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街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
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 KSテック社。開発室。

              

「エリカくん、遅くまで大変だね」


 KSテック社の第二開発室で夜食のカップヌードルにむしゃぶりついていたエリカに、第一開発部長の桜井が声を掛けた。時計の針は、既に午後10時を過ぎている。


「ああ、桜井さん」

 エリカは、大量の麺を口に入れたまま頭だけを下げた。


「シューゼ社のコンペは、順調なようだね」

 桜井は、机の上のコンピュータ画面を眺めるとはなしに机の端に腰を下ろした。


 彼は、小林社長がこの会社を立ち上げた時からの古参のメンバーだった。

 既に頭には白いものが混じり始めていた。身長は160センチそこそこで大きくは無い。しかし、上半身はキッチリと鍛えられていて、一見するとソフト開発者には見えない。


 社内の誰かから、父親と同じ自衛隊の出身だと聞いた事があった。どうりで、父親と同じ匂いがすると、エリカは思っていた。


「いえいえ、正直アップアップの状況です。桜井さんもラーメン食べます?」

「いや、私は結構だ。これから帰って、女房の用意したご飯を食べなきゃならん」

「家は確か、菊名でしたね」

「ああ、今の時間なら車で10分もかからん。それより、いつもカップヌードルなんか食べてるんじゃないだろうな。それじゃ、身体に悪いぞ」


 そうだ。この部長にとっては、健康は第一のファクターである。自分を律しする事に美学を感じているらしく、飲めるくせに必要な時以外には酒にも手は出さない。


「いえ、いつもは母さんて言うか、専務が夜食を用意してくれるんですけど、今日は横浜アリーナで氷川きよしのコンサートがあるとか言って・・・」


「そうか、それなら良かった」

 桜井は、それだけ言うと、何気にモニター画面を覗き込んだ。そこには汎用シミュレーター用の新しいキャラクターが映し出されていた。


「なんだ、このお婆さんは・・・」

 玉葱の様な頭をしたお婆さんがモニターの中でしきりにお茶を啜っている。


「ロスのリトル東京にある“AOI”という定食屋のお婆さんです。どこの方言だか判んないむちゃくちゃな日本語をしゃべるんです。高校生の頃、友達の間ではすごい人気があったんですよ。今度のフリー部門の汎用シミュレーターのメインキャラクターにしようかと思ってるんですけど・・」


 エリカは、高校時代から10年近くをロサンゼルスで過ごした。その影響で、彼女の趣向は少し日本人とは異なっていた。


「汎用シミュレーターって、もしかして8年前に社長が開発したあの占い装置のことかね?」

「ええ、社長のアイデアなんですけど、このソフトをシューゼ社の装置用に改良しろということになって」


「なんで、いまさらあの装置を・・・」

 桜井は訝しげな顔をした。その表情がエリカには気になった。


「社長も、何かの事故が有って使用を中止したと言ってましたけど、部長は何かご存知なんですか?」

 桜井は、どうしたものかと考える様に眉間にシワを寄せたが、やがて決心したのか、再びエリカの顔を見た。


「社長なりの考えがあっての事だと思うので私見は避けるが、この程度の事は君も知っていた方が良いと思う」

 そう前置きすると、桜井は昔の記憶を手繰る様に口を開いた。


「この装置の依頼主は、巣鴨に多くの土地を所有する不動産会社のオーナーだった。彼は趣味を兼ねて、所有する娯楽施設向けの占い装置の開発を依頼して来た。社長はもともとシミュレーションの専門家だった事もあって、二つ返事でOKした。お金の為というよりは、技術向上の目的の方が大きかったと思う」


 ここで、桜井は目を瞑った。自分の記憶を確認している様だった。

「依頼主は多芸多趣味の人物で、占いのデータ等は殆んど彼のアイデアだった。何度か試作を繰り返したが、最終的にそのオーナーは首を縦に振らなかった。何かが足りないと言うんだよ」


「何が不足してたんですか」

「BMIだよ」

「ブレイン・マシン・インターフェイス?」

 桜井はゆっくりと頷いた。


「臨場感というか、雰囲気とでも言ったらいいんだろうかね。本物の占い師が醸し出す雰囲気というか、恍惚感の様なものが不足していると言うんだ」

「でも、当時のBMIの技術ではどうにもならなかったんじゃないですか」


「そうなんだ。特に我々の専門はソフト開発で、ハードでは無い。それでも社長は色々とトライした。BMIを非侵襲式(ヘルメット方式)から侵襲式(脳に直接電極を取り付ける方法)にしてみたり、頭皮上電極を通常の21個から最大60個にしてみたりね。でも、結局いい結果は得られなかった」


「そういえば、不思議ですね。あの装置のモニター結果は、シューゼ社の最新BMIに負けない臨場感がありました。一体どんな技術を使ったんですか」

「みんなが困り果てた時に、依頼者がある提案を出して来た。当時としてはとてもユニークなもので、社長も面白いと言う事でソフトの中に取り入れることにした」


「何ですかそのアイデアって」

 エリカの瞳が好奇心で輝いた。


「催眠効果だよ。依頼主も社長も悪用するつもりなど毛頭無かったし、最終試作での結果も良好だった。君も既に体験していると思うがね」

「それで、どんな事故が起きたんですか」

 催眠効果と聞いて、彼女の好奇心が一瞬に冷めた。嫌な予感がした。


「確か50人の主婦達を有料で雇ってモニターしたところ、結果はOKとなった。設置場所も巣鴨の遊戯施設に決まって、営業を開始した。催眠効果もあったのかも知れんが、ユーザーが口コミで広めてくれて順調なスタートだった」


「・・・」

「ところが、我々の開発チームにバカな奴がいて、彼は競馬狂だったんだが、負けて作った借金の穴埋めに、その催眠効果を悪用したんだ」

「なんですって・・・」

 エリカは思わず口に手を当てた。知ってはイケナイ事を聞いてしまった様な気がした。


「幸い、被害にあったのは一人だけで、警察沙汰にはならなかった。社長はその被害者の金を肩代わりした後、この装置を封印してしまったんだよ」

「そうだったんですか」

 エリカの表情が曇った。催眠術という言葉にあまり良い印象はない。その催眠効果を持つソフトがこの装置にインストールされているというだけで、何か不潔でおぞましい存在に思えてきた。


「この装置を社長や君が管理している限り、二度とあんなことは起こらないと思うが、念の為に言っておいた方が良いと思ったんだ」

「ありがとうございました」

 エリカはそう言ったが、正直、聞かなければ良かったと思った。と、同時になぜ社長があえてこの装置の封印を解こうとしたのかが気になった。


「エリカちゃん、もう一つだけ話して置きたい事があるんだ」

 不安そうな彼女の顔を見た桜井が、そう切り出した。このままでは、彼女に不安を植え付けてしまっただけになってしまう。


「なんですか?」

「社長がどんな経緯でこの会社を作ったか、知っているかい」

「いいえ、知りません。昔、自衛隊に勤めていた事だけは知ってますけど」

 小林が自衛隊を辞めこの会社を設立した頃、エリカは留学中のアメリカで一人暮らしをしていた。しかし、もし彼女が日本にいたとしても、小林が自分のあの苦い思い出を、娘に話すとは思えなかった。


「あの装置のBMIについているマークがなんだか知っているかい」

 桜井は近くにある汎用シミュレーション装置のBMIを指して言った。


「サソリに星の付いたマークですか? いえ知りませんけど」

「あれは、航空自衛隊の無人機運用隊のマークなんだ」

 いつしか桜井の表情が暗く引き締まっていた。きっと、彼にとっても苦い思い出があるのだろう。


「無人機運用隊・・・?」

「私も社長と一緒に3年間を硫黄島で過ごしたんだ。正直、辛かったよ。島流しにあった様なもんだからね」


 桜井はそこで言葉を切った。何かを考えている様だった。

「話すと長くなるが、もともと社長は自衛隊目黒駐屯地にある、防衛研究所に所属していた。そこで軍事シミュレーション装置の開発をしていたんだよ」


「軍事シミュレーションですか・・・」

 エリカには、自衛隊に置ける軍事シミュレーションなど想像も出来なかった。


「実は、私も社長と同じ防衛研究所に勤務していたんだ。社長の開発した軍事シミュレーション装置は、当時としてはもの凄く優秀だった。

 その評価は防衛研究所だけではなく、防衛庁の中にも響き渡っていた。


 もう十数年も昔の事だが、軍事シミュレーション装置の購入を検討した時、防衛研究所としてはこの装置で十分だと提案した。

 しかし、当時の防衛事務次官がアメリカ製のシミュレーション装置の購入にこだわった。みんなは軍事商社との癒着だろうと噂していたよ。


 そんな中、この2つの装置を比較しようと言う話が持ち上がった。そして、アメリカ軍の協力の下で、中東での戦争をテーマにして実際の評価が行われた。


 果たして2つの装置の下した結論は正反対だった。防衛省側の印象では、社長の装置の方が正しい様に思えたんだが、多くの軍事専門家たちがアメリカの装置の結果を評価した。


 それは、当たり前だった。軍事専門家たちは全てアメリカ側の手先だったんだよ。そして、当時の事務次官が選んだのもアメリカ製のシミュレーション装置だった」


「そうだったんですか」

 なにか今の状況に似ている様な気がした。もしかしたら、私に同じ思いをさせない為に、父は無理をしているのかも知れない。そんな思いがエリカの脳裏を過ぎった。


「社長は嫌気がさして、辞表を提出した。私もね・・・。しかし、皆になだめられて出向したのが、航空自衛隊に新設されたばかりの無人機運用隊だった。退役したF-104戦闘機を訓練用の標的に改良する為の組織だ。社長と私はそこで3年を過ごした後、M電機からの誘いで自衛隊を離れたんだ。そして、この会社を設立した」


「そうだったんですか」

「おっと、ずいぶんと長居をしてしまったな。それじゃ、仕事頑張ってな」

 桜井は、そう言って出口に向った。しかし、何を思ったのかもう一度振り返った。


「エリカちゃん。さっきの話にはオチがあってね。その時、テーマにしたのがアメリカとイラクの戦争だったんだ。アメリカの装置はイラクは数週間で降伏し、その後アメリカを中心とした国連軍の下で安全に統治されると結論した。一方、社長のシミュレーション装置は、イラクが降伏した後も、内戦が続いて泥沼化すると予測した。結果は君も知っている通りだよ」


「本当ですか。じゃ、父さんの装置の方が勝ったですね」

「ああ。しかし、もう十数年前の話だ。あの当時の連中が果たして覚えているかどうかは分からんよ。ただ、これだけは覚えておいてくれ。君が改良している汎用装置にも、その軍事シミュレーション装置のベースが活かされているんだ。とても優秀なシミュレーションソフトのベースがね・・・」

「ハイ」

 エリカの目が、輝いた。


 桜井は第二開発室を出ると、駐車場には向かわずに社長室のドアを叩いた。

「入りたまえ」

 中から、小林社長の声がした。失礼しますと言って、桜井は中に入った。


「すまなかったな。つまらん事を頼んだりして」

 小林は椅子を勧めながら言った。

「いえ、あんな事でよければ、どうって事もありませんから」


「こういう話は、当事者である私から話すよりも、第三者の君から聞いた方が良いと思ってね」

「分かりますよ。あの事件の事は思い出したくもありませんからね」


「ところで、あの佐々木君はまだS電機にいるのかね?」

「恐らく、まだ勤めているかと思いますが・・・」

「そうか」

 小林は少し心配そうな顔になった。


「でも、社長。どうしていまさらあのソフトを担ぎ出そうと思われたんですか?」

「なに、ちょっとした思い付きでね」

 小林は何かを隠す様に視線を外した。


「それは、KSテックの社長としてですか。それとも・・・」

「それとも、何だね?」

「何か他の考えでもおありになるのかなと、思いまして」


 さすがに長い間一緒に仕事をしてきた男である。小林は、本当の事を話そうかと一瞬思って、止めた。


「勿論経営者としての考えだよ。桜井君、あまり、へんな詮索はせんでくれ」

「分かりました。でも、聞くところによると太田という男は、業界では名の知れたワルらしいです。あの事件を探り当てる可能性も否定出来ません。そうなると我々は非常に不利な立場に追い込まれますが・・」


「確かにその危険性はある。しかし、我々にはたったの5ヶ月で新しいソフトを開発出来るだけのマンパワーがないんだよ」

「それはそうですが、それならば無理して新しい部門に挑戦する必要もないかと・・」


 言い掛けて、桜井は口を閉ざした。小林の厳しい視線を感じたからだ。

 彼にはこの無謀な戦いが、娘のエリカを勝たせたいという個人的な感情によるものでは無いかと思われて仕方無かった。


 しかし、小林という男が一度言い出したら絶対に後に引かない事も、一番良く分かっていた。


「それでは、私はこれで失礼します」

 桜井はそういって部屋を出て行った。

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