10 皇子、思い出ばなしを語ります
ということで、ここからは皇子の話した内容だ。
昔、シルヴェーヌちゃんが九歳で、このクリストフ皇子が十一歳ぐらいの頃のこと。
皇宮でひらかれた親戚だけが集まる親睦パーティーで、クリストフは初めて公爵家の娘たちに紹介された。
あ、みなさんその頃のシルヴェーヌの体形が気になりますね。当然ですね。
でも大丈夫! 安心してください。
当時のシルちゃんは、ごくごく普通の少女体形だったのよ。妹はまだほんの子どもで、シルちゃんに堂々とイジメなんてできるほど賢くもなかったみたいでさ。
でも、もともと内気で口ベタであんまり社交的でもないシルちゃんは、同い年ぐらいの親戚の子どもたちと遊ぶのが気づまりだった。大人同士の会話にもすぐに飽きちゃって、いつのまにかパーティ会場を抜けだしてしまったらしい。
クリストフも最初のうちこそ父親の皇帝や、母親である正妃のそばにいたんだけど、やっぱりこういう堅苦しい席が苦手な性分で、なんとなく人目を避けて外にでたんだって。
そうして、中庭の奥の人目につかない場所で、植木のかげでごそごそ動いているものを見つけた。
(あれ、なんだろう)
少年クリストフはそう思って、足音を忍ばせてそっちに近づいた。
ひらひらと揺れていたそれは、ちいさな少女の桃色をしたドレスの端だった。
と、見事な赤い髪をした少女──つまり少女シルヴェーヌだな──が、ものすんごく悲しそうな、今にも泣きそうな顔をして何かを両手に持っているのが見えた。
クリストフはその瞬間、思わず、ぱっと植え込みの陰にかくれてしまった。とっさのことで、あとで考えてもどうしてそうしてしまったのかはわからないらしい。
植え込みの陰からこっそりのぞいていると、少女は手の中のものに一生懸命話しかけている。どうやらそれは、傷ついた小鳥のようだった。
帝国の王宮の庭にも、たくさんの樹木が植わっている。カラスや鷹なんかの天敵がこないから、こういう場所にはよく小鳥が巣をかけるんだよな。
「だいじょうぶ? しっかりして。キズがいたむのね……」
少女は涙ぐんだ目をして小鳥をそうっと撫でて、それから言った。「治りますように、治りますように。元気になりますように……」みたいなことを。
そこから起こったことを、クリストフはいまだに夢だったんじゃないかと思ってるんだって。
なんでって、つまり──
小鳥はそのうち、シルちゃんの手の中でもぞもぞと動いたかと思ったら、ぱっと飛び立って行ってしまったんだ。まったく、どこにもケガなんてしていなかったみたいに、ものすごく元気にな。
クリストフが呆然と空をながめているうちに、当のシルちゃんは鳥が行ってしまった方をすんごくいい笑顔で見送って、「もうケガしないでね」と言い、ぱたぱた走ってどこかへ行ってしまったらしい。
それからパーティが終わる夜になるまで、クリストフがシルヴェーヌを見ることはできなかった。
「あの時のことを、ずっと憶えていたのです。なんとかふたりでお話しできないかと思ってきたのですが、あれからなかなか、あなたにお目にかかる機会がなく……」
「あー。なるほど」
うん、そうだろうな。
シルちゃんはその後も、ほとんどパーティらしいパーティに出なかった。アンジェリクの嫌がらせが始まって、どんどん太ってしまったことにも原因がある。
デビュタントでも、アンジェリクの嫌がらせのために大事なドレスを引き裂かれて、いやいや古いドレスで参加しなくちゃならなくて。それが悲しくて悲しくてずっと半泣き状態で、ちょっと顔をだしただけですぐに帰っちゃったんだもんな、確か。
だってまさか、皇子が自分に声をかけたがってるなんて想像もしなかっただろうし。無理ないよ。
「それで、今回はいい機会だと思いまして。せっかくベルトランとも同僚になり、仲良くなれましたし。彼にちょっと無理を言って、あなたにお会いできないかと、こうしてやって来たわけです」
「えええっ。それじゃ目的ってお……いや、わたしだったんですか?」
「はい。まあ……そうです」
皇子、ちょっと首の後ろを搔いている。
あ、照れてる。この人、照れてるぞ! イケメンが照れてるとちょっと可愛い。
「あの時の不思議な経験。あれは現実だったのでしょうか。もしよかったら、何をなさったのかを詳しくお聞かせ願えませんか、シルヴェーヌ嬢」
俺、完全にどぎまぎしている。
「って言っても……。当時のことなんて、わたしもあんまり憶えてなくて。ほんの子どもだったですしね」
これは嘘じゃない。実際、シルヴェーヌちゃんの記憶の中では、その体験はあまり印象的なものじゃなかったらしいのよ。
なんでだろう……と、よくよく思い出してみて、俺はハッとなった。
(そっか。アンジェリク……!)
実はその日から、アンジェリクの態度がちょっとおかしくなったんだよな。もちろん悪い方向に。
それまでは別に普通の姉妹関係だったのに、急に「シルヴェーヌお姉さまなんて大キライ!」とか言って泣くわ、喚くわになっちゃって。あの子が騒ぎだしちゃったから、あの日、家族は大急ぎで皇宮から帰ったんだよ。
それをそのまま伝えると、皇子は「なるほど」と自分の顎に手を掛けた。
「あの後、何度かアンジェリク嬢に『シルヴェーヌ様はどこにいらっしゃるかな』とか『今日のパーティにはいらっしゃらないのですか』などと尋ねた記憶があります。もしかしたら、それがいけなかったのかもしれませんね」
「あー。ありうる~!」
俺、ぱちんと自分の額を叩いた。
まずい。それ、めっちゃまずいわお兄さーん!
当時のアンジェリクもほんのガキだったわけだけど、女の子って成熟が早いっていうか、ませてるっていうかさあ。
男子だったらまったく考えてもいないようなこと──特に恋愛関係のことだけは、めちゃくちゃ早熟だったりするじゃん?
もしもあの時からアンジェリクがクリストフ殿下のことが気になっていたんだとしたら──
(それ、ほんと最悪のシナリオじゃん……)
俺はちょっと、恨みがましい目で皇子を見返した。
当の皇子はというと、「え、なんでしょうか」と目をぱちくりさせて怪訝そうにこっちを見返してくるだけだ。
(はあ。でもなあ……)
この人にこれ以上のことは言えねえよな。
まさかあの妹が、そんな幼いころからあんたのことを──なんてさあ。
一応、あんな妹にでも「武士の情け」っちゅうかなんちゅうか、そういうもんは適用すべきなんだろうしー。
けど、要するにすべての元凶はあんたかよ。
シルヴェーヌちゃんがなんだかんだで自信をなくし、食べ過ぎてあんな体形になるまでになっちゃたのはさあ。
もちろん悪気なんてなかっただろうけど、罪な人だよねえ。
「……はあ」
俺はひとつ溜め息をついた。
「あの、シルヴェーヌ嬢。なにか問題でも──」
「いえ、別に。気にしないでください、殿下」
「……そうですか」
まあ、しょうがねえよな。この人自身にそんなつもりはまったくなかったのは分かってるんだし。恨んでみてもしょうがねえ。
クリストフ殿下はちょっと困ったような顔で、じっと俺の……っていうかシルちゃんの顔を見つめてきた。
「あの。もちろん、あなたのことが気になっていたというのは、なにもあの出来事のことだけが理由ではなかったのですよ」
「……ん? はい??」
「つまり──」
殿下、またちょっと言い澱んだ。気のせいかまた、お耳がじわじわと赤くなってきているような……??
「私は本当に心配していたのです。あなたが男爵家との婚約をあまりにも簡単に肯っておしまいになった、と聞いて。……私が、どんなに心を痛めていたか。あなたはご存知ではないでしょう」
「……はい???」
「なぜなら私は」
そこで皇子は、一度ふう、と呼吸を整えたように見えた。
妙に緊張しているように見える。なんだ?
むーん。
なんとなく、なんとなーく、そこはかとなーく嫌な予感が……するような。
「私は、あの時からずっと……あなた様をお慕い申し上げてきたのですから」
「…………ほへ?」
俺、完全に固まった。





