15 シルヴェーヌちゃんと語ります
《そうなのですね。とうとう北壁の前線に……》
《うん……》
その夜。俺は自分にあてがわれた部屋で、久しぶりにシルヴェーヌちゃんとの交信をしていた。
これまでも、何度も途中経過を報告するために交信していたけど、今夜ほど深刻なのははじめてだった。
さすがに彼女も驚きを隠せない様子で、声はちょっと震えていた。そりゃそうだろう。中身は俺だとしても、この体は彼女のものだ。もしも何かがあったとしたら、一番の被害をうけるのは彼女自身に間違いないし。
もし大怪我でもしたら。体に傷でも残ったら?
いやそんなことより何より、もしも死んでしまったりしたら──。
俺は絶対、シルヴェーヌちゃんに顔向けできねえ。この子のパパンにもママンにも、それからクリストフ殿下にもだ。
改めて考えると、その重さにぞっとする。でもあの時、「いやです、できません」なんて俺には言えなかった。絶対に。
俺は膝の上の拳をぎゅっと握った。
《あの……ごめんね、いろいろ勝手に。でも俺──》
《いいえ。わかっています。謝っていただく必要などありませんわ、健人さん》
シルヴェーヌちゃんはきっぱり言った。とても静かな、落ち着いた声だった。
《あなたは前線で非常につらい思いをしている兵士のみなさん、魔導士のみなさんを見捨てるなんてできない人ですもの。あなたは心優しい方だから。わたくしがその場にいたって同じ選択をしたと思います。自分に彼らを救う大いなる力があるならなおさら》
《…………》
《ですから、どうかお気になさらないで。謝罪していただく必要もございません》
(シルヴェーヌちゃん……)
気のせいかもしれないけど、この子はこの子なりに、あっちの世界でずいぶん成長したような気がする。あっちではこっちの三分の一の時間しか過ぎていないっていうのにな。
もしかして、あっちでの平和な高校生活とか、野球部の仲間との交流とかで心が癒されているのかな? そうだったら嬉しいな。ほんとに。
ところで、あっちの一分はこっちの三分ってことがわかったわけだけど、こうして普通に通信できるのはなんでだろう。あっちでは俺の声、三倍速モードみたいになってんのかな~。そういうこと、シルヴェーヌちゃんが言ってたことはないけど。結構ナゾ。
《もちろん、本音を申せばわたくしだって怖いです。お父様やお母様に申し訳ない気持ちもありますわ。……けれど》
そこでシルヴェーヌちゃんは少し言葉を切った。
《実際、戦場で怖い目をなさるのも、痛い思いをなさるのも、あなたご自身ではありませんか。……尊敬しますわ、健人さん》
《いや、そんな》
《いいえ。わたくしだったらそこまでの勇気が出せたかどうか……。いえ、きっと無理だったでしょう。身がすくんで、動けなくなっていたかもしれません。そもそも、自分で騎士になろうだなんて考えすらしなかったのですし》
《…………》
《皇后陛下にお会いして、癒しの能力が顕現したことだってそうですわ。部屋にこもりきりでいたなら、こんな能力があることだってわからなかった。健人さんだったからこそ、こうなったのだと思います。野球が好きで、明るくて優しくて、周りにいるみんなを心から幸せにしようとするあなただからこそ。……すべてはつながっているのですもの》
《シルヴェーヌちゃん──》
《ですから》
シルヴェーヌちゃんの声はものすごく真摯で、ものすごく優しくて、そして心がこもっていた。
だって、声を聞いているだけでわかったんだ。彼女が優しく微笑んでいるだろうっていうことが。
《どうか、思うようになさいませ。わたくしはあなたの決定を応援し、支持しますわ。どこまでも。……こんな異世界からですけれどもね》
そうだ。この子はこういう子なんだもんな。
きゅっと鳩尾のあたりが締め付けられたみたいになって、目元が熱くなった。もしも彼女が目の前にいたら、俺は彼女を思わず抱きしめちゃっていたかもしれない。……いや、やっぱりできねえけど。
だから俺は、その代わりに言った。心をこめて。
《……ありがとう、シルヴェーヌちゃん》
《いいえ。むしろ、こんな平和な場所にいて、なにもできないわたくしをお許しください。本当に申し訳もないことですわ……お恥ずかしいばかりです》
《そんなことっ……!》
《ああ、それから》
そこで急に、シルヴェーヌちゃんの声はいたずらっぽいものに変わった。
《クリストフ殿下のことなのですけど》
《へ? 皇子……?》
《ずっと求愛されていらっしゃいますでしょう? 健人さん》
《あ、うー……。そ、そーね》
あうう。そっちの話かよー。
《殿下はいかがなさるおつもりなのでしょうね》
《え?》
《だってわたくしたちは、元通りの状態になることを望んでいますでしょう? 最終的にはわたくしはそちらに、健人さんはこちらに戻ることを希望して、その方法を探しているではありませんか》
《あ、うん。そーだけど》
《殿下はそのとき、いったいどうなさるおつもりなのかしらと思って》
《ええ? ……だって、どうしようもないんじゃないの? それは》
《……そうなのでしょうかしら、本当に》
《って、シルヴェーヌちゃん?》
いやなにを言ってんのよ、この子は。
そんなの当たり前でしょ?
まさか皇子が、俺──つまり田中健人──を追って、あっちの世界へついてくるなんて展開がありうるの??
《そのあたりは、一度宗主さまにもご相談なさるべきなのかもしれませんわね》
《そ、宗主さまに……?》
《はい。あの方であれば、古代から今までの世界のあらゆる術式、呪術と魔道に精通していらっしゃるはず。また、それらを調べるための資料についてもお詳しいかと》
《な、なるほど……?》
ちょっと首をかしげる。
そうか。その手があるのかもしんない。
ともあれ今は、目の前の戦場のことで手いっぱいだとは思うけどな。落ち着いたら、それを考えるのもひとつの方法かもしれねえな。
《……あ、申し訳ありません。教室に先生がいらしたので、わたくしはそろそろ》
《あっ、うん!》
どうやらあっちは、学校の休み時間だったらしい。
《ご武運をお祈り申し上げておりますわ、健人さん。……心から》
そうしてシルヴェーヌちゃんの声はぷつりと途切れた。





