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街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
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 インド洋。スリランカの東400キロの沖合。


 インド洋での給油活動を終了した護衛艦「むらさめ」は、補給艦「はまな」と供に海上自衛隊第一護衛隊のある横須賀港へと向かって突き進んでいた。


 排水量4,550トン、全長151mの精悍な船体が、赤道直下の灼熱の太陽に照らされて目映く煌いている。4基の力強いガスタービンエンジンの生み出す推進力が、真っ青な海水を切り裂いて、白い水しぶきを上げていた。


「艦長、通信士より救助信号をキャッチしたとの連絡がありました」

 艦長室にいる井上の下に、海士長から連絡が入った。

「詳細を報告しろ」

「はっ、ギリシャ船籍の客船が、海賊船らしき高速艇に発砲されたとの事です」


「現場までの距離は?」

「はっ、北北西に70キロの地点です。およそ1時間10分の距離です」

 北北西という事になれば、引き返す事になる。


「近くに他の艦船は居ないのか?」

「はっ、現在OSP-28D(対水上レーダー)及び緊急無線にて調査を行っておりますが、民間船を除けば我々が一番近いと思われます」

「そうか・・・」


 艦長である井上は、頭を抱えた。我々が駆けつけたところで、海賊船を攻撃する事は出来ない。ただ、警告と威嚇が出来るだけだ。

「SH-60Jには、7.62mm機関銃は装備されているか」

「いえ、MK46(対潜水艦魚雷)だけですが、10分で装備可能です」

「分かった、装備後に直ちにSH-60Jを現場に向かわせろ。それから、大臣に連絡をとってくれ、直接指示を仰ぎたい・・・」


 国会議事堂内の総理の控え室。


「佐藤君。状況はどうなっているのかね」

 首相の不幸田が不機嫌そうな顔で尋ねた。それもその筈である。唯でさえ大変な国会運営を迫られているところへ、こんなデリケートな事件が勃発したのだ。

 別に日本国や海上自衛隊が何かをしたわけではない。むしろ、危険にさらされた民間の旅客船を救うという名誉な出来事である。それが、この国にとっては、とんだ災難という事になってしまうのだ。


「現場に向かった対潜哨戒ヘリからの報告では、客船は蛇行を続けながら逃走中とのことです。海賊船は近距離から機関銃を乱射したり、時折エンジン部分目掛けてロケットランチャーを発射している模様ですが、今のところ甚大な被害には至っておりません」

「我が方のヘリは、発砲行為など行っとらんだろうね」

 不幸田の顔は引き攣っている。

「威嚇射撃のみ許可をしております」


 防衛大臣の言葉に、不幸田の苛立ちは募っていく。

「威嚇射撃は、発砲ではないんだな」

「不審船の10メートル先を狙っておりますので、発砲ではありません」

 そうか、それならいいんだ。と不幸田は自分自身を納得させた。

「なんで、そんなところに“むらさめ”は居たんだろうね・・・」

 総理が独り言をポツリと漏らした。


「インド洋での補給活動の為ですが・・・」

 真面目な性格の佐藤大臣は、総理の独り言に正直に答えた。

「そんなこと言ってるんじゃないんだよ、君。なんで、よりによってこんな時にこんな事件に巻き込まれなくっちゃならないのかと言ってるんだよ、私は」

 いつもは穏やかな紳士で知られる総理が、口からツバを飛ばしながら叫んだ。彼の心労のほどがしのばれる。


「はあ」

 佐藤は言葉を濁したが、冷静に判断すれば海上自衛隊の艦船が洋上に出れば、いつかは遭遇するべき事態だった。


「他の国の対応はどうなっているんだね」

「インド軍の巡洋艦が現場に向かう予定ですが、どんなに早くても恐らくあと3時間は掛かるでしょう」

 佐藤は、日本が何らかの対応をしなければ、世界中から非難を浴びるだろうことを示唆しながら答えた。


 その時、秘書がメモを片手に近づいて来た。

 メモに目を通した総理の顔が驚きの表情に変わった。1時間後の国会質疑で、M党の女性議員がこの事件の経緯について質問をするとの内容だった。

「何で、情報が漏れたんだ」


 総理の質問に、秘書はテレビのリモコンのスイッチを入れた。

 映し出されたのはCNN放送だった。

 画面の中で女性のアナウンサーが何かを叫んでいた。


 彼女の横のモニター画面には、不鮮明な女性の顔が映し出されていた。

「クルーズ客船の乗客が、衛星通信携帯でCNNに通報した様です」

 いつもはダルそうに弛んだ総理の瞼が、大きく見開かれた。何という時代だ、極秘も何もあったもんじゃない。


「あのアナウンサーは何を叫んでるんだ」

「日本のヘリコプターが飛んで来たんだけど、海にばかり撃ちまくって、何の役にも立っていないと言っています」

 くそっ。余計な事を言いやがって。総理は右足で思い切り床を踏みつけた。


「“むらさめ”はどこにいるんだ」

「あと30分ほどで、海賊船を捕捉出来るかと思います」

「威嚇射撃だけだぞ、それ以上はダメだ。後はインド軍の巡洋艦に任せればいい。分かったな」


 そう言い残すと、不幸田はあわただしく衆議院議場に向かった。

「・・・・」

 防衛大臣の佐藤は黙ったまま何も答えなかった。


 彼の腹の中は、怒りで煮え繰り返っていた。

 CNNが既に世界中に映像を配信している。

 またもや自衛隊は世界中の笑いものにされるのだろう。


 あの海賊船など一瞬にして制圧できるだけの火器と技術を持ちながら、なぜ臆病者のレッテルを貼られなければならないのだ。そして、遅れてやって来たインド軍にヒーローの座を奪われてしまう。


「我々は何のために存在しているのだ・・・」

 佐藤大臣は右手の拳でテーブルを思い切り叩き付けた。

 ゴツンと鈍い音がして、彼の拳の先に血がにじんだ。

 グッ、彼は痛みに顔を顰めた。しかし、それとて心の中の痛みには遠く及ばなかった。


 インド洋。海賊船の甲板上。


 見た目には穏やかな海面だが、高速で走行している甲板上では激しい波の衝撃と水しぶきが男達に襲い掛かっていた。

 時折、10メートルほど先の海面が、上空のSH-60Jから発射される銃弾で白い水しぶきを上げていく。


「ああ、モッタイナイねー。あんな高い弾を海にバラまいてーー」

 真っ黒な肌のアジア系の男が、ロケットランチャーにロケット弾を装填しながら大声で言った。回りに爆笑が起こる。


「日本人のブタどもめ、お前らみたいな腰抜けに本気で俺たちが撃てるわけねーだろうーが・・・」

 激しく上下する甲板上で、ロケットランチャーを構えた男が、振動のリズムを計算しながら、数度目かのトリガーを絞った。


 ドッカーーーン。

 ロケット弾は、白煙をなびかせながら、ついに大型客船の左舷後部の燃料タンクに命中した。

「ヨッシャーー」

 海賊たちの間で歓声が上がった。


 護衛艦「むらさめ」の操舵室。


「艦長、大変です。客船が左舷後部に被弾しました。燃料タンクから黒煙が上がり始めています」


 海賊船は、自衛隊のヘリからの威嚇射撃にはなんの脅威も感じなかった。

 日本の自衛隊に攻撃権がない事は、どの国の人間もよく知っている。例え同盟国の艦船が攻撃されようとも、自衛隊に出来る事はただ指を加えて見ていることだけだと・・・。


 PKO活動で、かつてカンボジアへ派遣された自衛官は、自動小銃の弾倉を外して所持していた。そのために、現地のカンボジア人達からはカカシと揶揄された。

 当たり前だ、撃てない銃を持った軍隊に何が守れると言うのだ。なぜ、我々はそこまで馬鹿にされながら、自分達の命を危険にさらさねばならないのだ。


「客船の艦長が、海賊船への攻撃を要請してきています。このままでは、沈没の恐れがあるそうです。また、乗客の中には負傷者も出ているとの事です」

 海士長が通信士からの報告を伝えた。その言葉に悔しさがにじんでいる。


「くそっ」

 艦長である井上は、右手の拳を握り締めた。目の前で起きている明らかな犯罪行為にさえ、我々は何も出来んと言うのか。俺たちの存在とは何だ?


「艦長、遣らせて下さい」

 ヘリコプターから7.62mm機関銃で海を撃ち続けていた後藤曹長が、無線で懇願してきた。


「艦長、お願いです。このままでは客船にさらなる犠牲者が出ます。我々は、どの様な処分でも受ける覚悟です」

 海士長と周りの上級幹部全員が詰め寄って来た。その目には涙が浮んでいる。


 井上はゆっくりと彼らの瞳を睨み付けた。彼らの気持ちを確かめたかったのだ。

 彼らの顔が井上の視線に反応する様に力強く引き締まった。

 よし、と腹が決まった。


「76mm単装速射砲、発射用意――――っ」

 艦長が叫んだ。

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