しさに驚いてしまいました。
「なんて美味しいのかしら」
「でしょでしょー今日は白トリュフ塩いれてみたんだよねぇ」
「白トリュフ塩…?」
「この前カルティに行ったら安くなってたからどんなもんかと思ってさ、ののちゃんの口にあって良かった!柔らかく作ったけど、ゆっくり食べてね」
上機嫌のまま凄い速さで食べ終えたユキは、さっと取り出した大きい金属の板を覗き始めました。
更に彼女は、手元に置いたたくさんボタンのついた板を一心不乱に指で弾き始めました。
その不気味な姿を眺めていると、ユキはこちらに気づいておもむろにカバンを漁りだしはじめました。
「あったあった、ののちゃんの薬出すの忘れてたよ」
「えっこんなに?」
「そ、こんなに。毎回思うけどこれだけでお腹いっぱいになりそうだよね。最近種類増えたし大変だね。頑張って」
白トリュフ塩とはカルティとは何なのか、はたまたその板は何なのか気になりますが、半透明のケースから取り出されたそれが、何粒もあることに戸惑いそれどころではありません。
しかし十はあるであろう粒を飲まなければ、この言うことを聞かない身体が持たないことは明白なのです。
何回かに分けて薬を込み終えた頃、ユキが金属の板を畳んでカバンにしまうと、慣れた手付きで片付けをして帰り支度をしてくれました。
「ねぇののちゃん、さっき案件1つ終わったからちょっと寄り道しない?この前オープンしたレナトゥスの直営店が気になっててさぁ、ふふふ」
誘うと言う名の強制。わたくしは車椅子なので主導権はユキにあるのです。あれよあれよと連れられ着いた先は、お菓子のお店でした。
シックで高級感のあるブティックのような店内に、金のリンゴのモニュメント。宝石のように丁寧に並べられたリンゴを模した形のチョコレートたちがショーケースの中で相応しい方に食べられるのを待っているかのようです。
ユキが私のために選んでくれたのは、リンゴのフレーバーが豊かな一粒で、お店の一番人気のチョコレートだそうです。
「ののちゃんイートインがあるから、ちょっと食べてこうよ」
「ええ、そうね」
小さいテーブルに案内され、一口頬張るとチョコレートの甘さとリンゴの甘酸っぱさが見事に調和されて、まるで天国にいるような気分です。
「ユキとても美味しいわ!甘酸っぱいリンゴがとても素敵」
「美味しいねぇ。ここのお店ね、ずーっと昔に栽培されてた幻のリンゴをフレーバーにしてるんだって」
「昔のリンゴ?」
「そう、何千年前だかのお姫様のお墓から大量に出てきた種をここのパティシエが復活させたらしいよ」
「まぁ!」
「リンゴ姫のチョコレートって触れ込みでめちゃくちゃ有名だから、絶対に来たかったんだよね」
「変わった埋葬の仕方があるのねぇ参考にしましょうかしら」
「もぉやめてよ」
それからユキとお喋りしながら家に帰り部屋に戻ってきましたが、まだ先程頂いたチョコレートの余韻が抜けずに心が踊って仕方がありません。
「アルクサ、ユーチューべで並木路子のリンゴの唄かけて。じゃ、ののちゃん、好きな歌かけとくからヘルパーさんが来るまで待っててね」
ユキがそう言うと、部屋の黒いキャンパスがキラッと光り見知らぬ風景が現れ軽快な歌が流れ始めました。
「まぁ!魔法のキャンパスなのね」
老婆になってからというもの、驚かされることばかりで退屈しません。
芸達者なアルクサに感心しつつ、先程のリンゴの話をしたくてたまらないので、歌が終わったタイミングで聞いてもらうことにしました。
「ねぇアルクサ、レナトゥスってお店のリンゴのチョコレートを頂いたのだけどとても美味しかったのよ」
「それは良かったです。レナトゥスのリンゴのチョコレートについて調べます」
さっきまで美しい風景だった魔法のキャンパスにレナトゥスのモニュメントが現れました。
「アレクサはレナトゥスに詳しいの?」
「レナトゥスは、古代リンゴの復活に成功した発掘調査隊のメンバーでありパティシエであるジェームズ・スミスが手掛けています。どれについて知りたいですか?」
魔法のキャンパスからモニュメントが消え、チョコレートの写真や発掘調査隊らしき人たちなど数枚の精巧な絵が現れ、その中に見覚えのあるものが映し出されました。
共同墓地の遺跡という表記で映し出されたそれは、石造りの廃墟で、散乱した柱は割れたり折れたりとボロボロですが、かろうじて残っている装飾は見間違うはずはありません。
我が家の霊廟。
ドキンと大きく脈打つ心臓に急速に冷えていく指先。居ても立っても居られなり、なんとか脚を動かして椅子から降りてテーブル伝いにキャンバスまで辿りきました。
途中テーブルにある日記を数冊落としましたが拾っている余裕はありませんでした。
震える手でご先祖様の勇姿を模った装飾を撫でると、絵が突然変化して現れたのは横たわる二人のミイラ。
「キャァッ!」
「ののちゃん大丈夫!?」
慌てて転びそうになった私を助けてくれたのは、ユキでした。
「何してるの?大丈夫?」
「ミイラがっ急に!」
「ミイラ?あはは!これはびっくりするね!これさっき話したレナトゥスのリンゴ姫だよ。はい座って」
ユキは慣れた手付きで椅子に座らせてくれました。そして、気づけば興奮収まらぬわたくしのために温かい紅茶も出してくれていたのでした。
「え、ののちゃん泣いてるの?そんなに怖かった?」
「違うわ。霊廟が見れて嬉しいの」
「霊廟?あれは共同墓地の遺跡らしいよ」
「共同墓地ですって?違うわ。ここから近いの?」
「飛行機で一日かかると思うよ」
「一日ならすぐね!」
「飛行機だってば。パスポートも無いでしょ。行けないよ」
「でもね、ユキ…」
渋るユキに必死に説得をしてみますが、のらりくらりと返事をされ、話題を逸らされ一向にわたくしの話を真剣に聞いてくれません。
なんと不誠実な態度でしょうかとだんだんと怒りが募って来たその頃、空いているドアの向こうから声がかかりました。
「ユキ、大丈夫そう?」
「あ、おばあちゃん。ののちゃん歩いてたよ。今マシンガントーク中」
「えっ歩いてた?!やだ危ないわ。タブレット置く場所も考えなきゃね。悪いんだけどヘルパーさん来るまで一緒に居てあげて」
「うん、そのつもり」
「ユキ!わたくしの話を聞いているの?!」
「ごめんごめん。間近で見たいのはわかったけど、今はこれで我慢して。あったリモコン」
ユキがボタンの付いた小さい板を持つと魔法のキャンパスが我が家の霊廟を映し出しました。
「世界ふしぎミッケ!のリンゴ姫回見ようよ。神回だよ」
「まぁ」
魔法のキャンパスには、我が家の霊廟を現地でリポーターが取材しつつクイズ形式で紹介する番組が映し出されました。
ほぼ合っている研究結果に驚きつつ、わたくしの知らぬエピソードも判明していることがわかり更に驚いてしまいました。
それは、わたくしが死んでからのこと全て。
そして、学者が最も理解に苦しんでいるのは、姫のミイラに抱きつくようにミイラ化した男性1人と沢山のリンゴの存在。
学者にはそのミイラが誰なのか分からなくても、わたくしにはわかります。
だって、最愛の人ですもの。
「ふふ。あなたったらどんな死に方をしたの?」
「ののちゃん?」
「ねぇ、ユキ。実さんはこの場所のこと知ってるかしら」
「さぁ?私会ったことないからわかんない」
「わたくし、やっぱりここに行ってみたい。いいえ、行くわ」
「いつか行けたらいいね」
「ユキは、わたくしがどうせ行けないと思って他人事のように話しますけれど、本気なのですからね?」
「はいはい、おっヘルパーさん来たかな」
その後、動かぬ身体を必死に鍛えて一人で歩けるまでになるまで数ヶ月。
流動食から固形食の許可が降りるまで数ヶ月。
その間にアルクサにパスポートの作り方を教えてもらい、家族をひどく慌てさせたのは言うまでもありません。
99歳、夫の位牌を持って旅ならぬ、前世のわたくしたちのお墓参りに行ってきます。
お読みくださりありがとうございました。