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国会議事堂。衆議院議場。
「総理、どうしてインド洋で給油活動を行っている筈の護衛艦が、公海上で不審船に発砲行為を行ったのですか?」
M党の女性議員である紅議員が質問した。
議員歴15年のベテランであったが、こんなタイミングで質問のチャンスがめぐってきた事は初めてであった。
もしかしたら、日本の政治史に名前を残す事が出来るかも知れなかった。
彼女は、政治家を続ける為に全ての事を犠牲にして来た。家事を捨て、夫と離婚し、一人息子も夫の方に引き取られた。
しかし、それは彼女だけのことではない。政治家を目指す女性達は大なり小なり同じ様な境遇を体験している。彼女はこの千載一遇のチャンスで、華やかな自分をアピールする積もりだった。
「護衛艦“むらさめ”は、一昨日同じ護衛艦である“いかづち”に引継ぎを行い、母港である横須賀基地に向かっておる途中であったと聞いております。その途中で、ギリシャ船籍の旅客船からの救助信号を受けた為、国際航海法に基づきその様な行動を取ったと認識しておるところです」
不幸田はノラリクラリとかわす作戦だ。
「総理、私は公海上で不審船に対して発砲行為を行ったのかと質問をしているのです。この点について明確にお答え頂きたい」
「いわゆる発砲行為は、しておらないと認識しております」
「総理、そんな嘘は通りませんよ。自衛隊のヘリが機銃掃射をしているところを、国民はテレビで見ているんですよ。明らかに発砲しているじゃないですか」
紅議員は首相の不幸田ではなく、テレビカメラに向かってポーズを取った。そうだ、私は憲法順守を高らかに掲げるヒロインなのだ。
「それはですね。警告を与える為の威嚇射撃でありましてね。これは、いわゆる発砲とは言えないんじゃないかナーと、認識しておるところであります」
不幸田は明日の新聞の見出しを気にしている。
自衛隊機が不審船に対して、“発砲”では困るのだ。いったん認めてしまえば、その言葉が一人歩きを始めてしまう。
「総理、逃げないで下さい。威嚇射撃は立派な発砲じゃないですか」
その時、質問している紅議員にメモが届けられた。彼女の目が見開かれ、口元がニヤ付くのが分かった。
そして、同時に総理の下にも別のメモ用紙が手渡された。彼は驚き、そしていかにも残念そうに眉をしかめ、唇を噛んだ。
「総理、たった今入った情報では、海賊船はむらさめからの発砲を受けて、降伏したそうじゃないですか。これは国際上の大問題ですよ。総理ご自身が発砲の許可を出したんですか?」
彼女は勝ち誇った様な満面の笑顔だった。その笑顔は、くるりとテレビカメラにも向けられた。
これでこの内閣は総辞職だ。彼女の脳裏に明日の新聞の見出しが浮んだ。M党の紅議員、内閣を解散に追い込む・・・。
不幸田は観念した様に、ゆっくりと立ち上がった。
「ただいま、むらさめの艦長から連絡が入りましたので、ご報告致します」
議場全体がざわつき始めた。静粛にーーー。議長の声が飛ぶ。
「現地時間の午後5時3分、むらさめが行った威嚇射撃の弾が誤って海賊船のエンジン部分を破壊、海賊船は航行不能となりました。また、海賊船甲板部のロケットランチャーと汎用機関銃も自衛隊ヘリコプターからの威嚇射撃がそれて破壊されたとの事です。ギリシャ船籍の客船は、海賊船からの攻撃を受けて燃料タンクに火災を起こしましたが、むらさめの消化活動で現在は鎮火したとの事です。威嚇射撃がそれてしまったという事に付きましては、大変遺憾に思っております」
「嘘をつくなー、発砲だろー」
野党側から強烈な野次が飛んだ。不思議な事に、これらの議員たち全員が、首相の方ではなくテレビカメラに顔を向けていた。
“静粛に願いまーーーす”議長の言葉が一段と大きくなった。
「海賊船からの攻撃で、客船の乗客に負傷者が出ています。その中に日本人がいらっしゃいました。紅洋一さん、35歳。紅議員の息子さんだそうです」
「うそ・・・?」
総理の言葉に、野党側のヤジが止んだ。M党の紅議員が目と口を大きく見開いたまま、動かなかった。しばらくして、ヨウイチ・・・と彼女は呟いた。
「紅洋一さんは、胸に破片を受けて重症です。現在、むらさめ側に移し、手術を行っておりますが、状況は予断を許さないとのことです。紅議員のご心情を察すると、お掛けする言葉もございません」
不幸田の発言が終わると、紅議員は質問を終了し職員に支えられて退席した。議長の閉会を告げる言葉が議場に響き渡った。
インド洋。客船の甲板上。
どこから飛んで来たのか、CNNのマークをつけた報道用ヘリコプターが客船の甲板上で喜び合っている人々の姿を捉えていた。
ヘリコプターから客船に降り立ったアナウンサーが、大声でその様子を伝えている。しばらくしてカメラがパンして海賊船を捉える。
むらさめの76mm単装速射砲の威力を物語る様に、エンジン部分に大きな穴が開き、そこから黒煙が立ち上っていた。海賊船はエンジン部分から浸水し、船尾がわずかに沈んでいた。
CNNのアナウンサーが客船の乗客にインタビューを始めた。
「海賊船に追い回されて、乗客に負傷者が出たときには不安でしようがなかったわ。その時よ。遠くに自衛隊の艦船の姿が見えたの。本当に嬉しかったわ。早く海賊船を遣っ付けてって大きな声で叫んだわよ」
アメリカ人の太った初老の女性が飛び跳ねるようにして手招きの真似をした。
「そしたら隣にいた男が言ったの、当てにしちゃダメだ自衛隊の護衛艦だからってね。私は絶対に助けてくれるって言ったの。そうじゃなきゃ、こんなところまで来てくれるはずがないって」
「あなたの言う通りになった訳ですね」
アナウンサーの女性が、彼女に微笑みながら聞いた。
「そうよ。護衛艦の姿が見る見る大きくなると、あっと言う間だったわ。あの海賊船から火の手が上がったのよ。わたし、隣にいた男を思いっきり蹴飛ばしてやったわ。あんた、自衛隊の人に謝りなさいって」
「その男性は何と言ってましたか」
「ごめんなさいって、自衛隊の船に向かって叫んでたわよ。わたしはあの船の人たちに本当に感謝してるわ。そして日本の人にも感謝するわ。このテレビ、日本にも流れるんでしょうね」
彼女は小声で、CNNのアナウンサーに海上自衛隊の艦船の名前を聞いた。船体に掛かれた日本語の ”むらさめ” の文字が読めなかったからだ。
彼女がテレビカメラに向かって投げキッスをした。アナウンサーの女性が小声であの艦船の名前が、MURASAMEだと伝えた。
「サンキュー、ムラサメーー」
彼女の言葉にあわせる様に、甲板上にいたすべての人々が自衛艦“むらさめ”に向かって「サンキュー、ムラサメー」と叫んだ。
直ぐにカメラがパンして、むらさめの姿を捉えた。彼らの言葉が聞こえたのだろうか、むらさめの甲板上に整列していた自衛官たちが敬礼の姿勢をとってそれに答えた。その爽やかで頼もしい姿に、客船から歓声が上がった。
太田は、シミュレーションが終わると大満足の表情でBMIを外した。
よく見ると、彼の目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
自衛隊の有り様に不満を持つ太田に取っては、理想的な結果であった。いや、理想的過ぎる結果だったと言える。
しかし、太田はそれに気が付きながらも不満をいうつもりはなかった。
なぜならこれはあくまでもプライベートの趣味であり、評価の対象ではなかったからである。
彼は出来る限り自分の思う通りの結果を望み、この装置は彼の趣向を理解し、それに見合った理想的な結論を導き出した。
もし、自衛隊の存在を否定するユーザーが対象であったなら、この装置は全く別のストーリーを作り出していたのかも知れなかった。
「素晴しい・・・」
太田は、心の底からそう思った。
この装置に比べたら、私が係わって来たソフトなど、ただのデクノボウに過ぎない。
「しかし・・・」と太田は思った。
KSテック社のソフトがいかに素晴しいからといって、シューゼの評価委員長としては、彼らの肩を持つ訳にはいかなかった。
「戦争とは、必ずしも正しいものが勝利するとは限らない。力の有る者が勝利するとも限らない。要するに勝った者が勝利者である。その為には、いかなる手段もが正当化されるのだ」
気が付くと、液晶画面上のAOI婆さんが「どげんやったね。どげんやったね?」としつこく聞いていた。
「誰なんだ、この婆さんは・・」
太田は心の中で、そう思った。
決して声に出したりはしなかった。
「リトル東京のAOIちゃんでーーーす」
突然、AOI婆さんがウエイトレスの格好でそう答えた。
「えっ?」
太田は、ビックリして椅子に腰を落とした。
まるで心の中を読まれた様なタイミングだった。
しかし、直ぐに画面はいつもの姿に戻った。
太田は、背中にゾクリとした寒気を感じながら装置の外に出た。
何か、嫌な予感がした。