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街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
9/30

 スマホのアプリで、どうにかそのビルを見つけた。


 1階は名前の知らないドラッグストアで、2階は歯科クリニック。3階には何かの事務所があって、最上階の4階にKSテック社の看板があった。


 私は加藤京子、29歳。工作機械用のセンサーを作る会社で働いている。

 女性だけれど、開発部門の研究職員だ。

 工学系の大学で、ずっとマンマシン・インターフェースの研究をしてきた。


 今の仕事は嫌いではない。でも、このところマンネリ感に苛まれている。

 本当は、次世代の自動車や、スマホに使われるようなマンマシン・インターフェースの研究がしたいと思っていた。


「ハロー、メルセデス」

 これは、ニュアンス・コミュニケーションズ社が、ダイムラーAGと共同開発した会話型AIだ。ハンドルを握りながら、色々の指示をすることが出来る。


 Googleの音声入力もそうだ。

 この二つのキーワードは、音声だ。

 AIに人間の言葉を理解させ、その命令を実行させる。


 私自身に、それだけの能力があるかどうかは疑わしい。

 でも、そんな開発に携わりたいとずっと願って来た。


 そんなストレスを紛らす為に、今はアイドルグループの真吾にはまっている。

 時間が合えば、かならずコンサートに行くようにしている。


 若きライバルたちと、熟女たちの金切声。

 その熱狂が、ストレスを発散させ、明日への生きるエネルギーを与えてくれる。


 数年前に、秋葉原の駅前でチラシを貰った。

 ”AIシミュレーションが貴方の夢を叶えます。アイドルだって思いのまま”


 あの時は、鼻でフンと笑った。

 大学で最先端の研究をして来た私には、そんなデタラメは通用しないと。

 でも、どこかに引っ掛かるところを感じて、そのチラシは捨てなかった。


 大学時代の女友達とは、いまでもラインで連絡を取り合っている。

 その彼女が、そのAIシミュレーションの情報をくれた。


「凄いのなんのって、今の日本にあんな技術を持っている会社があるなんて、ホント信じられないよ」

「凄いって言っても、ゲームセンターの乗り物型体感ゲームって感じなんでしょ?」

「とんでもない。そんなレベルじゃないのよ、これが」


 友人が続ける。

「マンマシン・インターフェースの感度が完璧に近いのよ。しかも、相互インターフェースよ。単なる一方向の技術じゃないの。五感を完璧に伝達出来るんだから」

「ウソでしょ。世界でもそんな技術は完成してないハズよ」

「ウソだと思うなら、実際に体験してみればイイじゃない」


 2週間前に、そのチラシを引っ張り出した。

 電話をかけると、渋谷に女性専用の店が出来たと言われた。


 すべて予約制。2週間待ちの状況だった。

 心待ちにしてようやく、その日がやって来た。


 昨日は、興奮して眠れなかった。

 憧れの真吾とデートが出来ることもその一つだったけれど、やっぱりその装置の能力を体感してみたかった。


 ドアを開けると、すぐ右手に受付があった。

「いらっしゃいませ。お名前を教えて頂けますか?」

 そう言ったのは、液晶モニターの中の女性だった。

 本物? それともCG? AIなのだろうか? 良く出来ている。


「予約している加藤京子です」

「あっ、加藤様ですね。お待ちしておりました」


「今のロスアンゼルスの時間と天候と気温は分かりますか?」

 AIの能力を図る為に、ワザと変な質問をした。

「はい、現在の日本時間が日曜日の午後1時50分ですので、ロスの現地時間は前日土曜日の午後8時50分。天候は晴れ、気温は18度です」

 AIは淀みなく答えた。


「本日のご料金は、2時間で6千円となります。お支払は、現金、スマホアプリ等で可能です。装置の中でお願い致します。10分程でご使用可能です。後ろのソファーに掛けてお待ちください」


 後ろを振り返って、私はのけ反りそうになった。

 ソファーに、熟女が一人、初老の女性が一人。手にはアイドル雑誌を持っている。

 少し、めまいがした。JKから見たら、私もお仲間になるのだろうか?


 3台の装置があった。それぞれが、防音ガラスで区切られている。

 数分待つと、軽快なメロディーが流れて、それぞれの装置の扉が開いた。

 中から現れたのは、熟女、熟女、初老。

 真吾のコンサートとある意味同じ状況だった。

 今日は、コンサートに来たつもりで、楽しもうと決めた。


 装置の中は、案外と広かった。

 目の前には大型の液晶モニター。マッサージチェアーを思わせるゆったりとしたソファー。消毒済みと書かれたケースの中には、薄手のヘルメットと液晶ゴーグル。

 そして、スキー手袋の様なもの。


 これらが、この会社のマンマシン・インターフェース装置なのだ。

 私はそれらをケースから出して、装着した。

 きつ過ぎるという事はない。ちょうどフィットした感じだった。


 液晶画面の女性の指示に従って、料金を支払った。

「加藤様は初めてですので、画面の指示に従って操作して下さい」


「ご予約では、”アイドルとのデート & ちょっと危ないところまで行っちゃうぞ” コースとの事でしたが、それでよろしかったでしょうか?」

「はい」答えながら、顔が少し赤くなった。 

「アイドルは真吾さまでよろしかったでしょうか? 間違いがあると大変ですので、表示されたアイドルから選択してください」


 ん? 

 山城しんご。柳沢しんご。村上しんご。香取しんご。藤森しんご。・・・

 アイドルグループの真吾はかなり後ろの方にあった。

 このソフトの開発者は、もしかしたらかなりの年配者かも知れない。


(あぶねー。山城しんごだったら、逆に金貰わなくっちゃ)

 知らず知らずのうちに、私の心は、コンサートの開始を待つ、ただの一人の女性のそれに変化していた。この装置を調べるという気持ちは吹き飛んで、ウキウキとはしゃぐ、素の自分になっている。


「乗り物、デートの場所、キス(軽め、深め)、おっぱいまでは(OK,NG)を選んでください」

 そのジョークみたいな軽めの質問が、さらに私の心を解放させる。

 乗り物はバイク、デートの場所は海。真吾とのキスならもちろんディープ。胸までと言わず、なんならすべてでもオーケーよ。


「消毒済みの機器をお使いになると、よりディープで、リアルな感触を得ることが出来ます」

「見えてないんですか? 私は、もう、フル装備ですよ」

「お待たせしました。それでは、KSテック社のAIソフトをご堪能下さい」

 真吾とのデート。その期待に、私の心は、もうはち切れそうだ。

 

 最初の2分間。

 ハーブの香りとリラックス出来る音楽が流れた。

 霧に包まれていた画面が次第に鮮明になる。

 そこは渋谷の交差点だった。


 自分の服装を見ると、白のTシャツにGパン。

 ピンクのブラが、Tシャツから透けている。

 やる気満々やないケ、自分。


 ブヲヲヲヲーーン。

 けたたましい音と共に、私の前で大型のバイクが停車する。

 乗っていたのは真吾。ウエーブした長髪、その下の切れ長の目が、私をジッと見つめる。

「乗れよ」


「わーー、真吾だ!」

 私の周りにいた女性たちが、一斉に声を上げる。

 駆け寄ろうとした彼女たちを、真吾は左の手の平をかざして静止させた。

「ゴメンね。今日はこいつとデートなんだ」


「えーーーっ!!」

 彼女たちは恨めしそうな顔で私を見る。私は恥ずかしそうに下を向いて、後ろのシートに跨った。

「しっかり掴ってろよ」

 Tシャツしか着けていない真吾の上半身を、私は思いっきり抱きしめた。


「ナニよ、この女。もっと離れなさいよ」

 嫉妬に狂った女たちの声が、むしろ私を燃え上がらせた。

 私の手の平には、真吾の鍛えられた筋肉の硬さが。そして、背中にくっつけられた頬っぺたには、血の通った真吾の温かさが伝わって来る。


 ブヲヲヲヲーーン。

「行くぞ」

 バイクの急発進に、私の身体が引き剥がされそうになる。

 私は必死に真吾の身体にしがみついた。


 何? このリアリティ・・・は。

 私は、心の中で、そう叫んでいた。


 どこをどう通ったのかは知らない。いつしか海に来ていた。

 その間の私はただの野獣。ひたすらこの手で、この頬っぺたで、この鼻で、この唇で真吾のすべてを貪っていた。どさくさに紛れて、真吾の何に触れようとしたのを、キスまでは、おっぱいまではと必死に我慢した。


 きっと、あの待合室の熟女や初老の女性なら、アーラ、やだー、揺れがひどいからーーー。

 って触っていることだろう。そうなったら終わり。私もお二人の仲間入り。

 でも、料金は払ってるし・・。そんな嫌らしい心が湧き上がってくる。


 触ったもん勝ち。触らずに死ぬか、触ってから死ぬか?

 私の右手が、真吾のチャックの辺りをウロウロと空回りする。


「京子、着いたぞ」

 真吾の手が、私の絡みついた手を引き剥がした。

 私は仕方なく、バイクから降りた。目の前に、その美しい顔があった。

"なんという美形、なんという爽やかさ” 

 触らなかった自分を褒めてあげたい。


「なんか飲むか?」

「真吾に任せる」

 決まった。行けてるぞ、自分。


 真吾は自動販売機で、コーラを買った。

 手にしているのは一本だけ。

 私に渡す前に、真吾はゴクゴクとそれを飲んだ。

「ふーー、うめー。残りはお前の分だ」


 ウーーー、ワン。

 私の心は、お預けを喰らった野良犬。


 ペロ、ペロ。ペロ。

 でも、実際には、ミルクを舐める子犬の様に、コーラの缶を舐める。

 うめーーー。サイコーーー。


「お前、変な飲みかたするな」


 クイーーン、クイーーン。

 私は、子犬の様に上目づかいに真吾を見つめる。

 コンサートの時は米粒くらい。今の真吾は実物大。

 写真撮ったら、残るんかい?


「ちょっと歩こうぜ」

 背中を向けて歩きだした真吾の後を、子犬の様に飛び跳ねて追いかける。

 左手を掴んで、ワザと体を押し付ける。

 下から真吾の顔を覗き込む。


 もー、止めてーー。カッコ良すぎるんだからーー。

 右の胸を、真吾の腕に擦り付ける。

 私、いつでもオーケーですから。


 何か知らんけど、さっきまでギラギラだった太陽が、夕日にかわった。

 耳元で、真吾の新曲が流れ始める。

 何か知らんけど、浜辺にベンチがあって、しかも二人の姿を隠すパラソル付き。


「ちょっと、休もうか?」

 よっしゃー、来ました。ごっちゃんです。


 ベンチに座った私の肩に、真吾の左手がさりげなく回された。

 その手を見ていた私の顔を、真吾の右手が真吾の方に引き寄せる。

 迫る真吾の顔、その唇が、私のそれと重なる。

 そっと忍び込んでくる、真吾の柔らかな舌。


 なんじゃー。このリアリティーは・・!!!


 その後は、夢のひと時。


 装置のドアが開いて、軽やかなメロディーが聞こえて来た。

 でも私は、まだ夢の中にいた。もう、ここから出たくない。


 防音ガラスの扉から出るとき、隣に座っていた初老の女性と目が合った。

 その上気した表情に、彼女の満足感が現れていた。


 受付で、私は次回の予約をした。

 もう、1か月先まで埋まっていた。

 ああ、真吾。今すぐに会いたい。その逞しい腕に抱かれたい。


 ビルから出て、渋谷の駅に向かう途中で、私はあっと叫んだ。

 しまった。真吾の何に触るのを忘れていた。


 ウーーー、ワン。

 私の心は、お預けを喰らった野良犬みたいだった。


 ガシャ。


 シューゼ社の実験室に置かれた体感型バーチャル映像システム(通称BVPS)の中から女性の被験者が現れた。

 彼女はゼーガ社から新たに審査委員に選出された加藤京子だった。


「どうでした?」

 シューゼ社の開発者に質問された彼女の眼はまだ虚ろに漂っていた。


「あれ? 私って、工作機械用のセンサーを作る会社で働いている開発部門の研究職員ですよね?」

 彼女はKSテック社のソフトが作り上げたストーリーの中から、いまだに抜け切れずにいるみたいだった。


「いいえ、あなたはゼーガ社から出向している審査委員ですよ」


「あのー、来月の予約は大丈夫ですよね?」


 

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