4 そこまでウエストは絞れません
「ギイイイイイ──ヤアアアアア────!!」
絞め殺されてるサルの断末魔?
いやちがいます。
これ、俺の声だから!
俺は今、エマちゃんをはじめとするメイドさんたちや、身支度を手伝う侍女さんたちに囲まれて、部屋の柱のひとつにしがみついている。
ここに至るまでに、風呂に入れられて全身を念入りに磨き上げられるという行程ももちろんこなしている。
全体に脂肪がいきわたっているんだから、シルヴェーヌちゃん、当然胸もかなりある。腹はもっとでかいけど。
でも、まわりじゅうをメイドさんや侍女さんに囲まれている中で、「ぐへへへへ……」とかエロい顔して自分の胸部をもみしだくような狂人の真似はできなかった……無念。
で、まあそのとき、あらためてシルヴェーヌの体の豊満さにはびっくりしたわけだけど──
「ヒイイイイイ──ギイイイイイ──!! むっ、無理。ムリムリムリ! 死ぬ、死ぬうううううう!」
今の俺、完全に涙目でその全脂肪を恨んでいる。
「お嬢様! あとほんのちょっと。もうすこしだけ我慢あそばせッ」
「大切な婚約者さまにお会いになるためですわ。さあ!」
「あともうほんの少しだけ息を吐き出してくださいませ!」
「さあ、もう少ししっかりと立って!」
「くれぐれも、背中を丸めないでくださいましねッ」
「はい、姿勢よく! せーのっ!」
「ふぐっ……むぎゅううううう──!」
ってマジ?
この世界の女の人たちって、マジで日々こんなことやってんの? アホなの?
俺は完全に白目を剥いて気絶しかかっている。
こういうの、なにスタイルっていうのかは知らねえけど。
とにかく今は、ウエストがきゅっと締まってて、そのかわりに腰から下がぶわっと豪華に開いたドレスが流行の中心らしい。
(いや、あのさあ)
もちろん、これはこれで女性の体を美しく見せるために考え抜かれたスタイルなんだってことぐらいは理解してるよ? 俺だって。
でも、みんながみんな同じ服が似合うわけないじゃん?
シルヴェーヌちゃんみたいな体形の子には、当然、その体形にあったドレスの形というものが──
「ふぎゅっ! ぐへえ! ……も、もうダメ……!」
なんだかんだと脳内でごたくをならべまくりつつもようやくこの苦行から解放されたとき、俺の視界は真っ黒になった。
そうして、なにもわからなくなった。
◆
女の子たちがくすくす笑う声がする。
くすくす。くすくす。
それだけならまだ可愛かったけど。
低い囁き声が何を言っているかが聞こえてきて、俺はぎょっとした。俺はそのとき、うっすらと覚醒する寸前だった。それで、気を失っていたんだとやっと気づいた。
「シルヴェーヌ様、なんだかまた一段とお太りになられましたわね」
「しかたないのではないかしら? 毎日あんなにお召し上がりになるんですもの」
くすくすと楽しそうな低い声。
「毎回、コルセットをお締めするのが大変よ。見て、わたくしの手! こんなに真っ赤になってしまったわ」
「いくらご主人様とはいえ、もう少し普通の体形になっていただきたいものよねえ……」
なんだ……? これ。
俺はまわりに悟られないように、ほんのちょっぴり目を開いた。いま、そばにエマちゃんはいないらしい。
俺はコルセットをつけた状態のまま、自分のベッドに寝かされているようだ。
(ああ……そうだったな)
シルヴェーヌの記憶がまた甦る。
彼女は自分の侍女たちにですら、この体形とウジウジした性格のために陰では見下されていたんだ。
エマちゃんは平民出身だけど、侍女たちは貴族の令嬢だ。子爵とか男爵とかの家のな。
もちろん、シルヴェーヌの前ではどの侍女も殊勝な顔をしてかしこまっている。面と向かって意地悪を言ったり、いじめたりしてきたことはない。そりゃそうだ。なにかヘマをやらかしたら、自分だけじゃなく自分の家まで大変なことになるからな。
でも裏に回ればこの通り。自分の主人であるにもかかわらず、こうやって嘲笑したり陰口をきいたり。それが日常茶飯事だった。
シルヴェーヌはどうしてたかって?
もちろん知ってたさ。自分が侍女たちにまで見下されているなんてこと。
でも、何も言わなかった。「こんなに太って醜い自分には、何を言う権利もないんだわ」って完全に諦めていたからだ。
(そんなことねえのに)
俺の腹の底に、ぐらりと熱いものが生まれる。なんか、種火みたいなものが。
だってそんなの、おかしいじゃねえか。
体形がどうしたよ。見てくれがなんだっつうのよ。
シルヴェーヌはシルヴェーヌだろ。
エマちゃんを見てりゃ分かる。この子はこんなに身分が高いにもかかわらず、相当謙虚で優しい子だった。この身分でそういう女の子でいる、ってだけでも十分に価値があるはずだろ?
普通、身分の高い貴族の令嬢ってのは、もっともっと高飛車で変なプライドばっかり高くって鼻持ちならない、性格悪いのがそろってるんだぜ。この侍女たちはそのいい例だ。
実際、たまに出かけるパーティでシルヴェーヌちゃんがどんな目に遭ったことか。
飲み物に、笑いが止まらなくなる薬が混ぜこまれていたり。
座った椅子の脚がいきなり折れたり。もちろん、シルヴェーヌが座ったぐらいで壊れるような椅子じゃなかったのにだぜ?
手を洗うための水が入ったボウルが、なぜか頭上から落ちてきたり。
そんなことの繰り返しだった。
きらびやかで美しいはずの貴族の世界。その実、裏はとんでもなく薄汚い心と行動が支配している。いったんその捌け口になってしまったら、こうしてとことんいじめられる。それが貴族の世界なんだ。
そのうちシルヴェーヌは次第にパーティと名のつくものには参加しなくなっていった。いじわるお嬢たちは、さぞやせいせいしたんだろうぜ。
それで済んだらよかったんだけど、それは他人だけのことじゃなかった。
なんと、彼女には身内の中にもいじめっ子が存在した。
そう、それは──
つぎつぎとよみがえってくる過去の数々の出来事を見て、俺はぎりっと奥歯をかみしめた。
『アンジェリク……』
頭のずうっと奥の方で、本物のシルヴェーヌの声が聞こえた気がした。