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街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
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 太田薫の自宅マンション。


 太田薫は自宅のベッドに横たわっていた。

 彼は疲れた頭で、シューゼ社での出来事を考えていた。

 2ヶ月前の評価では、ミッコリンは素直に彼の愛を受け止めてくれた。問題なのは最後まで行けなかった自分の方だった。しかし昨日のモニターでは、ミッコリンを小林エリカに変更しただけなのに、あのAIソフトは私を敵の様に扱った。


 シューゼ社の装置はインターネットに繋がれてはいるが、社外からの侵入を防ぐ為の完璧なファイアーウォールに守られている。だから、本来ならばシューゼ社でのモニターは2ヶ月前と同じ結果でなければならない筈だった。


「あのAIソフトは、今や私を完全に敵と認識している。小林エリカにはそんなことをする時間は無かったはずだ。下田や芦川にはその様な技術はない。とすると、誰があの装置に私を敵だと認識させたのだろうか・・・」


 どんなに考えを回らせて見ても、彼には回答を引き出す事が出来なかった。

「月曜日になれば、どうせあの装置からアンインストールされるのだから、深く考える必要もないか・・・」


 太田はそう思いながらも、得体の知れない恐怖心に襲われていた。それは、まるで彼自身の体の中にあのAIソフトがインストールされているかの様な感覚だった。昔あった笑い話のように、パソコンのウイルスが人間に感染したようなものだ。


「ばかばかしい・・・」

 太田は、コーヒーでも飲もうとベッドから立ち上がった。

「もし、俺がいまだにAOIちゃんの中にいるとしたら・・・」

 唐突にそんな問い掛けが頭の中を過ぎった。


「どうやったら、中にいるのか外にいるのかを確認出来るんだろうか?」

 試しに、彼は自分の頬っぺたをつねって見た。

「痛い」彼はホッとした。しかし、それはAOIちゃんにだって出来ることだ。

「ばかばかしい・・・」


 太田は同じ事を呟いた。しかし、一旦頭の中に張り付いた疑念は易々とは消えてくれなかった。いや、むしろどんどんと膨れ上がって行く。


「今から秋葉原に行ってみたらどうだろう。AOIちゃんの中にいる俺が、AOIちゃんに入ることはで・・・・、出来る・・・」


 太田は、彼がAOIちゃんの中に監禁されている場合の矛盾点を考え始めた。AOIちゃんに出来ない事とは一体なんだろう。

「食事はどうする。シミュレーションでお腹を膨らませる事は出来るだろうか。フロやトイレだってずっと無しという訳には行かないはずだ・・・」


 そう思い当たって、彼はホッとした。今の自分は空腹を感じていない。そして、彼が最後にAOIちゃんを体感したのは、1週間以上前の筈である。汚い話だが、どんなに優秀な匂い発生装置でも、自分が垂れ流した汚物の匂いを消すことは出来ない。


「なんだ、俺はちゃんと外にいるじゃないか」

 つまらない妄想に動揺してしまった自分を、彼は恥じた。

「しかし・・・、それならば、なぜシューゼ社の装置が私を・・・」


 そして、彼の思考は再び振り出しへと戻る。

「催眠術・・・」

 突然、忘れていたキーワードを思い出した。


「もし、AOIちゃんが俺に催眠術を掛けたとしたら、俺は一体どうなってしまうのだろうか?」

 彼が知っている催眠術とは、CIAやKGBが使っていたとされる人間ロボットだ。日ごろは普通の人間として暮らしているのだが、ある日突然、潜在意識の中に埋め込まれたキーワードを告げられると、一瞬にして組み込まれたプログラム通りのロボットに変身してしまう。爆弾を抱えて政府の重要な施設を破壊する事だって可能だ。その人間には、その間の記憶も恐怖もないという。


 しかし、あの元KSテック社員の佐々木から聞いた限りでは、AOIちゃんに搭載されている催眠ソフトはいたって単純なものだった。到底、CIAが行っている催眠技術には及ばない。


「もしかしたら、俺はあの小林という元自衛官を甘く見過ぎていたのかもしれない」

 シューゼ社で見た、あの男の落ち着き払った姿を思い出した。

 当然のことながら、小林についてもいろいろと調べていた。しかし、自衛官時代の情報はそれほど入手出来なかった。ひとつ言えることは、軍人というよりも、技術者としての経歴が圧倒していた。軍事シミュレーションの優秀な開発者という声もあったが、アメリカ製のシミュレーションに大敗して硫黄島に島流しにされたという噂の方が勝っていた。もしかしたら、その情報すら小林が流したものかも知れなかった。


 太田は激しい後悔の念と供に、本物の恐怖を感じた。


「もしかしたら、俺の深層心理の中にはCIAレベルの催眠が埋め込まれているのかもしれない。もし、そうだとすれば、俺はいつでも小林に操られてしまう。警察に訴えても何の証拠もないばかりか、自殺に見せかけられて殺されるかも知れない」


 太田の中で、恐怖が次第に大きくなっていった。

「ばかばかしい・・・」

 3回目の言葉を繰り返した。全てが本当の様であり、全てが彼の頭の中だけの空想の様に感じられた。どちらにしても、それらを確かめる術はない。


「くそっ、このままじゃ頭がおかしくなりそうだ」

 太田は、スマホを取るとシューゼ社の田中主任に電話を掛けた。約束していたロードスターを貸して遣る積もりだった。


 3回目の呼び出し音で、相手が出た。 

「おい、太田。なんで電話なんて掛けてくるんだ。お前は首だって言われただろう」

 突然、田中が予想もしない事を口走った。言葉の調子も恐ろしく冷たい。


「なっ、なんで俺が首にならなきゃいかん。お前、どうかしちまったのか?」

「どうかしちまったのはお前の方だろうが。この前の評価委員会で、KSテックのシステムをべた褒めしたのはどこのどいつだ。挙句に、人工無知のゼーガのシステムには未来は無いなんてぬかしやがった」


 太田にはそんな覚えは全くなかった。田中は何か勘違いしている。

「ちょっと待てよ。俺はあの時、佐々木という男にKSテックの過去を暴露させたじゃないか。奴らのAIシステムが催眠術を利用しているってね。大熊社長を激怒させて、ゼーガ社を勝利に導いただろう」


「おまえ、頭がおかしくなったんじゃないのか」

 田中の落ち着いた様子に、太田は少し不安になった。


「まさか、本当に俺がそんなこと言ったのか」

「覚えてないなんて言わせないぞ。西村専務はカンカンだ。お前をこの業界から追放してやると息巻いている。ともかくお前はもう終わりだ」


「ちょっと、待てよ。もしかしたら、俺は奴らに嵌められたの知れん・・・」

 ツー、ツー、電話が切れた。

「く、くそっ。一体、どうなってるんだ」


 その時、再び太田のスマホが鳴った。見ると田中の番号だった。あの野郎、俺の事を引っ掛けやがったな、と太田はホッとしながら思った。

「太田です・・・」

 彼は冷静を装って返事した。バーカ、騙されやがって、という言葉を期待していた。


「南十字AOIです。至急おいで下さい」

 電話の主は、AOIちゃんだった。太田の表情が変わった。

「はい、今すぐにお伺いします」 

 

 ブーーーー。


 何かのシミュレーションをしていた様だったが、太田には不思議とその記憶がなかった。終了を告げる警告音が鳴ると、突然シミュレーターの画面にあのAOI婆さんの後ろ姿が現れた。彼女は振り返りながら言った。


「Eーとこですまんけど、時間切れでゴンス。エンチョーするね?」

 太田は、不機嫌な表情だった。

「いいや、結構だ・・・」

「どげんやったね、満足したね?」


 彼の不機嫌な思いなど感じ取れないのだろう。モニター画面の中でAOI婆さんが不必要な愛想笑いを振り撒く。


 モノクロの映像の中で、なぜかクチビルだけが赤く色づけされている。太田はエゲツナイ表現にうんざりして顔をしかめた。しかし、彼の頭を混乱させていたのは別のことだった。


「俺は、何をシミュレーションしていたのだろうか・・・」

 彼の不安をあざ笑うかの様に、AOI婆さんは媚を売ってくる。

「どんげね。もう一回エンチョーするね?」

「シツコイ!」


 そう一括すると、装置の扉に手を伸ばして立ち上がった。

「そうね。エンチョー無しね。これに懲りんとまた来てケロ・・・」

 彼の後ろでは、液晶画面の中のAOIちゃんが、赤い唇を突き出して投げキッスを繰り返していた。


 太田は、装置から出るとふっと深く深呼吸をした。物凄い疲労感が彼の体中を満たしている。気が付くと額に汗が浮き上がっていた。

 

 いつもと同じように、ドアのポッチを押して鍵を閉めるとエレベーターに向かった。妙に足が重く感じる。エレベーターのボタンを押しすと、キュイイイイーーーンと、ワイヤーが引かれる音がして旧式のエレベーターが上がってくる。


 ズン。という振動の後にエレベーターのドアが開いた。1階のボタンを押すと、エレベーターのドアが閉まって、キュイイイーーンという音と共に下降を開始した。太田はホッとしたのだろうか、緊張が切れたようにポツリと呟いた。


「エリカくん。完璧な装置の中で、あのAOIちゃんだけは、唯一悪趣味だね」

 次の瞬間、騒がしかったワイヤーの音が消えた。彼にはエレベーターの空間が真っ白になった様に感じられた。


「ホンゲネ(本当に)・・・」

 太田の頭の中で、誰かが囁いた。

「まさか、俺はまだAOIちゃんの中にいるのか・・・?」

 ズン。という振動と供にエレベーターが一階に着いた。ドアが開くと、太田は逃げるようにして外に出た。また、何時もの様に日が暮れていた。

「まさか・・・」

 スマホの日付を見た太田が、思わず声を漏らした。アクション部門の評価会議から3ヶ月が経っていた。

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