3 開いた口が塞がりません
「いーち、にーい、さーん、しーい」
「いちにっさんしィ、にーにっさんしィ!」
学校を出て、河川敷の道を通るいつものランニングコース。チームメイトと一緒にこのコースを走るのは久しぶりだ。……ただし、俺自身はだけど。
シルちゃんが入ってた間もずっと、「田中健人」はチームのキャプテンとしてしっかり自分の役割を果たしていたらしい。
ありがてえ。ほんとありがてえ。ありがとう、シルちゃん!
最初は恐るおそるって感じで登校した俺だったけど、クラスメートもチームメートもいつも通りの反応だった。「おはよ~ッス」と挨拶すれば「おはよー」と返ってくるし、先生も普通。いや、先生はなぜか若干、優しくなったような気がする……。
成績が上がったからか? 現金だなおい!
あとはそうそう、いつものように授業中に居眠りしてたらクラスメートに不思議そうな顔をされた。
「どうした? 最近えらく頑張ってたみたいなのに」ってさ。「居眠りなんて珍しいじゃん」とかまで言われて面食らったわ。
「え、どゆこと?」ってよっぽど訊き返したかったけど、やめておいた。
きっと真面目なシルちゃんのことだ。まじめーにきちんと授業を受けてたに違いねえもん。「健人さんがいない間に成績を落としたりしたら一大事! ご迷惑をかけては大変ですわ」って思ってくれたんだろうし。ほんとまじめ。
あ、それで思い出した。
ゆうべ、姉貴が「面白いもん見せたげよっか」って、ぺらんと細長い紙きれを見せて来たんだ。
『ヒエッ……? なにこれ!?』
それは直近で行われた高校の中間考査の結果だった。
前は完全に後ろから数えた方が早かった俺の成績が、嘘みたいに上がってたんだ。
『お父さんもお母さんも、そりゃあ喜んじゃってさあ。「これなら志望校のランクアップも夢じゃない!」みたいな。あんた、かなり頑張らないと大変よ~? 親をぬか喜びさせちゃダメだかんね?』
って冗談じゃねえよ~っ。
野球部の連中も、特に変わった様子はない。シルちゃんによると、例の事故のあと、みんなしばらくはちらちらとこっちの様子を窺う感じだったみたいなんだけど、今は普通にやってるってことだったしな。
てか、こっちの方がみんなの顔が懐かしくてしょうがなくって、会うなり「うおお、久しぶり~っ!」とか言いそうになるのを我慢すんのが大変だった。
俺があっちにいる間に、すでにこっちは春から初夏になっている。とはいえ、俺があっちで過ごした数か月からしたらちょっとの期間に過ぎないけど。
今週末から、甲子園出場をかけた地方大会も始まる予定だ。弱小チームである俺たちにとっては、すでにケツに火がついてる状態。俺は大会にギリギリ間に合った形だ。
例の一年生ピッチャーはなかなかいい仕上がりみたいで、練習試合でも先輩のピッチャーと交代で、なかなかいいピッチングをしてくれてるらしい。ただチームとしてはあともう一押し、得点につながる決定力が欲しいみたいだけどな。
でも、それでもここ数年では一番いい仕上がりみたいだ。
うん、頑張ろう。
胸の中に開いた穴がどーのこーの言ってる場合じゃねえべ。
だって俺はキャプテンだ。これまで迷惑かけちまったぶん、しっかりキャプテンとしてやるべきことをやんねえとな。
……と思っていた、ある日の朝のことだった。
いきなりそれは始まったんだ。
朝のホームルームの時間。担任が一人の男子生徒をつれて入って来た。
教室内に、わあ、と女子の嬉しそうな声や、何かを期待してくすくす笑う小さな声がさざ波みたいに広がる。
対する男子連中は無言。むしろイヤそうな顔の奴が多い。
(って。え……??)
俺はたぶん、完全に固まってたと思う。
「今日は転校生をひとり、紹介する」
先生がそう言ったのも、教室のざわめきも、俺の耳にはなにも入ってこなかった。
黒髪だけど、瞳の色はブルー。
黒髪だから日本人にまぎれたら目立たなくなる? いや、そんなことは絶対にねえ。その顔立ちは明らかに外国人の血が入ってるやつで、しかも──めちゃくちゃに、イケメンだったから。
でも、俺が驚いたのはそこじゃねえ。
「栗栖・エノマニフィクです。クリスと呼んでください。どうぞよろしく」
ぺこりと日本式に頭を下げてそう言った涼やかな声も、まさしくそのまま。姿勢のいい立ち方も、身のこなしも、まさしく皇族としての品の良さ。ただし俺が知っているその人よりは、ちょっぴり若くなっているみたいに見える。
うちの田舎高校のフツーの制服──それでも一応ブレザーだけどな──を着て、彼は何を気負う風もなく教壇に立っている。
きっと俺の目がおかしいんだ。
耳だって変だ。きっとそうだ。
だけど。
少年はひとわたり教室を見回して、ぴたりと俺のところで視線を止めた。
(う……そ、だろ……?)
俺、完全にアホ面になっていただろう。
口なんてぽかんと開けっ放しのままにちがいない。
でも、彼はひどく嬉しそうにふわっと笑った。
それから、まっすぐに俺のところに歩いてきた。
「……タナカ・ケント君。野球部キャプテン。そうだね?」
「はへ? ……あ、ああ……そ、だけど──」
「そう。じゃ、これ」
彼はあの笑顔でにっこり笑うと、胸ポケットから折りたたんだ紙切れを一枚取り出して、目の前に差しだした。
反射的に受け取って、おずおずと紙を開く。クラスメートの視線がピリピリするぐらいに痛い。
「……はへ?」
もう一度、アホみたいな声が出た。
それはまちがいなく、うちの野球部への入部希望書だった。
 





