11 皇子に名前呼びを強要されます
「陛下は、もう戦争をしたいとは思ってないんスよね……?」
《もちろんだ》
重々しくて、決意のこもった声。
でもその声は、複雑な響きを帯びていた。その裏にどのぐらいの事情と感情が隠れているのかは、俺なんかには想像もつかない。陛下だって、その生涯を通じてこの戦争をしてきた人だ。血縁や親しかった者を亡くしたことだって、一度や二度じゃないかもしれない。
だけど、陛下は帝国の皇帝だ。
たとえどんなに個人的な恨みがあるとしても、政治的な決断はもっと高いレベルで、全体を見わたして決めていく義務がある。少なくともあの帝国では、皇帝っていうのは、そういう立場の人、そういう決定のできる人のことを言うんだから。
そしてこの皇帝陛下なら、きっとそうしてくださるに違いない。
今の俺は、すでにそういう確信を持っていた。
あの皇子の父ちゃんが、そこまでアホなはずがないからだ。まあ、アホな息子がいないわけじゃないけども。
《この長年の魔族との戦争で、我らは多くのものを失ってきた。人命はもちろんのこと、巨額の戦費もな。今にして思えば、なんの建設的な意味もなく、ひたすらに何かを壊し、費やしてゆくばかりの虚しき年月であったことよ──》
「陛下……」
《戦争で死んでいった、あの有能な者らがいたならば、そして費やされた戦費があったならば……わが国がいま、どれほどの発展を遂げていることか。民らの生活が、どれほど安寧になっていたことか。まさに、まさに愚行としか呼べぬ所業であったと思っておる。戦争などというものはひたすらに愚だ。……これはまことぞ。まことの余の気持ちである》
俺は自分でも気づかないうちに、拳をぎゅっと握っていた。
「それ、本当ですね? 魔王にもそう伝えても構いませんね?」
《もちろんである》
俺の念押しに、陛下は重々しくうなずいてくださったようだった。
そこから俺たちは、今後の動きについてしばらく細かく話をした。もちろんみんな、この「密談」が魔王の耳に入ることは想定内ってことで話をしている。「魔王城の中で起こっていることは、どんな些細なことでもあの少年魔王の知るところだ」というのが宗主様の意見だったからだ。
《なんとかよろしく頼むぞ、マグニフィーク公爵令嬢。ここからの交渉は、そなたの肩にかかっておる。とはいえ、こうして非常な心配をしておられるそなたのお父上、お母上のためにも、決して命を粗末にせぬようにな》
「は、はい……! が、がんばりますっ」
ぎゅっと緊張が襲ってきて、体が硬くなる。
でもそこで、陛下は「それでは」とほかのみんなを退出させたらしかった。部屋に残ったのは、皇子ひとりになったらしい。どうやら今回、主要な通信者は皇子ってことになってるみたいだった。
《本当に大丈夫か、ケント》
「あ、うん……。『絶対に大丈夫!』って胸を叩けるほどじゃねえけど……」
《……そうなのか》
皇子の声は、急に暗いものに変わっていた。
俺はまた、つと胸を突かれる感覚に襲われる。いままでは気が張っていたから気づかなかったけど、皇子の声はなんとなく元気がないみたいに聞こえた。
皇子、実はものすごく憔悴しているのかもしれない。……多分、俺のことを心配してくれてるんだ。
そう思ったら、また俺の胸はナイフを刺し込まれたみたいな痛みを覚えた。
俺は敢えて自分の声をはげまし、明るく言った。
「でっ、でも! こっちの人たちだって話がわかんねえ奴ってわけじゃねえってわかったし。付き合ってみれば、みーんな普通で、家族や友達を大事にしてる人ばっかだったよ。最初は確かに怖かったけど、だから今は大丈夫。俺なりに、なんとかやってみようと思ってるから。心配しないでよ、皇子」
《……そうか。そなたがそこまで言うなら》
皇子の声が、ちょっと安堵したものに変わる。
《だが》
「ん?」
《いい加減、その呼び方はやめないか。……せめて、二人だけのときには》
「……んん?」
呼び方ってなんだ。何が問題……?
って考えてハッとした。
「って、あっ。ごめん!『殿下』って呼ばなきゃだったよな? ごめ……いや、すんませんっ!」
《そうじゃない》
「へ?」
《……わからないのか?》
おいおい。なんで急に不機嫌になるんだよー。
頭のなかで疑問符がぐるんぐるん回りまくる。
「いや、そのー。すんません、ワカリマセンが……?」
《……だから!『名前で呼べ』と言っている》
俺、停止した。
「…………はい?」
名前?
名前ってゆーとアレか。「クリストフ」って?





