第一話 よもぎ (二)
青柳は気怠く組んだ脚に肘を乗せ、さらに手の先に顎を乗せるという蛙らしからぬ姿で話し始めた。
「お前の父上が何をしようとしているかということは、わたしにも分かる。母上が良くない。――そこで坊主さ。恐らく、『弦庵』っていう坊主だね。近頃流行の憑物落としの、ね」
「……憑物落とし?」
「そうさ。母上は何かに憑かれているってのが父上の見解だと思うんだよ。――多分。問題は、まあ幾つかあるんだけれども。とにかくその坊主さ。会えば解るけれど――ちょいと手癖が悪くてね」
青柳が何かを思い出したのか溜息を洩らし、続ける。
「物覚えも悪くてね、思い出させるのにそれが必要なのさ」
「……蓬、が?」
いまいち釈然としないが、佐之助は頷く。
「分かった。で、どうしろと?」
「それを離れの縁の下にでも埋めておくだけだよ。簡単だろう」
「何と言うか、良くは分からんが。言った通りにはするさ。お前のおまじないは効くというからなあ。しかし魔除けは駄目でもおまじないなら良いのか。複雑な生き物だな」
青柳はにんまり笑って言った。
「その内、どういう者か分かるよ」
そして白い手をひらひらさせる。――早く行け――ということだ。
「やれやれ。付き合いは長いが真意が分からないんじゃ話にならんよ」
佐之助は独りごちて苦笑する。
そうして懐に入れた蓬を取り出してみる。
――こわいもの、他にもあるじゃないか。
佐之助は青柳と会話出来るまでに慣れてきた幼い頃を思い出した。
* * * * *
「青柳はいつからここにいるの?」
「……さて。いつからだろう。でも、坊が生まれる随分と前からだよ」
二人は何時ものように大柳の根元にある石に腰掛けてたわいも無いことを話していた。大抵は佐之助が何か質問をして、青柳がそれに答えるというものだ。
青柳は人ではない。それは見た目からして直ぐにわかった。しかし、だとすれば何故この青蛙は佐之助に優しく振舞うのか。
――青柳が化物であるのか、そうではないのか――
お化けや妖怪など化物の類は人に悪さをする。祟りや呪いで人を殺す事もある、と佐之助は寺子屋で良く話をしていたひとつ上の吉からそう聞いた。
そしてそういった化け物の類は、お経やお札、坊主や宮司に弱くてそれらにやられて消えてしまうのだとも聞いた。
ところが、目の前にいる大きな青蛙の青柳はそんなものに驚きもしないばかりか、堂々と自ら神社やら寺やら廻るのだ。青柳曰く「仏閣巡りは趣味だしねえ」という事らしい。
では、だ。青柳は何者なのか? 専ら佐之助の興味は其処にあり、話題も自ずとそちらに向かうのだが、青柳は「その内分かる」としか言わず、何時も答えをはぐらかされてばかりだった。
そしてもう一つ不思議な事があった。佐之助は青柳と出会った頃から記憶が混乱することが良くあり、思い出そうとすると頭にもやが掛かったようになることがあった。
そんな時青柳は微笑って言う。
「無理に思い出さなくてもいずれ思い出すさ。忘れたくないことはね、忘れたくとも覚えているもんだよ」
と。そうしていつも茶店や小料理屋でお茶を振るまってくれるのだが、煎れたてで熱い筈が冷えているのが常だ――この妙な茶が怪しいのではないか?
と疑ってみたが、それは青柳の手を経た訳ではないので、佐之助の心に引っ掛かりは残るものの、関係はなさそうだった。
そしてその疑惑を知ってか知らずか青柳は優しく笑い、佐之助や家族を心配してくれる。
――まあ、化物でも何者でもいいか。
幼い佐之助がそう思うようになるのには時間はかからなかった。
そして疑問は混乱した記憶の渦へと呑まれて行って、たわいもない会話は繰り返される。
「青柳にこわいものは、ある?」
「さあてねえ。女の嫉妬くらいかねえ」
「嫉妬?」
「『やきもち』って言ってね――」
そして青柳は必ず最後に言うのだ。
「どんな妖怪変化も幽霊も、ヒトの悪意には勝てないんだよ。妬み謗み蔑むという悪意にはね」
* * * * *
ふと、佐之助は我に返る。手に取り、ためつすがめつしていた蓬を日に透かしてみた。
「今、何か。――何か思い出しかけた気がするんだが」
蓬の葉はその深緑の鮮やかな色で彼の頬を照らしていた。