シルヴェーヌのひとりごと
「なんなの、この点数。あんた本当にすごいよね? シルヴェーヌちゃん」
さっきから、独特な四角形のマスが並んだ細長い紙をつくづくと眺めていた女性が、奇妙な笑みをこちらに向けておられます。そこにずらりと並んだ数字は、先日の中間考査の結果を示しています。
「いえ……。特に、さほどのことではございませんわ、お姉さま。先生から『これをやっておくように』『憶えておくように』と指示されたことを、普通にひとつひとつこなしていただけなのですし」
「ぷはっ! そうだったね」
お姉さま──とはいっても、この方はわたくしの本当の姉ではありませんけれど──は、さも楽しげに大口を開けてお笑いになりました。
「前にも言ってたもんね。『とにかくこの世界の学問に興味があって、ついつい勉強してしまうのです~』って。あんた、えらいわ」
「いいえ。とんでもないことでございますわ」
そう。
このかたが、今のわたくしの救世主にして、生活のあらゆる面をサポートする参謀役ともなってくださっている、健人さまのお姉さまです。
お名前は、聡子さまとおっしゃいます。
わたくしがこちらの世界にきて、右も左もわからない状態のまま不安の極致に至っていたとき、すぐに手を差し伸べて助けてくださった恩人。いえ、恩人以上のおかたです。
「にしてもさあ。アレが戻ってきたら苦労しそうだねえ。だってこんな成績、あいつの頭で叩き出せるはずがないもん。この成績を維持するなんて、逆立ちしてもムリだろうからね~」
健人さんのベッドに胡坐というものをかいて座りこみ、楽しそうにケタケタ笑っているこの方は、健人さんより三つ年上の「ジョシダイセイ」というものだということは最初にお聞きしました。
ちなみにわたくしはベッドの下で、きちんと正座をしております。
もうひとつ、「フジョシ」とかいう渾名もお持ちだそうなのですが、そちらに関してはわたくしにはいまひとつわかりません。
お姉さまは、ときどき目をきらきらさせてお訊ねになります。
「ねえねえ、その後、あいつと皇子のカンケイはどーなったの?」
けれど、こればかりはわたくしにもなんとお答えするのが正解なのかがわかりません。お姉さまを喜ばせてさしあげたいのは山々なのですけれど、本当に困ったものですわ……。
仕方がないので「おふたりの仲はとてもおよろしいようですわね」と、いつもお答えするばかりなのですけれど。
お姉さま、なんとなくそれだけではご不満のようですし。
ああ、困ったわ。
正直、これだけはこちらの世界で頭の痛いことですわね……。
──こほん。
ともかくも。
さきほどの「大学」というのは、いま健人さんが所属している「高校」のさらにひとつ上のレベルの学府なのだそうです。
女性がそこまでの高等教育を受けることに最初のうちこそ驚いたのですけれど、お姉さまに言わせると「は? わりとフツーだよ?」とのことでした。
(そうなのね……。とても素晴らしいことだわ。あちらの世界へ戻っても見習わなくては)
貴族の娘はともかくとして、あちらの世界で庶民の女性が高等教育を受けるのはかなり大変なことでした。この国の豊かさを知るにつれ、それがどんなに大切なことかを日々思い知らされます。
もしも戻ることが叶うなら、わたくしはそうした方面での社会貢献ができないものかしら。……と、このところよく考えるのです。
健人さんとは、暇な時間を見てはいまも連絡を取りあっています。彼は最初からずっと、お互いがもとの世界に戻ることを希望しておられます。
あちらの世界に戻れるかどうかはまだハッキリしませんけれど、魔塔の宗主さまにもすでにご相談されていると聞き及んでおります。宗主さまがお考えくださるのなら、かなり希望が持てるのではないでしょうか。今は希望をいだいております。
とはいえ、今のわたくしにできることはほとんどないとのこと。
それが歯がゆいと言えば歯がゆいのですが、やきもきしながらも健人さんからの次のご連絡を待っているところなのです。
◆
「はい、柔軟とランニング終了。では、今日の次の練習メニューは──」
楽しい授業時間が終了し、放課後は健人さんにとってとても大切な活動、つまり野球の練習の時間です。
実は健人さんは、なんとこのチームのキャプテン、つまり団長をつとめておられました。さすが健人さんですわね。
もし一般の部員であったなら、わたくしももう少し楽ができたのでは……と思わないこともないのですが、いえいえ。そんなことを言っていてはいけません。
それに、わたくしもこのひと月ほどで、こちら世界の殿方の振舞いかたにだいぶ馴染んできております。
もちろん、聡子お姉さまによるレクチャーに負うところが大きいのは申すまでもないことですが。
最初はわたくしなどに野球ができるものかしら、と不安にもなったのですが、意外とすんなりとバットを振ったり、ボールを捕ったり、投げたりすることができました。
どうやら健人さんの体が憶えていたということのようですね、うふふ。
◆
そんな感じで色々と頑張っている、田中健人の顔をしたシルヴェーヌちゃんですが、彼女はいまだに知りません。
野球部の部員たちが、ときどき頭を寄せあって、こんなことをコソコソとしゃべっていることをです。
「……なあなあ。やっぱり田中、変じゃね?」
「ん? なにがよ」
「なにがって、お前」
「ん~。まあな、前に頭に球が当たってから少しの間、変だったのは確かだけど。……最近はわりとマトモなんじゃね?」
「そうかあ……?」
「いや、今でもやっぱり語尾とか変なことあんぞ?」
「そうそう。俺、確かに『ですわ』って言うの聞いたもん」
「俺も聞いた! 必死でごまかしてたけどさー」
「うんうん。それに、ときどき気ぃ抜くと内股になってね?」
「あとさあ、弁当食う時、妙に品がよくね??」
「妙に手つきとか足はこびとかがキレイじゃね???」
「う~~~ん……」
かれらの視線の先には、はじけるような笑顔でノックを始める田中健人──もとい、シルヴェーヌちゃん。
「ほんと、キャプテン大丈夫かなあ……」
心優しい野球部員たちは、憐れみのいっぱいこもった目でうなずき合いました。
そうして今日も、わが部の愛すべきキャプテンを温かく見守っているのです──。
※こちらの閑話につきましては、ぶー様、てと様のご感想から、ふと思いついて書いたものです!
お二方とも、まことにありがとうございました(*^-^*)
ほかの皆様も、いつもお付き合いありがとうございます!
ひきつづき物語を楽しんでいただけましたら幸いです。





