12
一週間後。KSテックの社長室。
社長室の窓からは、近くの中学校の校舎が見える。
散ってしまった桜の木には、いつの間にか緑の葉っぱが青々と茂っていた。
その光景を見ているうちに、エリカは中学校時代の事を思い出した。
まさにあの中学校で、彼女は1年間を過ごしたのである。
彼女はあの中学校を卒業した後、アメリカに留学した。表向きの理由は語学をマスターする為。母親がそれを強く希望したから・・・。
しかし、本当の理由は別にあった。
容姿端麗にして頭脳明晰。本来ならばいじめられる理由などないはずだった。
しかし、彼女は中学3年生の1年間、クラスの女子生徒全員からいじめにあった。
理由は簡単だった。多くの男子生徒から、羨望の眼差しを集めたからだ。
その中心にいたのが、あの浜口佑子だった。
彼女自身も、小学校の時から美人で通っていた。成績も優秀で、ずっとリーダーとしてクラスを仕切ってきた。
そんなクラスにエリカは転校して来たのだ。
浜口佑子は成績でも、男子生徒からの人気でもトップの地位をエリカに奪われてしまった。彼女の憎しみは、恐ろしいいじめを生んだ。
そして、その恐怖は成長過程のエリカの心に大きな傷を作った。
このままでは高校に行っても勉強など無理だろう。心配した母親が、知り合いに相談してアメリカへの留学を決めた。その判断は正しかった。アメリカでエリカは自由と友達を手に入れた。英語をマスターするために必死だった所為で、浜口佑子たちの事も忘れる事が出来た。
英語は自己をアピールする言葉だった。だから、自然と明るくなり友達も出来る様になった。もともと頭は良かったから、英語さえマスターしてしまえば、授業で苦労することはなくなった。ハイスクールを順調に卒業し、難関のカリフォルニア工科大学にもすんなりと入学する事が出来た。
そこで専攻したのが人工知能だった。
エキスパートシステム、事例ベース推論、ベイジアン・ネットワーク、ファジィ制御。父親の才能を受け継いだ所為か、すんなりと受け入れる事が出来た。卒業を前にして、教授や学部からの誘いもあったけれど、父親の会社を手伝いたいという気持ちが強くなって帰国した。
しかし、運命とは皮肉なものである。その浜口佑子が、ゼーガ社に勤務していた。いまさら彼女に恨み言を言うつもりなどないし、そんな事にこだわりたくもなかった。ただ、こんな形で再会した以上、彼女に自分の負ける姿だけは見せたくは無かった。
「どうかしたのか?」
後ろで社長の声がした。他の打ち合わせで席を外していたのである。
「あっ、いや別に・・・。桜の葉っぱが綺麗だなと思って・・・」
不意を付かれたエリカは、慌ててそんな事を言った。
母はあの事を、父に話したのだろうか・・・。
そんな事を思いながら、いつもの様にソファーに腰を下ろした。
「どうだ、あの装置の評価は?」
小林はワザと仕事の話をした。もしかしたら、知っているのかも知れない。
「私を含めて社内の数人で実際に使ってみたんだけど、あの装置は想像以上にすごかったわ。みんな凄く乗り気になってる」
個人的な感傷に浸っている場合ではない。彼女には部下がいるのだ。
エリカの下で開発に当たっているメンバーは4人。みな優秀な大学を出ているが、平均年齢が25歳と若いメンバーばかりである。全く新しいジャンルの製品という事で、若い社員にプラスして、新入社員を2人採用した。皆、あの装置の過去については全く知らなかった。
「そうか。役に立ちそうか」
小林が満足そうに頷いた。
「うん。ただ、幾つか問題があって・・・」
エリカは大学ノートを手にしていた。恐らく開発メンバーと今後の問題点についてのミーティングをしたのだろう。
「なんだ、言ってみろ」
「一つは、結果についての検証なんだけど、開発メンバー内での評価では、何となく当たっているみたいという印象なの。それが果たして万人に受け入れられるかということについての検証をしてみたいの」
「なるほど」
「それと過去のデータそのものは役に立つと思うんだけど、既に8年も前のデータだから、出来れば最新のデータも入力してみたいわ」
あのデータは古いだけではない。
ユーザーの殆んどが老人たちだった事を考えると、別の場所で若いユーザーにも使ってもらった方が良いだろう、と小林は思っていた。
「前回のデータを見ると都心のどこかに設置していたみたい。半年程の間に1500人の被験者から情報を得ているわ。出来れば、今回も同じ様な場所に設置してデータ収集をしてみたいんだけど」
「前回の設置場所は巣鴨だ。もともと簡易型の汎用シミュレーター装置として設計してあったものを、依頼主の要求で占い専用機に変更したんだ」
「なるほど、それで占い以外でも非常に優秀な訳ね。私としては、むしろ汎用シミュレーター装置として設置したいくらいだわ」
エリカは本気でそう思っていた。当然、それはシューゼ社のフリー部門の装置を想定してのことである。
「昔は、そんなもの誰も使ってくれなかったがね」
小林とて思いは同じである。何にでも使える装置を占いに限定する必要はない。
「そうかな。遣り方さえ考えれば結構ヒットする様な気がするんだけど・・・。例えば新しいレストランを開くのにどんな場所が最適だとか、専用のシミュレーション装置を持てない規模の会社が新しい製品の評価に使うとか・・・」
エリカの年代の連中の発想は、小林の時代の人間には想像もつかない。
「実は、私もこの装置をどこかに設置するつもりだった。占い装置である必要はない。汎用のシミュレーション装置として、お前の好きな様に考えてみろ」
「本当。それなら秋葉原辺りに設置してみましょうよ。色んなオタクが集まって来るわよ。きっと・・・」
「あの太田薫みたいな連中がな」
小林の冗談に、エリカが思いっきり嫌な顔をした。あの男の事は、思い出すだけでジンマシンが出た。
「で、前回はどんな宣伝をして客を集めたわけ?」
「宣伝らしい事はしていない。最初に50人の主婦とOLを有料のモニターとして使って貰った。その後は、彼女達の口コミで自然に客が集まってきた」
「えっ、口コミで1、500人の客を集めたの?」
エリカにとっては驚きの人数だった。それだけのデータが集められれば十分だった。
「本当はもっと多くの収益を上げられる筈だったんだ。あの事件さえなければな」
小林の表情が曇った。今回の事さえ無ければ、この装置の封印を解く事は無かった。
「何なの、その事件て」
「今はまだ、知らん方がいい。その時が来れば教える」
父のその言い方に、エリカはチョッと不安を感じた。しかし、あの装置の能力を試せる事を考えると、そんな不安など掻き消されてしまう。
「それじゃ、秋葉原でお願いします。きっと面白いデータが集まると思うわ」
「分かった。場所は私に任せろ。それで、いつまでに設置できるんだ」
「その前に相談なんだけどさ、あのシステムには既に前のAIソフトが組み込まれているでしょ。シューゼ社向けの装置にインストールされている、私が修正したAIとの組み換えをどうしようかと考えているの。お父さんのAIの方はかなりの経験値を積んでいるし、その辺りをどんな風に調整したら良いかなと思って・・・」
「心配することはない。どちらもベースは私の創造したものだ。両方をLANでつないで見ろ。お互いが勝手に調整してくれる」
「ホントに?」
エリカは信じられないとでも言うように、目を大きく見開いた。
「念の為に、あの装置の管理は私が行う。このコンピュータと装置を直結させて、私自身が管理させて貰うよ」
小林は何気にそう言った。そこには彼の狙いがあったのだが、まだエリカに言うつもりは無かった。
「父さん、もう一つだけ聞きたいんだけど」
「なんだ」
「あの占い装置に登場する占い師の女性なんだけど。南十字沙織っていうのは、誰のアイデアなの。もう少し別のキャラクターにしてみたいと思ってるんだけど?」
「あれは昔の依頼主の考えたキャラクターだ。全てお前に任せるよ、好きにしろ。それから、これは私からの提案なんだが、情報の入力についてはインターネットも利用してみたらどうだろう。その方が臨場感も出るし、こちらでキャラクターを準備する手間も省けるからな」
「なるほど、それは名案だね」
それでは、といってエリカは元気良く社長室を飛び出して行った。入れ替わりに、50代の女性が社長室に入ってきた。手にはお盆を持っている。
「お父さん。あんな装置ほじくり出して、何を企んでるんです?」
KSテックの専務が、小林にお茶を出しながら聞いた。
「母さん。会社でお父さんは止めろと言っているだろう。社長と呼びなさい」
「はいはい、社長。でも、何か活き活きしているじゃないですか。まるでゲームでも始めた子供みたいですよ」
さすがに長年連れ添った妻である。どんな小さな嘘も隠せなかった。
「ゲームなんかじゃないよ母さん。これは戦争だ。私は、エリカに私の二の舞だけは踏ませたくはないんだ」
小林の瞳がキラリと輝いた。
「おやおや、昔の血が騒ぎ始めたみたいですね。小林一等空佐の頃の・・・」
自衛隊の上級幹部だった小林一等空佐も、そしてKSテックの小林社長も、妻にとっては所詮、子供の様な存在に過ぎなかった。