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引き続き、赤坂の料亭。
「そもそもの話なんどすけど・・・」
専務の西村が切り出した。シューゼ社の専務という立場では、会社では聞けないことである。
「うちの装置に付いてるHMIやら、BMIたら言うのは、ホンマに効果があるんどすかいな?」
経理が専門で、装置に対する基本知識もなければ、ソフトを体験したこともない人間なのだから、当たり前と言えば当たり前の質問であった。
「正直な話、あの装置のハード部分の性能はピカイチです。恐らく世界でもこれほどのスペックを持っている装置は無いと言えますね」
ほーー。
西村は少し赤くなった顔で声を上げた。
「目で見る情報と言うのは、ゴーグルの液晶画面から得られる訳どすから、イメージ出来るんですが、HMIは実際には何もさわってないわけどすやろ・・」
「手で感じる触感というのも、現実の世界でも結局は圧力センサーによって得られてる訳です」
「えっ、ワテの手にも圧力センサーなんてものが付いとるんでっか?」
西村が自分の両手を見ながら素っ頓狂な声を上げた。
「もちろんです。人間の身体にはあらゆる場所にセンサーが付いています。手にも皮膚にもです。それを電気信号に変えて脳に送っている訳です。ですから、HMIから疑似の圧力を加えてやれば、手は何かを触ったと勘違いをする訳です。さらに、この装置では、BMIとも連動しているので、圧力センサーの信号を加工して脳に伝えています。それで、より実際に近い印象を得ることが出来るわけです」
「ほうでっか・・。ワテラの身体にはセンサーが付いとるんでっか・・」
西村はいまだに理解出来ていない様だった。
「でも・・・、匂いとか味とかはどうなっとるんでっか? あの装置には、付いとりませんでっしゃろ」
この際、頭に浮かんだ事はすべて聞いて置きたかった。
「それらはすべてBMIによって脳に直接送られます。電気信号としてね」
「脳に直接・・・でっか?」
「視覚は脳の後頭葉で、聴覚は側頭葉で、嗅覚は側頭葉の内側で処理されています。ですから、その部分に直接疑似の電気信号を送れば、脳はそういう刺激を受けたと勝手に理解するという訳です」
「まるでロボットみたいでんな」
西村は自分の身体を見渡しながら呟いた。
「その通りです。結局のところ、人間というのはセンサーの刺激を脳で処理するロボットみたいなものだと言えるでしょう。つまり、美味しいものを食べたいからといって、高級な料理を食べる必要はないのです。マズイものでも、脳に疑似信号を送ってやれば美味しいと感じることが出来るんですから」
太田の言葉に、
「ケッタイナ世の中になってしまうんですな・・」と、西村は首を振った。
「まっ、この話はこんなところにしておきましょう。折角の料理が不味くなってしまいますからね」
宮地がそう言って西村のコップに酒を注いだ。
太田の自宅マンション。
暗いマンションの一室で、男はうっとりとした目でナイフに見入っていた。
自衛隊と海上保安庁で使用されている64式7.62mm小銃に装着される64式銃剣である。黒光りした剣先。こげ茶色の握り。
彼は、人を殺す事を目的として作られた、そのシンプルで力強い姿の銃剣をこよなく愛していた。
本来ならば、この銃剣の所有は法律で許されていない。しかし、太田はそれを自衛隊幹部から特別に手に入れた。
嫌な事があった時、彼はいつもその鋭い剣先を見つめながらある事を想像した。
自分に屈辱を与えた相手の喉下に、その銃剣をそっと押し付ける。恐怖に引き攣ったその顔に、ツバをはき、そして命乞いをさせるのだ。
私という人間に逆らったという過ちの大きさを嫌と言うほど思い知らせてやる。
その鋭く磨かれた刃がゆっくりと横に移動しただけで、目の前の人間の喉は簡単に切断されてしまう。それは当然の事ながら、その人間の死を意味していた。
この夜、彼のターゲットはあの小林エリカだった。
大勢の人間の前で、自分の事を侮辱した女。
美しい顔と優れた頭脳を合わせ持った、憎むべき女である。
出来る事ならば、いま彼女の喉下にこの剣先を押し付けたかった。
自分に対して命乞いをさせてみたかった。
彼は、シューゼ社の入館証の為に撮影された彼女の写真をモニター画面一杯に映し出していた。しかし、その画面にいくら銃剣を押し当ててみても、彼女の顔が引き攣る事はない。
彼は、諦めたように銃剣を専用のホルダーにしまった。
そして、代わりに本棚から愛読書であるクラウゼヴィッツの“戦争論”を手に取った。
クラウゼヴィッツとはプロイセン生まれの軍人である。その著書“戦争論”は近代における戦争の本質を突いた古典的な名著として多くの軍人達から愛読されてきた。
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」
太田は、彼の著書の有名な一節を口にした。
そして、「戦時下に置いては、女子供は奴隷と同義である」、
「圧倒的な戦力の前には、女子供のたわ言などなんの意味も持たない」
と自分勝手な戦争論を続けて口走った。
モニター画面の小林エリカの顔に視線が釘付けになった。
その途端に、あのKSテック社のソフトでの一場面が彼の胸をえぐった。BMWの中での彼女に似た女とのキスシーン。あの濡れた唇。あの豊かな胸。甘酸っぱく、そして痛いほどの切なさが、鋭い刃先で彼の心に食い込んで行った。
「くそっ、俺としたことが・・・」
太田は、モニターの電源をブチンと消した。暗闇と化した部屋の中で、狐の様な細い2つの瞳だけが鈍く燃え続けていた。