第一話 よもぎ (一)
上総佐之助は代々続いた小間物問屋の十五代目を継いで十六代当主――となるはずなのだが、本人にその気はなく、毎日ふらふらと町に出ている。
望まれていた子供であった彼は上総の跡取りとして大事に育てられてきたのだが、大事にされ過ぎたのかどこか茫洋とした青年になってしまっていた。
そして佐之助の父、現当主佐衛門には幾つかの悩みがある。
佐之助の他に跡取りがいないということだ。
代々続いた大店を潰すのも惜しく、更に本家以外の手に渡るのは口惜しいという思いでろくに眠れぬ日々を送っている。
佐之助は夫婦の間に随分遅くにできた子で、妻のキヨなどは佐之助が生まれるまで随分長い事身内から辛い仕打ちにあってきた。
そのキヨは先代が没してから奥の離れに一人で生活している。
出てきて佐衛門と向き合おうともしない。もう何年もそんな日々が続いていた。
跡取りについてはこの十二年もの間、佐衛門の頭痛の種となっている。
彼の親類縁者からは囲え囲え、血を絶やさぬ様にと煩く、妻の実家からは見限らないでくれるな、戻されても今更困ると泣きつかれていて彼も疲れ切っていた。
店の中でも、そろそろ隠居の佐衛門に代わる主は誰か、店自体を潰すのかと口さがない噂で持ちきりであった。
そんな屋敷には当然の如く居辛く、佐之助は裏通りを川沿いに下りながらあてどもなく歩く。土手には蓬がところどころに生えていて、その緑が日光にはねて目に沁みる。このまま道なりに進めばあの巨きな柳木が見えてくる。
佐之助が柳を見ていると、ぼんやり何かを思い出そうとしそうになった。その時、隣を一緒にそぞろ歩いていた青柳が口を開いた。
「――父上はいかがだい?」
見た目は成人した男の身丈ほどもある大きな青蛙が口を開く。まあるい瞳を細めると横長の瞳孔も細められる。佐之助はこの蛙と付き合いが長い。彼に友人と呼べるのはこの化け蛙とも言える青柳しかいない。
そんな青柳から聞かれたこと――父親がどんな様子か、元気かなのか。どちらについて聞かれているか分からなくて、佐之助が答えに窮していると、
「変わった様子がおありのように見えるけれど」
「……ああ」
それならば思い当たる。――変わった。それはあるかもしれない。いや、あるのだ。
キヨが離れに篭り始めてからもう何年かが経ち、ここ最近どうもおかしい。と思っていた。
――そう言えば
佐之助は思い出す。
「夕べは使いに文を渡していたな。最近この近くに越してきた偉い坊さんだかなんだかに宛てると言っていた気がする。聞こうとしたんだが、相変わらず俺にはだんまりだ」
苦笑して青柳を見ると、笑いを噛み殺しているのか袂で口元を押さえている。
「それはまた。笑わせてくれる。ちょっとは知恵のまわる御方かと思いきや……」
「どうした? 法要でもないのに坊主を呼ぶのはやはり可笑しいものなんだろうか? 他に親父殿の変わったと所といえば、顔付きが変わってきたくらいか」
青柳はぴたりと笑うのを止め、佐之助をひたと見据える。
「お前さんの目から見て、どんな風に?」
「鬼気迫る――そんな感じだ。追い詰められているようにも見えるが、そう思うのは俺ぐらいだろう。店の者らは何とも思ってないようなんだが」
「鬼気迫る……ねえ。ふうん」
青柳は何か思いついたように座り込み、足元に生えている蓬を幾つか毟ると、ふうと息を吹き掛け手のひらで撫でて佐之助に寄越した。
手渡された蓬を掌で転がし、佐之助は青柳を見る。
「……わたしらヒトでない者は、お経やら祈祷やらは効かないと昔に言ったね? 覚えておいでかい?」
「ああ。初めて遭った時は驚いて、次にお前を見たときに俺はろくに覚えちゃいない経を唱えて――確かその時に言ったな? 『効きゃあしないよ』って」
青柳は正月に神社参りもするし、知り合いに不幸があれば寺で供養も普通にする。出来る、と言うべきか。
「そうさ。神も仏も信じてるわたしらにゃあ、そんなもんはね屁でもない。ただし、魔除けの類は話が違う。香りが毒でね。南蛮、柚子に干した鰯の頭。それとその――」
「……蓬」
「そうさ。他にも色々忌む物は多いけどね。触ったと分かっただけで蕁麻疹が出るよ。おお嫌だ。そんな物を口に入れた日にゃあ、一週間は寝込んじまう」
そう言って身震いすると、蓬を摘んだ手やら指やらを佐之助の着物で拭く。――青い水かきやぶよぶよした蛙の肢が着物に絡んでいるふうにしか佐之助には見えていないのだが。
「なあんだ、なら触らねば良いのに。言ってくれれば俺が摘んだ」
「私の手を経ることで意味があるのさ。とにかく、それを懐にでもしまいな」
佐之助が素直に言われた通りにすると、青柳は目の前の柳木の下に促す。
根元には座るに丁度良い大きさの石が三つばかりあって、二人はそこに腰掛けた。