7 ついに皇子に〇〇されます
ドットはすっかり「猫」だった。
俺の顎に頭をグリグリこすりつけて、差し出した指先をくんくん嗅いでペロペロ舐めて。
だけど、それでもやっぱりドットだった。
「どうしたんだよ~。ネコになっても可愛いけど! あっちのドットはどうなったんスか?」
後半は皇子への質問だ。
「心配ない。北壁の秘められた場所で、今は長い眠りについている。そもそもドラゴンは長命種だ。こちらで猫としての姿で存分にそなたと暮らし、気が済んだらあちらに戻ることになっている。もちろん、ひきつづき他の生き物の姿になってそなたのそばにいることも選べる」
「そ、そんな……」
「そんな?」
「いや。そんな俺に都合のいいことばっかでいいのかな、って──」
皇子がにこっと笑った。
「そのための魔法だろう。こちら世界の人間からすれば、魔法は相当『都合のいい』ものに見えるようだがな。だが実際そうなのだから仕方がない。そしてそなたは、その恩恵を受けるだけのことをあちらの世界で成し遂げた」
うーん。そこまで言われると微妙だけど。
ま、いっか。
「ところで、クリス」
「ん?」
「うあっ……!」
おいおい。いちいち俺の手を取ってチュッとかやめろって!
「そ……その。あんた本当にそれでいいの? こっちの世界の、しかも十代の恋愛って、多分そっちよりずっと……不安定だよ?」
「どういう意味だ」
「だからっ。今はよくても、そのうち……どっちかの気持ちが冷めたらどーすんの。陛下や皇后陛下を悲しませてまでこっちに来たのに、もしそんなことになったら──」
ああ。言ってるだけ、想像してるだけでも、ものすごく胸が苦しくなる。申し訳なさで身が縮む。
皇子は顎に手をあてた。
「ふむ……。つまり、『人魚姫』か?」
「……はあ?」
俺いま、今世紀最大のアホ面をかましてる自信があるぞ。
「シルヴェーヌ嬢に聞いた。こちらの童話にそういうのがあるそうだな。陸に住む王子の愛を得られなければ海の泡になるという、悲劇の人魚姫の物語──」
「って。あんたが姫で俺が王子かい」
つい突っ込んじゃうのは、もう性分だからしょうがねえ。
「心配いらぬ。そこまで言ったらそなたにとって重荷になることは理解している。だから、もしもそなたの気持ちが私から離れるようなことがあるなら──いや、そうであってほしくはないし、私のそれが離れることはないと誓うが──私は潔くあちらに戻ろう」
「へえっ? 戻れるの??」
「もともと、そのような術式になっている。父上と母上がいたく心配してな。魔王にそのように願い出たのさ」
「あ。なるほど……??」
そうなのか。ちゃんとリスクヘッジができてるんだな。だったら皇子も、万が一のときにはあっちに戻ればいいのか。その場合はもしかすると、あっちの「皇子」とまた合体するんだろうか。ほええ。魔法って便利な。なんかチートくせえけど。
皇子はちらっと周囲の木々を見上げるようにしてから立ち上がり、俺に手をのばした。
「さあ。本当にもう行かないと」
「あ。そーだった……うお!?」
自然にその手につかまったら、ぐいんっと引き上げられて腰を抱き寄せられちまった。
「いっ、いいいいきなりなにすすんだああ!」
「このぐらいはいいだろう? 私だって、あちらではずいぶん我慢したのだから」
「へ?」
「いくら中身がそなたでも、あれは飽くまでも『シルヴェーヌ嬢』の体だった。そなただって、入浴や着替えの際には相当気を使っていたではないか。そんな身体に、我らの意向で勝手に触れたり、触れさせたりしていいはずがない。シルヴェーヌ嬢は嫁入り前の大事な体。しかも公爵令嬢なのだから」
「あ、うん……」
「そなただって、そのつもりで私をある程度遠ざけていたのだろう。違うか?」
「え……えっと」
皇子の顔が近すぎる。吐息がこっちにかかるぐらいだ。
こんなん、童貞の俺には刺激が強すぎる!
だもんで、何を言われてるのかあんまりよく聞いていなかった。首やら耳やらがめっちゃ熱い。おさまりかかっていた心臓が、またバクバクとやかましくなる。
「だから、もう遠慮はしない。もちろん、そなたの意向は優先させるが」
「えっと、あの……どーゆー意味っスか」
「……触れてもいいか。そなたに。ケント」
「え。あの──」
──言いかけた、唇に。
チュッと。
軽いなにかが降りてきた。
◆
頭真っ白になった俺を、皇子はそのままドットごと《跳躍》させて学校へ戻ったらしい。気が付いたら、俺は学校の中庭のところでボーゼンと立ち尽くしていた。周囲にはすでに生徒たちの姿はない。
(えっと……なに? なにが起こった??)
えっとキス?
あれがキスというものですか。
あの有名な。
それこそドラマや映画で百万回は見せられているけれど、想像上の、あるいは二次元のナニカだと信じていたアレですか。マジで???
まあ実際は、すぐに「むぎぇあああ!」ってネコのドットが間に割り込んできて、皇子の顔を可愛いネコの手でむぎゅむぎゅ押しやってくれたみたいなんだけどな。あはは。相変わらずだなあ。
「さあ、もう行かねば。すでに予鈴も鳴ってしまってるぞ」
「う……うん」
ドットはその場に残し、皇子はまだ真っ白状態の俺の手を引いて、子供を連れていくみたいにして教室に引きずっていった。





