3 思わぬアクシデントはつきものです
俺の投球は続く。
慎重に、慎重にだ。
練習でもしょっちゅう俺の球は見てたはずだけど、みんななかなか、すぐには手がでねえみたい。みんな騎士だし、基本的な能力は高いから、まっすぐの単調なボールなら難なく打てるんだろうけどな。
こっちもそう思って球種を使い分けてる。速球ばかりだと目が慣れちまうから、ちょいちょいスローボールもはさむ。時にはカーブ。そうやって打者のリズムを崩していくのは、ピッチャーの常套手段だ。
アンリが気を取り直し、再びバットを構えて腰を落とす。練習で俺が教えたとおりのフォーム。ビタッと決まってる。すげえサマになってるぞ。目力もすげえ。
こいつも飲み込みはめちゃくちゃ早いし、誠実で努力家だし、なによりパワーがすばらしい。捕球センスもある。つまりこいつ、虎チームのキャッチャーなんだわ。なんかこう、体形のこともあってドカベンっぽい。
このまま育てば、なかなかのスター選手になりそうだ。
まあ、もともと持ってるポテンシャルが高いんだと思うけどな。羨ましいわー。
俺はベル兄と目だけで次の球種の相談をすると、次の投球モーションに入った。
足をあげる。
ぐっと球に力を乗せて腕を振りぬく。
(いっけえ!)
目指すはベル兄のミットのみ!
──ビシッ。
ぎゅんっとアンリのバットがうなりを上げて振りぬかれる。
次の瞬間だった。
ギンッと鈍い音がして、ボールが打ち返された。が、ファウルボールだ。左へ飛んだボールをサードのやつが簡単にキャッチ。
バッターアウト。
スリーアウト、チェンジ。……の、はずだった。
「きゃあっ!」
突然きこえた鋭い悲鳴。観客がいる方からだ。
実は、飛んだのはボールだけじゃなかった。打った瞬間バットが折れ、頭の部分が回転しながら外へ飛んで行ったんだ。当たり所が悪かったらしい。
(あぶねっ!)
折れたバットはキュンキュン回りながら、侍女ちゃんたちが居るところへ飛んでいく!
俺はすぐに駆け出した。
(だめだ、間に合わねえ!)
と、その時。
頭を抱えてしゃがみこもうとする女の子たちの前に飛び出した人影があった。
「あっ!」
「殿下っ!」
咄嗟に駆け込んだのはクリストフ殿下だった。そのまま片腕でバットをたたき落とす。そこはさすが、騎士としてのムダのない華麗な動きだ。
皇子はアンリの二人あとに打順が回るはずなんで、それを見越して一足さきにベンチから出かかっていた。だから、比較的早く駆けつけられたんだ。
──でも。
「殿下っ!」
「殿下、大事ないですかッ!?」
みんなが血相を変えてわらわらと駆け寄ってくる。俺もそいつらを押しのけるようにして皇子のそばに走り寄り、膝をついた。
皇子は片膝をついて自分の腕を握っている。そこから赤いものが滴ったのを見て、ざあっと血の気が引いた気がした。
「殿下、見せて!」
焦ってる俺とは対照的に、皇子本人はごくしれっとした顔だ。大して痛そうにもしていない。
「大丈夫だ。大したことはない」
「んなこと言って! 血が出てんでしょうが。まぎれもなく怪我でしょうがっ! いいから見せろっての!」
俺はぽんぽん怒鳴り散らし、有無を言わさず皇子の手を握った。まわりのみんなが呆気にとられて目を丸くしてるけど、そんなのどうでもいい。
皇子はちょっと苦笑して、ようやく自分の腕から手をどけた。
(ああ……っ)
やっぱりだ。バットの折れて尖った部分が、ウェアを破って皮膚を傷つけている。骨が見えるほどじゃねえけどざっくり裂けてるし、けっこうな出血もしている。
利き手だし、神経を傷つけていたりしたら剣が振れなくなるかもしれない。こんな場所だし、ばい菌が入ったら予想もしてない病気になる可能性だってある。
事態を見てとった審判が、すぐに皆に言い渡した。
「試合はいったん中断とする! すぐに医療班を呼べ! 殿下の手当てをッ」
「はっ!」
実はこの審判、なんとうちの副団長どのだ。
これまでも俺たちの練習を時々見にきてくださってたんだけど、とうとう我慢できなくなったのか、「私が審判とやらをやってもよいか」って、自分から買って出てくださった。
俺がなんだかんだ言う前からルールブックをしっかり読み込んでくださってて、英語でのコールもすでに堂に入ったもんだ。
「まって!」
俺はサッと片手をあげて、走って行こうとする騎士を止めた。
「その必要はないっす! いいからみんな、落ち着いて」
「え? しかし少尉──」
「任せてください、俺に」
しっかりとうなずいて周りを見回してから、俺は皇子の患部に手をそっと当てて目を閉じた。呼吸を整え、神経を集中させる。
騎士団のみんなが俺たちをぐるりと取り囲んで、興味津々って目で見つめているのがわかるけど、そういう気を散らしそうなことを全部、意識的に頭の外へ追いやる。
(……大丈夫。落ち着け)
そうだ。あの皇后陛下の時とはちがう。俺だって成長してんだ。
ただ感情のままに魔力を暴走させたりしねえ。
魔塔の魔導士によるレクチャーを受けて、俺はあれからかなり《癒し》のスキルをあげてきた。
あの時、俺はあふれ出る自分の魔力を制御することができなかった。そのために、もともと多すぎるマナが暴走し、自分自身を疲弊させてしまった。
『己のマナを上手く制御するのです。それだけのマナの量があるからには、決して無意識のまま野放図にしておくわけには参りませぬ。放っておけばひたすら勝手にどっと出てしまう。他の者にも迷惑をかけかねませぬ。さらに、それではあなたご自身の身が危ない』
以前に聞いた魔導士の声が脳裏にひびく。
『出ていこうとするマナを絞る。……わかりますか? こう、ぎゅっと出口を狭めるのです。革袋の口を絞めるように。馬の手綱を握るように。あなたの思い通りにあやつるのです。そうした具体的な感覚があればなおよいでしょう』
そうだ。マナのコントロールにはイメージ力が大切なんだ。
とにかく具体的に何かを思い描くといいんだという。
それで俺がイメージしたのは、実は水道の蛇口だった。
ケガや病気をした人を哀れに思う心。それをエネルギーにして俺の体から出て行こうとする大量のマナ。その出口にくっついている蛇口。それを、そうっとゆっくり絞めて、しぼる。
雪国で、水道管が凍らないようにちょっとずつ水を出しておくときみたいに。
そして必要に応じてゆっくりとゆるめ、流れるマナの量を調節するんだ。
(ゆっくり……ゆっくり。ちょっとずつだ)
そうやっておいて、ちゃんとマナが安定したところで、今度は皇子の傷に意識を集中させる。
(あんたが怪我をするなんてイヤだ。……俺は、いやだ)
じんわりと心の奥底から不思議な感情が湧きおこる。
ちょっと泣きそうになるけど、そこは我慢だ。
そして暴走はさせない。
皇后陛下のときみたいな、呪いや毒による真っ黒いものとは違って、単純な傷は意識の目からは赤く光って見えた。痛みと熱が赤い色で表現されるものみたいだ。
穏やかに白く光っている子ヘビみたいな俺のマナが、やんわりとその赤い部分に巻きついていく。前のときとは明らかにちがう、しっかり制御された動きだ。
子ヘビたちがまるで包帯みたいに皇子の腕をとりまいた。
それがゆるやかに光りながら細かい粉に変わって姿を消すと、皇子の腕にあった赤味を帯びた光が薄くなり、やがてふっと消えていった。





