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秋葉原。 昌平橋の交差点から少し入った鉛筆ビルの4階
エレベーターのドアが閉まるのを確認した男は、ゆっくりと南十字AOIの看板のあるドアの方を振り返った。ドアを開けると、男は部屋の隅々を鋭い目で確認した。
「いれぇっじぇーませ。おスとり様ですか?」
「ああ。これから3時間ほど借り切りたい。誰も入れないで欲しいんだ」
老婆に向かって男は答えた。
「んだば、ドアのロックさ掛ければええんだわ」
老婆は指でドアノブを指差した。押しボタン式のロックが見えた。
「ありがとう。これはお礼だ、とっといてくれ」
そう言うと、男は財布から1万円を抜き取って老婆に渡した。しかし、液晶画面に阻まれて彼女には届かない。
「あんらーマー。そんなことすてもらってわるいねー。お手数だケンドモ、そのお金はマスーンの中にさ、入れてケロ」
言いながら、老婆は思いっきりの笑顔を見せた。しかし、勢い余って口から入れ歯が飛び出した。
「フンガー」
老婆は慌てて、入れ歯を口に押し込んでニッコリと笑った。しかし、男は既にそこにはいなかった。
男はゆっくりと機械の方に向かって歩き出していた。その目はあらゆるモノを見逃すまいと部屋中を探っている。やがて、安心した様にドアを開けてマシンの中に入った。
液晶モニターが自動的に点灯して、いつもの様に老婆が振り返った。どうやらこれは、シュワちゃんの火星を舞台にした映画のパクリの様だった。
“シミュレーションの対象”のところで、男は“テロ”を選んだ。その後、幾つもの項目に答えながら、“ターゲット”のところで、“原子力発電所”と入力した。
「ターゲットの場所を入力してください」
男は“新潟”と答えた。
「攻撃側の人数と警備側の予想人数を入力してください」
攻撃側20名。警備側30名。
「攻撃側の武器の種類と数量を入力してください」
自動小銃20。ロケットランチャー10。ドローン10。・・・、サリン。
「内部協力者の有無を入力してください」
男は“有り”と入力した。その後も細かな質問が長い間続いた。最後の質問に答えると、しばらくの間沈黙があった。
「現在、データバックアップの為、インターネットにアクセス中です。しばらくお待ち下さい」
その間、液晶画面の中では例の老婆が座布団に座ってお茶を飲んでいた。なぜか、モノクロの映像になっている。老婆の座っている座布団の辺りに“しばらくおまち下さい”のテロップだけが黄色くなって流れていく。
「現在、この原子炉は稼働していませんが、シミュレーションを続けてもよろしいですか?」
という音声が流れた。
「構わない。続けてくれ」
男は、こいつは本格的だなと頷きながら呟いた。そうなのだ、自分はあえて定期検査中の原子力発電所をえらんだのだった。
「データバックアップ終了。シミュレーション開始まで、あと25分」
コンピュータの合成音を聞きながら、男はニヤリと笑った。
よく見ると、それはシューゼ社の田中課長だった。彼は太田から頼まれてこの装置の性能を確認する為に遣って来たのである。その手には、太田から渡された入力用のデータが握られていた。
一日目。深夜2時。
佐渡島沖50キロの洋上で、間瀬漁港所属の「小栄丸」がちょうどその日の漁を終えたところだった。漁の為に海上を照らしていた灯りが消えると、漁船の150メーターほど先に1隻の木造船が現れた。
船体には国籍を示す様な文字は何も無い。しばらくすると木造船からピカ、ピカ、と光が断続的に放たれ始めた。
漁船の操舵室でその光を見ていた船長が、サーチライトを操って同じように木造船に向けて、モールス信号を送った。
漁船は静かに木造船の方に近づいて行く。その距離が10メートルほどになったところで、漁船はそこに停止した。
目視でお互いを確認し合うと、木造船の上に漁師の格好をした5人ほどの男たちが大きな袋を抱えて甲板に現れた。1隻のゴムボートに乗り込んだ彼らは、その漁船に近づくと難なく漁船に乗り移った。
ゴムボートに残っていた2人の男が、水中マスクと酸素ボンベを付けると、いくつかの袋をかついで潜った。二人は漁船の船底に特別に作られた収納庫の中にそれらの袋を収納した。船の上からでは、そんな秘密の収納庫があることは全くわからなかった。
船上で乗り込みを手伝った漁船の乗組員たちが、一人の男に敬礼して言った。
「パク中佐、作戦の成功をお祈りしております」
パク中佐と呼ばれた男は何も答えず、ただ敬礼を返しただけだった。今度は漁船の乗り組み員たちが、ゴムボートに乗り込むと木造船に向かった。お互い5人が入れ替わると、パク中佐は男たちに向かって言った。
「船倉でゆっくり休んでろ」
中佐の命令に、男たちは無言で敬礼すると船内に消えていった。
一日目。早朝5時。
間瀬漁港の20キロほど沖合で、「小栄丸」は海上保安庁の監視船と遭遇した。
「そこの船舶はエンジンを停止しなさい。繰り返します、エンジンを停止しなさい。これは定例の船内調査です。船員は全員甲板に集まってください」
乗組員たちは、仮眠の邪魔をされてブツブツと文句を言いながら甲板に並んだ。
「乗り組み員はこれで全員ですか」
保安庁の担当者が、船長が手渡した名簿を見ながら確認した。
「はい、そうです。」
「それじゃ、人数を確認しますので、名前を呼ばれた方は返事してください」
担当者は、名簿に従って名前を呼んで行く。呼ばれた男たちは、眠そうに手を挙げた。その間に、数人の監査官が船内の様子を調べる為に、船倉に降りて行った。整列していた男たちの目が、一瞬鋭く光った。
30分後、船倉にも乗組員たちにも何の異常も発見されなかった為、監視船はそのまま離れて行った。彼らが十分に離れたのを確認すると、パク中佐と呼ばれた男がニヤリと笑った。
「日本の海上保安庁はチョロいもんだな」
「国内の警備はもっと手薄ですよ。これで、作戦は成功したも同じです」
船長が言うと、中佐はコクリと頷いた。
二日目。夕刻。
彼らは新潟県のとある民家に集合していた。民家の壁には、原子力発電所の周辺地図が掛けられている。人数は20名になっていた。
追加された15名は、既に日本に潜伏していたメンバー達である。
「すでに何度も見たことのある地図だが、改めて作戦の内容を確認する」
パク中佐が鋭い視線で全員を見渡した。相当に訓練されているのだろうか、男たちは動揺することなく黙って頷いた。
「キム・ジェスン、リー・ジョンヨン、チェ・オム、オー・セミン、パク・リンナンの五名はこの門を制圧する。警備は4名。奴らの武器は自動小銃のみ、防毒マスクも携帯していない」
名前を呼ばれた5人は無言で頷いた。
「ドローンにてサリンを散布する。風向き不良の場合はこちらにも被害の可能性がある。防毒マスク等で完全防備したうえで行動に当たれ。その後、速やかに管制棟を制圧すること」
「了解しました」5人を代表して、キム軍曹が言った。
「次に正門。ここは警備員8人。同様にドローンにてサリンを散布・・・」
パク中佐は次々と作戦を確認して行く。
「作戦の決行は、二日後の明朝2時。発電所を制圧した時点で連絡を入れろ」
パク中佐の言葉に、残りのメンバーが無言で頷いた。