2 アンジェリク、がっつりお説教されます
「いや、あのう……そもそも俺、野球用品のマージンとか、シュミーズドレスのデザイン料とかで、ここんとこなんだかんだ収入増えてますし──」
これは本当だ。
あのあともエマちゃんのパパはめちゃくちゃ頑張ってくれてて、野球人気とともに野球用品の需要はうなぎのぼり。
そもそも最初に貴族たちのために作ったものは高価な商品が中心だった。それで、それよりは少しグレードを下げたお安めのものも作ってみたら、それが平民のみなさんに大人気になったらしい。今じゃ休日に、町のはずれの空き地なんかで草野球をする町のみなさんの姿が見られるんだとか。
当然、野球用品はまた売れる。それにともなって、俺に入る売り上げの一部である収入もめちゃくちゃ増えている。
皇后陛下が広告塔になってくださったおかげで、貴族の令嬢たちに需要が広がったシュミーズ・ドレスによる収入だって相当なもんだ。あれはまさしく貴族向けだから、お値段もすげえしなあ。
てなわけで、俺はこの二つの事業で、すでにかなりの金持ちになっちまってる。別に今さら、これプラス鉱山の収入とか要らねーわ。とくに贅沢とかしてえわけでもなし。
「そう言うなって、シルヴェーヌ!」
食い下がったのはなぜかベル兄。
「父上がせっかくお前にとおっしゃってるんだ。それに、鉱山の実入りは一生もんだぞ? ドレスじゃ人気が下火になったらそれまでだしさあ。野球は上手くやれば息が長いかもしれないが、この先何があるかはわからないんだし」
「うーん……。ま、それは確かになあ」
顎に手を当てて考える。
たとえば突然、皇帝陛下が「国内で野球をすることを禁ずる」とか言い出したらすべてが一瞬にしてゼロになっちまう可能性はある。
確かにいろいろリスキーよね、こういう世界は。専制君主国家は意思決定が早くて便利な反面、リスクも大きい。だから、いろんな業種に手を広げてリスク管理しておくことは最重要課題だろう。
それに、よく考えたらこれは俺のじゃなくてシルヴェーヌちゃんの財産の問題だ。俺が勝手に決めちゃって、「要りません」とか言えるもんじゃねえかー。
──てなわけで。
俺は晴れて、領内にあるアンバース鉱山の所有者になることになった。法的な手続きはパパンがさっさと進めてくれるんだそうだ。ざっと頭の中で計算してみたら、年間の俺の……ってかシルヴェーヌちゃんの実入りは今までの三倍になることに。
三倍! ただでさえ増えてたとこに、さらに三倍!
これはちょっと、シルちゃんに自慢したいかもな~。
うへへへ。
ってにやにやしてたら、隣から変な音がした。
──ぐぬぬぬぬ。
なんか、そんな音。
恐るおそる隣を見たら、アンジェリクがおっそろしい顔になってる。青ざめるを通り越して紫色から白っぽい。血走ってギョロギョロした目が俺をすごい力で睨みつけている。……こっ、怖え。
「どっ……どうして──。おとうさま……」
喉の奥でそんなことを唸ってる。
「なんでシルヴェーヌばっかり! わ、わたくしはこんなっ……毎日、こんな目に遭わされているというのにっ!」
「おだまりなさい、アンジェリク!」
鋭く言ったのはママンだった。この人がアンジェリクを叱責するの、初めて見たかも。末っ子で美少女のアンジェリクをどこまでも甘やかしてた人だからなあ。
「あなたも、もうわかっているでしょう? シルヴェーヌが残した業績は、それはすばらしいものなのです。皇帝陛下から名誉勲章をいただくということがどういうことだか、あなただってわからないわけではないでしょう」
「でもっ……あんな大きな鉱山まであげちゃうなんてっ」
歯噛みをしながらアンジェリクがまだ食い下がる。
もはや鬼女の形相だ。どんだけすごい鉱山なのよ、そこ。
「もういい。それ以上は言うな、アンジェリク」
今度はパパンがその先を制した。やっぱり、これまでこの子に対しては使ったこともない厳しい声だった。
「そなたがこのところのシルヴェーヌの華々しい成果を妬ましく思っていることは知っている。無理もない。どこへ行っても『あの救国の女神シルヴェーヌ公女さまの妹御』と見られて比べられるのだしね。そこは理解しているつもりだ」
「…………」
この沈黙は、色んな意味を持っていた。
アンジェリクだけじゃない。この場にいる俺とベル兄以外の兄姉、さらにママンにも覚えのある感情だったからなんだろう。
そりゃそうだよな。
俺自身は別にこんなことを望んだわけじゃねえのに、めちゃくちゃ噂と名声が爆上がりしちまってさ。
自分だってもてあましているこんな状態を、肉親として比べられる立場になったらたまんねえだろうなっていうのは──うん、わかる……と思うよ、俺だって。
でも、と思ったところでパパンがまた口を開いた。
「我々のように『持てる者』というのは、常に他人からの羨望と嫉妬の的だ。だから自分が嫉妬される立場になることは多いだろう。が、逆に自分が誰かに対する嫉妬の虜になってしまう……という罠にも陥りやすいものだと思う。皇帝陛下は別格としても、とにかく上にはいくらでも上があることなのだからね」
(おお……)
なんか末娘に甘いだけの優しいけどダメなパパンかと思っていたら、意外とちゃんとした人だぞ、この人。
「貴族ともなれば、常に自分の嫉妬心と戦う必要が生じるだろう。それを良い方向に変えられないなら、捨て去るか、蓋をするかしかないものだ」
アンジェリクは黙りこくって、じっと自分の膝だけを見つめている。
パパンは軽くため息をついたみたいだった。
「アンジェリク。お前には、その方法を学んでほしいと思っているのだよ。そのための謹慎期間であり、奉仕活動だったのだ。それがお前の人生をきっと豊かにするからね」
「…………」
「悔しいと思うなら、その嫉妬心をもっと良い方向へ使うことを覚えなさい。だれの心にも嫉妬心という名の醜い鬼は生まれるものだ。ほとんどの人にとって、避けて通ることはできぬものだろう。……しかし、『偉人』と呼ばれるに至る人々は必ず、それをよい方向への努力に変えて成功した人たちなのだぞ」
アンジェリクが黙ったまま唇をかみしめている。膝の上でスカートを握った手がぶるぶる震えているのが見える。
なんちゅうか、ちっとも「反省」までには至ってねえ感じ。
うーん。この子、かーなーり、強情だ。





