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赤坂の料亭。
本来ならKSテック社のソフトが不採用になった事を祝う為の、ゼーガ社主宰の宴会のはずであった。しかしKSテックの反撃にあって、急遽反省会になってしまった。ゼーガ社の営業部長である宮地は、太田から説明を聞いておきたかった。
「太田はん。今日は危ないとこでしたな。一瞬、どないしようかと思いましがな」
ビールを飲み干した後、西村専務が言った。
「奴らが、HMIに血圧計を仕込ませていたのは予想外でした。でも、次回の評価ではその対策はキッチリ取らせて貰います」
太田の顔は笑ってはいない。今日の屈辱を何倍にでもして、返すつもりだ。
「期待してますよ」
ゼーガ社営業部長の宮地がビールをコップに注ぎながら言った。この宮地という部長の特徴は声の大きさと、媚びの上手さである。相手を持ち上げ、お酒を酌み交わす特技で、彼は副社長に取り入った。そしてその娘と結婚する事で、この地位まで上り詰めたのである。
「ただ、実際のところはどうだったんですか?」
そしてもう一つの特技が、危機対応に関する特殊な感性である。その場の雰囲気や状況を特殊なアンテナで拾い上げ、巧みに舵を切っていく。
「どうだったと言うと・・・?」
「いや、KSテックのソフトの評価です。55点と言うのは実感ですか?」
宮地は、今日の太田の失態に少し不安を感じはじめていた。ライバルである彼にはKSテック社のソフトを体験する事は出来ない。あくまでも、評価委員会の情報を信じるだけだ。しかし、彼らの送り込んだ評価委員からの情報を聞いて、彼はKSテック社のソフトに対して脅威を持ち始めていた。
「そのことですか。そうですね・・・」
太田は言葉を選んでいるかの様に天井の方に視線を漂わせた。
彼は、どこまで本当の事を言うべきかを計算した。彼が体感したKSテックのソフトは、これまでに経験したことがないほどの仕上がりだった。そうでなければ、彼ほどの被験者があれほどの失態を見せる筈がない。
特に、彼の冷静さを失わせたあの3回のスイッチ。あれは、人工無知のソフトでは考えられないタイミングだった。もしかして、AI(人工知能)は彼の感情を爆発させる術を身に付けているのかも知れなかった。しかし、そんなことを言えば、彼の存在意義は失われてしまう。
「もし、私がフリーの立場で点数を付けたとしても65点というところでしょうか」
太田は、安心させる為に嘘をついた。
「65点ですか・・・。という事は、それ程の相手ではないということですね。安心しましたよ。で、ちなみに我々の評価は95点でよろしいんですね」
「100点満点であれば・・・」
太田はわざと気になる言い方をした。この際、彼らにも多少の危機感は持たせて置いた方が良い。
「先生、それはどういう意味ですか」
宮地は意味が分からずに聞き返した。当然の事ながら満点は100点の筈である。
「シューゼの期待するのが人工無知のソフトなら、貴社のソフトは十分に完成されています。ご安心下さい。ただ、KSテックの作品は人工知能をベースに作られています。正直、まだ荒削りで貴社のソフトほど洗練されてはいませんが、何かもの凄い余裕というか、可能性を感じました」
これは、実のところ太田の本心であった。
「何ですか、もの凄い余裕というのは」
宮地は太い眉毛を八の字に曲げて質問した。ソフトに対して使う言葉では無いような気がした。
「どう表現したら良いんでしょうか・・・。中に生きた人間がいて、こちらの事を観察している様な感じ・・・、とでも言ったらいいのでしょうかね」
「中に人が入っている?」
宮地はますます困惑してきた。彼が知る限り、ゼーガ社のソフトでその様な感覚を持ったものなど聞いたことが無かった。
「太田はん。先程から仰ってはる、人工無知と人工知能の違いって言うのは、一体どないな事でっか。わてにはゼーガのゲームソフトにだって色々なバリエーションがある様に思えてならんのどすが・・・」
西村専務が口を挟んだ。専務という立場ではあるが、彼の経歴は技術ではなく経理畑である。彼には専門の知識など無かった。
「確かに専務のおっしゃる通り、現在のゲームソフトはプレーヤーの技術が上がれば上がる程、次のステージに上がって行ける様に設計されています。しかし、それはあくまで技術者側がそれらを見越した上でその様に設計しているからです。
例えば銀行のATMを例に取ると、カードを差し込むと暗証番号を聞いてきます。暗証番号をクリアーすると、入金か出金か送金かと聞いて来ますよね。そこで入金を選ぶと、それに応じた選択肢を提供する・・・。お分かりですか?」
「はあ、なんとなく。で、人工知能ならどないなるんどす?」
「人工無知は、既に設定された以外の選択肢を持っていません。つまり、ATMで入金を選んだ後、ドルやユーロで入金して、今の換算レートで日本円にして口座に入れて欲しいなんていう複雑な要求には応えられません。ゲームソフトの場合でもプレーヤーが設定値以上に技術を上げれば、プレーヤーの次の要求に応える事は出来ないのです。しかし、AIの場合は違います。ゲームをしながら成長しているのはプレーヤーだけではありません。ソフト自身も、プレーヤーのレベルや傾向、そして弱点などを学習して行く事になります」
「それじゃ、あんた。いつまで経ってもゲームを攻略出来んのとちゃいますか?」
経理畑の西村に取っては、割りにあわないソフトである。
「その通りです。つまり、ソフトメーカーにとっては1本しかゲームが売れなくなってしまいます。それでは商売にはなりません」
「シューゼにとっても、それはマイナスと言うことになりますな」
「いや、ゲームセンター用のゲーム機の場合は、むしろプラスになるでしょう。プレーヤーがあるゲームにハマッテしまったとします。彼は何とかクリアーしようとして、毎日ゲームセンターに通い続ける事になります。しかし、いつまで経ってもクリアーする事が出来ない。いつしかゲームマニアの間で評判になると、俺が一番にクリアーしてやるというブームを巻き起こすことになるかも知れません。いや、その可能性は非常に大きいと言えるでしょう」
「先生、でも今回のソフトはゲームではありまへんがな・・・」
「専務、確かに今回のソフトはいわゆるゲームソフトではありません。しかし、既に被験者の動きによって違った反応をするように設計されています。それは直ぐにゲームソフトへの応用が可能です。KSテック社は、きっとそれを提案するでしょう。大熊社長もその可能性に気付きはじめているじゃないですか」
「しかし、太田はん。もしゲームセンターで50万人の人間がプレーしたとしまひょか。先程先生が仰った様な、プレーヤー個々の傾向や弱点を、人工知能はどないして認識と言うか識別するんどす?」
「HMI、BMIと言うのは、双方向のインターフェイス技術です。
つまり機械側から見ると、感覚や温度といった情報をプレーヤーに出力するだけではなく、KSテック社が行った様に、私の血圧などの情報を入力する事も出来ます。もし、HMIに指紋認識装置を取り付ければ、50万人はおろか1000万人でもプレーヤーの違いを識別する事が出来ます。
それは、音声認識装置でも、網膜認識装置でも構いません。更に、ゲーム装置を広域LANでつなげてしまえば、あのAIソフトは爆発的な成長を遂げることになるでしょう」
「なんと・・・」
西村と宮地の二人は絶句して、動けなくなった。
「ほんまにあのソフトには、そないな事が出来まんのでっか?」
西村の言葉に、太田はコクリと頷いた。
「何としても、ここで叩いて置かなければ、大変なことになりますな」
ゼーガの宮地が拳を握り締めた。