表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
2/30

 シューゼ社の会議室。


 隅田川を眼下に見下ろす高層ビルの一室。

 穏やかな春の陽射しの中を、小型の貨物船や釣り船がのんびりと行き交っている。外の穏やかな雰囲気とは対照的に、この会議室にはピリピリとした緊張感が漂っていた。


 楕円形の大きなテーブルの周りには10人の人間が座っている。

 巨大な液晶スクリーンの左側にシューゼ社の8人のスタッフ、そして反対側にKSテック社の小林社長とその娘のエリカ。


 シューゼ側の席の中央には社長の大熊がでんと陣取り、その左側に集米出版社出身の野川部長と芦川主任、右側にはゼーガ社出身の西村専務と田中課長が位置している。田中課長のさらに右側にいるのは、審査委員会の3人のメンバーであった。その席順は、そのまま社内での勢力関係を現していた。


 シューゼ社は、新しいタイプのエンターテインメントを創造する事を目的に、出版業界大手の集米出版とゲーム業界大手のゼーガ社が設立した合弁会社であった。新会社設立の当初は、集米出版側が小説や漫画の経験を活かしてキャラクターとストーリー部門を担当し、ゼーガ社側がゲーム開発の経験を活かしてソフト部分の開発を担当する予定だった。しかしハードウエアーが完成し、いざソフト開発の段階に入ると、両社の意向に大きな隔たりが有る事が明らかになった。それはやがて親会社同士の主導権争いへと発展して行ったのである。


 しかし情勢は、ソフト開発には疎い集米出版側に不利であった。ゼーガ社は集米出版側の意向を無視して、勝手に親会社であるゼーガ社のソフトを導入し始めていた。そこで社長の大熊は、彼の知り合いであるKSテックの小林社長に、彼らに対抗する為のソフトの開発を依頼したのである。


 開発部長である野川信三がマイクを手にして立ち上がった。

 彼は社長である大熊の下で、コミック誌の副編集長を20年以上も続けて来た腹心中の腹心である。


「それでは、先程終了しましたKSテック社のソフトについての評価会議を開始します。ご存知の通り、このソフトはわが社が4年の歳月を掛けて開発した、体感型バーチャル映像システム(通称BVPS)に搭載する予定の作品です。ターゲットはアクションファンの男性。装備品はHMI(ハンド・マシン・インターフェース=映像上で手に触れた感触を、被験者に伝達する装置)、香り分子発生装置(映像上の匂いを忠実に再現する装置)、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース=手以外の部分の感触、平衡感覚、温度感覚等を直接脳に伝達する装置)、アイマスク型映像音響システムの4点です。また、今回のモニターは、評価委員長の太田薫氏にお願いしました。では太田委員長、宜しくお願い致します」


 野川に換わって立ち上がったのは、先程BVPSから出てきた狐目の被験者だった。年齢はまだ35歳だが、その頭部の髪は既に増殖機能を停止してしまったのか、頼りない本数の髪が頭部に張り付いているだけだった。どう見ても40台後半か50台の風貌である。


 名門K大の英文科を卒業した後、趣味のゲームソフトの世界に身を投じた。単なるモニターから出発して、次第にその才能を発揮し、やがて有名なロールプレーンゲームシリーズでアドバイザーの役割を果たすまでに至った。

 ゲームソフト業界では名の知れた男である。軍事オタクの一面を持ち、お堅いテレビ局の軍事評論家を師匠と慕っている。従って、その出で立ちは常にスーツ。白のワイシャツのボタンを一番上までキッチリと閉めている。


「評価委員長の太田です。無駄な時間は省略したいので、まず始めに結論から申し上げておきます。KSテック社の今回の総合評価は55点です」


 太田は、彼の言葉のインパクトを確認するかの様に、開発主任の小林エリカの顔をチラリと盗み見た。ソフトに登場した女性似の美人である。


「なんですって・・・」

 太田の発言に、小林エリカが思わず席から立ち上がろうとした。彼女にとっては予想外の低い評価である。しかし、横に座っている社長の小林が凄い力で、彼女の膝を押さえつけた。太田は彼女の反応の大きさに、心の中でニヤリとほくそ笑んだ。


「何で・・・」

 見開かれたエリカの目を、社長であり父親の小林が「落ち着け」とでも言うように睨み付けた。仕方なく、エリカはそれに従った。しかし、怒りは収まらない。


「それでは各部分についての評価を簡単に説明します。まず、導入部分のキンモクセイの香りについてですが、キンモクセイというよりは、どちらかと言うとレモン系の香りに近かったという印象です。これは匂い分子の選択及び配合ミスでしょう。KSテック社の匂い発生ソフトに関する技術はかなり低いという印象を受けました」


 シューゼ社の幹部である西村専務が、大きく頷きながら目の前のチェックシートにペンを走らせた。ガッチリとした体格、ふさふさとした灰色の髪に黄色い鼈甲の縁の眼鏡を掛けている。京都弁のツンとすましたしゃべりの男である。


「それから主人公が乗って登場するBMW。Z4ロードスターについてですが、イグニッションキーを回した瞬間に即時に反応する直列6気筒DOHCエンジンの軽やかな爆発音。オープン2シーターのレーザー・シートを伝わって体中を包み込むエンジンの囀り。コーナーでの安定性。タイトなカーブを置き去りにする様な急速な加速性。そしてタイヤがアスファルトの路面をガッチリと受け止めているような安定したハンドルの操作感。


 私の様に本物を乗り回している人間からすると、まったくお話になりません。まるで整備されていない軽自動車にでも乗っている様な感覚でした。まっ、この辺がKSテックさんの様な中小企業の限界ではないかというのが私の感想です」


 大熊社長の右側に座っているゼーガ出身の2人が、同調するように薄笑いを浮かべた。


  “ギギギギッ”


 小林エリカの歯茎をかみ締める音が回りに響いた。太田は、彼女の悔しそうな顔を確認して、再びほくそえんだ。彼の様なオタクには、エリカの様な美人は雲の上の存在でしかない。それならば、せめて自分の手で苦しめてやりたい。幼い頃からの卑屈な体験が、彼の心を極端に歪ませていた。


「ただ、意外だったのは使用した拳銃です。私はピエトロ・ベレッタM92を選択しましたが、胸のホルダーから引き抜いた瞬間のグリップの質感、バランス、重量感。そしてトリガーを絞った瞬間のリアリティ。さらにその後に来る、9mmパラベラム弾特有の軽い反動と薬莢のかすかな匂い。これについては、90点以上をつけても良いでしょう。恐らく、KSテックさんは軍事産業向けの下請けの仕事が専門なので、やはりこの辺は強いという事でしょうか」

 軍事産業という言葉に、西村専務がワザとらしく大げさなリアクションを取った。ゼーガ社側には明らかにKSテックを排除しようとする意図が表れている。


「あいつ。一体何が言いたいんだ」

 えげつない嫌がらせに、エリカの怒りは更に膨らんでいく。


「女性の着けていた香水は100円ショップの安物の香りと言った所でしょうか。そして、彼女の胸はナイロン製の安っぽいシャツの下に、新聞紙をくしゃくしゃにして丸めて詰め込んだだけといった感触でした。

 厳しい言い方ですが、もう少しプロとしての自覚を持って頂きたい。適当な遣っ付け仕事で、我々の様な専門家を騙せるとでも思っているなら、もう二度とこの場には来ないで欲しいですな・・・」


 彼はエリカの目を見ながら言い切った。そして、テーブルに並ぶシューゼ社の幹部たちの顔を見ながら、言葉を続けた。

「この点数では、この時点で終了というのが普通でしょうが、野川部長からの強い要請もあって、KSテック社側の質問を受ける事になりました。私としては、大変心外ですが、とりあえず質問にはお答えしたいと思います」


 太田が着席すると、ゼーガ社側の西村専務が野川部長に質問した。

「野川はん。太田委員長はんの採点が55点なら、それが結論で良いのんとちゃうんでっか。何で、そんなレベルの低い会社の言い訳を聞かなあきまへんの?」

「静粛に!!」

 社長の大熊が西村の言葉を遮った。


 チッ。

 西村は不快な表情をしただけでそれ以上は何も言わなかった。部長の野川が立ち上がった。

「それでは、KSテック社からの質問をお受けします」


 50過ぎの色黒で精悍な顔をした男が立ち上がった。この歳でジェットスキーが最大の趣味というKSテックの社長である。背広の上からでも、胸板の厚さや腕の太さが見て取れた。単なるスポーツマンとは違う、何か凛としたものを持っている。


「KSテック社長の小林です。今回はお忙しいところ、弊社のソフトにつきましてご評価の時間を頂きましてありがとうございました。さて、弊社はジャンボジェット機や自衛隊の軍用機向けフライトシミュレーターの開発メーカーですが、銃器の部品等を製造している会社ではありません。誤解の無い様にお願い致します」


 小林は、太田に向かってさりげなく言った。太田は、小林の強い視線を無視するように背広に付いた糸くずを気にする仕草をした。


 “喰えない男だな・・” と小林は思った。


「先程の太田委員長の発言で、BMWの乗り心地が整備されていない軽自動車並みとの評価には、正直失望しております。実際、私もZ4ロードスターのユーザーの一人でして、事前のモニターでは私自身が合格点を出しておりました。評価委員長も毎日乗られているのなら、軽自動車のエンジン音との違いは明確だと思うのですが・・・」


 再び、小林は太田を見た。彼は薄ら笑いを浮かべただけだった。こんな男が評価委員長では先が思いやられる。小林は、十数年前の嫌な出来事を思い出していた・・・。


「今回の評価結果につきましては、今後の開発の参考にさせて頂きたいと考えております。それでは、ここで担当者から幾つかの質問をさせて頂きたいと思います」

 小林はポンと肩を叩いてエリカにバトンを渡した。


「徹底的に痛めつけてやれ」

 小林は小声でそう言った。

 ワカッテルと頷くと、エリカはデータを手にゆっくりと立ち上がった。

 小林エリカは、入社3年目にして今回の大型プロジェクトの責任者に抜擢されたKSテック社期待のホープだった。それは、彼女が社長の娘であるという理由からではない。


 出身大学はカルフォルニア工科大学。

 日本ではあまり知られてはいないが、アメリカではマサチューセッツ工科大学と並ぶ超エリート校である。彼女は高校の時からロサンゼルスに留学し、その美貌にも拘らず、工学系の道をまっしぐらに進んで来た。それは、まるで何かから逃げている様にさえ見えた。卒業後、大学の教授達からの誘いを断ってKSテック社に入社した。理由は、アメリカに居続ける必要性がなくなったからである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ