3 どうせなら前向きに考えちゃいましょう
「いや、無理。ムリムリムリムリムリムリ」
俺は「ムリ」の回数だけ首を横にブンブン振りまくった。
「そ、そうおっしゃられましても……」
エマちゃんは困り果てた顔だ。当然だろう。
聞けばこの話、ちょっと前からその「ヴァラン男爵家のご令息の、バジル様」とやらからグイグイ来られて、あれよあれよと思う間に決まっちゃったことなんだそうだ。
いやでも無理っしょ。
俺、男だよ? いくらなんでもそれは無理っしょー?
そりゃもともとのシルヴェーヌは女の子だっただろうけど、今は中身が男の俺になっちゃってんのよ?
結婚なんてできるわけねえだろうが。てか勘弁しろや!
そもそも男爵家なんて、公爵家から見ればずっとずーっと下位の貴族。本来なら両家で婚儀なんてありえない。よっぽどの事情でもなきゃあな。
なんで俺がなんちゃってヨーロッパ貴族の爵位のことなんて知ってるのかっつーと、これまた姉貴のラノベをチラ見していたおかげだ。
……ごめん、チラ見じゃねえな。実はわりと面白くって、がっつり読んでたことあるんだ、これ内緒! 姉貴に殺されるかんな!
この世には「男は少女向け小説やマンガなんて読まない。それは面白くないから」なんて堂々と言う野郎もいるけど、読んでみりゃ意外と面白いのがいっぱいある。面白いと思わないんじゃなくって、単に知らねえだけなんだよな。女のきょうだいのいない野郎ほど視野がせまーい感じするのって、そのせいかも。
って、今はそんな話はどうでもいい。
とにかくだな。
その本で読んだ限りだと、貴族の階級は上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵ってなってる。間に「準子爵」とかがはさまるパターンもあるけど、まあ大体はこの順番だと思っとけばいい。
つまり男爵はこの中の最下位。対する公爵家はっていうと、皇室につぐ最上位だ。もとは皇族だった人たちが、本家からわかれて分家になった一族という場合が多いみたい。男爵家となんて、絶対につりあうはずがない。
それでもシルヴェーヌの両親がこの結婚を許したのにはわけがあった。
なによりも、シルヴェーヌのこの容姿だ。
エマちゃんによると、公爵家の令息と令嬢たちはシルヴェーヌ以外、めちゃくちゃ美形なんだそうだ。画家たちはこぞって彼らの肖像画を描きたがり、描いた絵は恐ろしい高値がついて、どれもこれもバカ売れする。まあ、一種のアイドルみてえなもんだな。
でも、シルヴェーヌだけはずっと蚊帳の外だった。どんな画家も、わざわざ彼女を指名して絵を描きたいなんて言ってこない。描いたところで、どこの画商も欲しがらないし売れないし。家族そろってとか、きょうだい揃ってという場合だけ、仕方なく呼ばれるだけだ。
当然、求婚なんてされたこともない。一度もだ。
(ま、そりゃそうなるわな)
さっき鏡の中にうつった自分の姿を思い出して、俺は溜め息をついた。
無理もない。ここまで太りきって、運動らしい運動もせずに食うだけ食って、醜くなるまま放置してたんじゃなあ。
姉貴がこの場にいたら、はっ倒されそう。
「あんた舐めんじゃないわよ? 女が美しくあるために、どんだけ金掛けて努力してると思ってんのよ!?」ってさあ。
あ。でも俺、実はこういうルッキズムって苦手なんだよな。
女の子向けのマンガや小説って、とにかくイケメンの嵐じゃん? 右を向いても左を向いても、タイプの違うイケメンばっかり。
まあ分かるよ。男向けの作品だって、まわりじゅう美少女と美女と巨乳のオンパレードなんだしな。お互い様だし。
でも俺自身だって、べつにどうってことのねえ普通顔の男子高校生だったしさ。
自慢じゃねえが彼女いない歴イコール年齢だし、義理以外のヴァレンタインチョコなんてもらったこともねえし……って自分で言って泣けてきたわちくしょーめ!
だから、自分の容姿に自信がなくって暗くなっちゃったこの子の気持ちはわかんないことはねえ。
「でもなあ。単純に太ってるってだけなら、ある程度痩せればいいことじゃね? ちょっと運動でもしてよ。それに、太ってたってチャーミングな人っていっぱいいるぜ? なんでこの人、そっち方面には考えなかったの」
「え、あの……」
「人生なんて、前向きに考えてなんぼじゃね? どーせ短いんだからよー。『どうせなら楽しくいこーぜ!』って俺なんかは思っちゃうんだけどなあ」
「そ、それはそうなのですが……。実は私からも、色々とお勧めしてみたのですけれど」
エマちゃん、目を白黒させつつ色々と言いにくそうにしている。
両親からもきょうだいからも、メイドや侍女なんかからもそう勧められているのに、シルヴェーヌはなかなかダイエットや化粧やファッションの工夫なんかをする気にならなかったらしい。
エマちゃんにはなんでか分からなかったんだけど、シルヴェーヌはとにかく後ろ向きな性格で「自分なんかどうせ何をやってもダメなのよ」ってなにもかも諦めていたらしいんだ。
「いやまあな。それぞれ体質ってもんもあるだろうし、異様に太るのは隠れた病気が原因ってこともあるから、一概には言えねえけどー」
ここらへんは、おふくろの受け売りだけどな。あの人、医療関係者だから。
俺は腕組みをして考え込んだ。
つまり、そうやって自信喪失したシルヴェーヌに、その男爵野郎はつけ込んだってことじゃねえの?
「このままじゃ自分なんて結婚もできない」って思いつめていただろうシルヴェーヌに近づいて、うまいこと公爵家の後ろだてを得ようとした……って考えるのが自然じゃね?
まあ、そのバジルとかいう奴に会ってみなきゃわかんねえけど。
「よーし。わかった」
俺はソファのてすりをバシンと叩いて立ち上がった。それだけで、頬や顎の下、下腹や太腿のところのぜい肉がばるんと上下するのがはっきりわかる。
「会ってやろうじゃね? そのヴィランのバジルに」
「百聞は一見に如かず」って言うもんな。
直接会って、そいつがどんな男なんだかみきわめてやろうじゃねえの。
「……あの。『ヴィラン』ではなく、ヴァラン男爵、バジル様です」
エマが言いにくそうに言い直した。
「ありゃ? そうだっけ」
でもなんか、「悪役」のほうがしっくりきそうな予感がビンビンするぜ~? なんとなく、個人的に。