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街角簡易シミュレーター・AOIちゃん  作者: マーク・ランシット
10/30

10

 予約の時間が10分くらいに迫った頃、若い女性が入って来た。

 彼女は加藤京子と名乗り、私の隣に座った。


 彼女は、私の手にしているアイドル雑誌を気にしている。

 確かに私の様な初老の女性が愛読する様な雑誌ではない。

 娘の早苗がくれたものだ。


 私の名は佐々木文江、63歳になってしまった。

 30年以上連れ添った主人は、3年前に亡くなり、今は息子の家族と暮らしている。


 息子の嫁も悪い人ではないけれど、やはり一番気楽なのは娘の早苗だ。

 早苗は7年前に嫁いで、2人の孫とよく遊びに来る。


 私は、これでもまだ働いている。家に閉じこもるのも、息子から小遣いを貰いながらチマチマ生きるのも性に合わない。

 仕事の仲間と居酒屋にも行くし、カラオケにだって行く。

 早苗とも時々二人で飲みに行く。


 ある日の事だった。

「お母さんの初恋って、お父さん?」

 いも焼酎でほろ酔い気味の早苗が、突然聞いた。

「そんな訳ないじゃん。私にだって、青春時代くらいあったのよ」

「えーー、それ教えてよ」


「高校1年の時かな、好きだった人からデートに誘われた」

「どこ、どこに行ったの」

「高尾山」

「えっ、それってちょっとジミじゃね?」


「今みたいな時代じゃないんだよ。あの頃はそれで十分ときめいたんだ」

「なるほどね。で、そのデートでどこまで行ったの?」

「それがさーー」


 もう結婚して7年。早苗も結構刺激に飢えているのだろう。

 それから、根掘り葉掘り、あれやこれや、聞かれた。


 結局の話が、キスぐらいは許すつもりだったのに、不発に終わってしまったのだ。

「そっか、やっぱお母さんの時代は、まだまだ初心うぶやったんやね」

「んだ、んだ。ウブだった、初心だった」

「お母さん、その人とキスしたかった?」

「まあね。初恋だからね・・」


 しばらく、早苗は何かを考えていた。そして、そばに置いてあったバックの中をゴソゴソと探って、一枚のビラを私の前に置いた。


”KSテック社のAIシミュレーターが、ついに渋谷に上陸”

”アイドルだって思いのまま。青春のあのときめきがディープに蘇る”


「なんか、怪しげなチラシだね」

「それがさー、結構イケるみたいなんだよね。私の職場の女性が体験してさ、すっごく良かったで話なんだわ」

「高いんでしょ?」

「それがさ、1時間3,000円。普通は2時間コースらしいよ」

「騙されたとしても、被害は少ないか・・・」


「でも、顔が違ったらやっぱ無理でしょ}

「それがさ、写真をスキャンするだけで、合成してくれるんだって。モノクロ写真でも大丈夫らしいよ」

「バカにしないでよ。私の時だって、もう普通にカラー写真だったんだよ」


「お母さん、その人の写真持ってないの?」

「ない」

「卒業アルバムでいいじゃん」

「転校しちゃったんだよ、2年の時に」


「じゃ、お父さんの若い時の写真で我慢する?」

「バカ言ってんじゃないわよ。私の青春を汚さないでよ」

「それって、娘としては、結構複雑なんですけど・・」


 あっ。

 それから暫くたった時、私はあることを思い出した。

 娘が忘れて行った雑誌を、何気にペラペラと捲っていた時、何とかというアイドルの一人が、あの人にソックリだった事を。


 KSテック、渋谷店。


「佐々木文江様ですね。お待たせしました。本日はどのような内容をご希望でしょうか?」

 液晶画面の女性が、にこやかな笑顔で質問した。

 AIは、佐々木文江の年齢に合わせて、40代と思しき女性の姿を表示させた。


「私の初恋の人に会いたいんですけど」

「写真はお持ちでしょうか?」

「本人ではないんですけど、この人にソックリなんです」

 私は雑誌のページをめくり、5人グループの一人を指さした。


「招致いたしました。そのページを右のスキャナーにあてて頂けますでしょうか?」

 私は、そのページを裏側にしてスキャナーの画面に押し当てた。

 青白い光がゆっくりと動いて、カシャリという音がした。


「念の為に、消毒済みと書かれたケースの装備品を身に付けて頂けませんか?」

 画像の処理が行われている間に、私はそれらを装着した。

「あなたの記憶と照合させて頂きます」


 1分程すると、液晶ゴーグルの画面にそのアイドルの顔が表示された。既に立体的に加工されている。

「このままの映像でよろしいでしょうか?」

 私は、ちょっとした違和感を覚えて首を傾げた。

「もう少し、頬がこけていた様な気がします」


 アイドルの顔が、少しずつ変化して行く。

「あっ、ストップ。それ、それでいいです」

「髪型もあの頃の流行りにしてみましょうか?」

「お願いします」


 アイドルの髪型が、当時の高校生らしい短めのスタイルに切り替わり、茶髪も自然な黒髪に変化していく。


「それ、それです。それで、完璧です」


「服装についてのご提案はございますか?」

「白のポロシャツだったと思います」

「下はGパンですね」

「ええ、確かにそうでした。でもどうして?」


「あなたの大脳皮質に、その様な映像が残されていました。身長は176cm、体重はおよそ58kg。ご確認下さい」

 直後に、男子高校生の全身映像が写し出された。その立体画像はゆっくりと回転して行く。

 

 私の心に、青春時代の切ない感情が湧き上がってきた。まさに、彼こそが私の初恋の人だった。


 私は機械には無頓着だ。だから、頭に被ったヘルメットの様な装置が、私の大脳皮質の記憶に入り込み、選り分け、入手し、それに関連付けられた情報まで分析していたことの凄さには、全く気が付かなかった。


「名前は高橋卓さん。貴方と同じ吹奏楽部に所属していましたね」

 たかはし・すぐる・・・。

「そう、そうです。完璧です。まるであの時に戻ったみたい・・」


「AIシミュレーションをスタートする前に、どうしても叶えたいという希望は、ございますか?」

「あの時出来なかった、ファースト・キッスを叶えて下さい」

 心が既に青春時代に戻ってしまった私は、恥ずかしそうにつぶやいた。


「かしこまりました。それではKSテック社のAIソフトをご堪能下さい」


 2分間の間、リラックスできるハーブの香りと神秘的な曲が流れた。

 濃い霧が晴れると、そこは高尾山口駅の改札を出たところだった。


「ねっ、高橋くん。こっちこっち」

 私は、高尾山へのルートが描かれている地図の方へ駆けて行った。

 元気一杯、幸せ一杯な私に比べて、彼の方のモチベーションはそれほどでもない。


 娘の早苗についた一つ目の嘘。

 デートに誘われたのではない、私が強引に誘ったのだ。


 アイドルグループの一人に似ているくらいだから、高橋くんの人気は凄かった。

 彼を目当てに吹奏楽部に入部する女生徒もいたくらいだ。

 私も、そこそこ男子生徒の人気を集めてはいたけれど、高橋くんには到底及ばない。


「稲荷山ルートが、おススメらしいよ」

 ケーブルカーを指さそうとしていた高橋くんの手を、私は強引に引っ張って歩きだした。

「おい、ちょっと待ってよ」

 初めて握った高橋くんの手。その感触はまさにリアルだった。

 私は、いま高橋くんとここにいる。


 早苗についた二つ目の嘘。

 彼が、恥ずかしがる私の手をそっと掴んだ。

 そうじゃない。私が強引に彼の手を掴んだのだ。


 二人の目の前には、なだらかな登りの道が続いている。

 最初はいやいやだった彼も、仕方なくから、むしろ積極的に歩き始めた。

 それほどここの空気は爽やかで、日頃は運動不足の彼のどこかを刺激したのだろう。


 私の手を振り切って前に進もうとする高橋くんの手を、私は決して離さなかった。

 二人は休むことなく、途中にある展望台までやって来た。


「凄い。山の向こうにビルが見えてる。あれって新宿だよね」

 高橋くんは、興奮して叫んだ。

 はあ、はあ、はあ。

 私は展望台の手すりに掴って、荒い息をした。

 やっぱり、男の子の体力には適わない。


 暫く休んだ後、高橋くんは「行くよ」と言って歩き始めた。

 私は「待って」と言って、再び彼の手を掴んだ。

 華奢に思えていた高橋くんの肩と腕は、いまはとても逞しく見えた。

 この腕に抱きしめられたら・・。


 山頂には、既に沢山の人がたむろしていた。

 座れそうな場所はすべて占領されている。

 山頂まえの階段は地獄だった。私はへとへとになっていた。


「三枝さん(私の旧姓)、大丈夫」

 高橋くんが、私の背中に手を当てて気づかってくれる。

「もうダメ」

 私はそう言って、高橋くんの腕の中に飛び込んだ。 

「えっ、ダメだよ三枝さん。みんなが見てるよ」


 早苗についた、三つめの嘘。

 木陰で、高橋くんが私の身体を引き寄せた。

「勿体ない、なんでその時にキスしなかったのよ」

 早苗の質問に、その時はまだ初心だったからと答えた。


「私、お弁当作って来たの」

 1メートル四方のブルーのシートを敷くと、私はその上にちょこっと座った。

 トントンとそのシートを叩いて、高橋くんに座る様に促す。

 二人は、遠くに霞む富士山を眺めながらサンドイッチを食べた。


「もう少しいようよ」

 という私の願いも虚しく、高橋くんは下山すると言い出した。

 と、いう事は、全く過去の出来事と一緒だった。

 それはそれで凄いことだった。しかし、あまりに自然で気が付かなかった。

 

 6,000円でここまでのリアリティーならば、文句の付けようはない。

 でも、ファースト・キッスの要望はどうなるのだろう?


 繋いでいた私の手を、彼は危ないからと言ってほどいてしまった。

 細いつり橋の前での事だった。

 仕方なく、つり橋を渡り終わったところで、私は高橋くんの背中に抱き付いた。

「怖かった・・・」


「ゴメンね」

 高橋くんは、振り返り、私の目を見ながら言った。

 二人の距離は確実に縮まっていた。

 私は、ツンとスネてみせた。

 AIのリアクションを期待したけれど、何も起こらなかった。


 このまま終了かと思いかけた時、過去と違うことが起こった。

 晴れていた空が暗くなり、突然雨が降り出した。

 二人は、木陰を目指して駆けだした。

 

 持っていたブルーシートを出して、二人で被った。

 たった一枚のシートが、外界と私たちを完璧に遮断させていた。


「凄いことになったね」

 シートの隙間から雨の様子を見ようと、高橋くんが身をかがめた。

 その瞬間を、私は見逃さなかった。

 高橋くんの頬を掴んで、キスをした。


「わっ」

 高橋くんは、驚いた声を上げたけれど、私の口に阻まれて音にはならなかった。

 それは軽いキスなどではなかった。

 その瞬間に、私はすべてを理解した。


 AIソフトによって創造された高橋くんは、まだ16歳のまま。

 そして、私自身は、数多くの経験を積んだ女性。

 キスは挨拶などではない。

 性を解放する為のスイッチなのだ。

 長い歳月が、私を16歳の淡い性などでは満足出来ない魔物へと変貌させていたのだった。


 私は、ブルーシートを支えていた高橋くんの左手を掴むと、私の右の胸に押し当てた。シートから解放された雨が二人を濡らす。雨をすった薄いシャツは、私の淡いピンクのブラにへばり付いた。そのブラの上に、高橋くんの無垢な手の平が押し付けられた。


「な、なにっ」

 声にならない声で、高橋くんは私のされるままに突っ立っている。

 ただ、彼の股間だけが爆発しそうに膨らんでいた。


 私は、右手でジーパンの上からその膨らんだものを掴んだ。

 そして、数回だけ扱いた。


 うっ。うっ。

 高橋くんは、引き攣った様に体を震わすと、力なくその場に座り込んだ。

 呆けた表情で、股間を両手で覆っている。


 暫くして、彼はその場に立っている私の顔を仰ぐように見上げた。

 雨に濡れそぼった私の髪がピッタリと固まり、無数の水滴を垂らしている。

 恐らく、私は薄ら笑いを浮かべていたに違いない。


 うわーーー、っと叫び声をあげると、彼は一目散に駈け出して行った。


 一瞬、画面が真っ白になった。

 始まりの時と同じように、ハーブの香りとリラックスできる音楽が流れる。


 先ほどの女性が現れると、深々と頭を下げた。

「佐々木さま、申し訳ございません。AIの判断で、これ以上の展開は不可能となりました」

「構いません。どちらかと言うと、謝るのは私の方でしょうね」

「ご理解のほど、感謝いたします」

「私は、この様な機械には全くの素人ですが、でも、今の判断は、至極まっとうだとおもいましたよ」


「あと15分ほど、時間がございます。何かご希望がございますでしょうか?」


 女性の質問に、私は目を閉じた。


「35歳になった高橋くんを見てみたいんですけど」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 しばらくすると、目の前に背広姿の男性が現れた。

 先ほどの16歳の少年は、精悍な逞しい男に変貌していた。


「ネクタイは、ベルサーチに出来ますか?」

「柄とカラーは、いかがいたしましょうか?」

「紺と薄いベージュのストライプが、好きなんですけど」


 望みの通りに、ネクタイの柄が変化した。


「中身・・・、というか経験値の方も、それなりに変化しているんですか?」

「もちろんです。佐々木様のあちらのご要望にも十分対応可能かと」

「それは、楽しみですね」


「本日は、時間の関係で難しい様ですが、次回にこの設定でスタート出来ますが、いかがいたしましょうか?」

「いま、予約が出来るんですか?」

「もちろんでございます」

「最短で、どれくらいななりますか?」

「来月の25日以降であれば、本日と同じ時間が空いております」

「それでは、25日でお願いします」


 扉が開いて、軽やかな音楽が流れて来た。

 防音ガラスのドアを開けて出る時に、加藤京子と目があった。

 疲れ切っていた顔が、スッキリと輝いている。

 反対側の女性に目を移すと、暗い表情をしていた。


 渋谷の駅の構内で、スマホが鳴った。

「お母さん。どうだった?」

 娘の早苗からだった。

「とっても良かったよ。あんたのおかげて、ファースト・キッスもゲット出来たし」

「そっかー、でも、お父さんの事もちゃんと愛してあげてね」

「あんたに言われなくても分かってるよ。あんたも研一さんのこと大事にしてあげるのよ」


 私は、電話を切ると、スマホのカレンダーを開いた。

「はい、来月の25日っと。これで、次の働く目標が出来たわね」



ガシャ。


 シューゼ社の実験室に置かれた体感型バーチャル映像システム(通称BVPS)の中から女性の被験者が現れた。

 彼女は集米出版から新たに審査委員に選出された佐々木文江。63歳の彼女は後2年で定年を迎える。


「どうでした?」

 シューゼ社の開発者に質問された彼女は、不思議そうに首を傾げた。


「あれ? 私って渋谷のKSテックに居たんですよね?」

 彼女はKSテック社のソフトが作り上げたストーリーの中から、いまだに抜け切れずにいるみたいだった。


「いいえ、あなたがいるのはシューゼ社の開発室ですよ」


 彼女は、えっと言った後、現実の自分を取り戻した。そして、フーとため息をついた。

「やっぱり、思い出は美しいまま残しておいた方が良いんですよね」


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