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自分という名のライバル  作者: 廃人覚悟の字書き
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神は神道の始まりである。

我々はある無実性を持っている。

それは実在の無実に(つな)がる。

実相の無実とは、罪・日常にまたがる無実であるから、神の無実である。

実在の無実と実相の無実は重ならない。

我々はいつでも実在の側である。

我々は実在の無実を証明する為に、日々努力を重ねる。

実在の無実は、存在全体の罪である。

例えば、死刑にあたる罪、殺人。取り返しの付かない罪である。

この実在の無実を社会にて、勝ち取る事が我々の無実性である。

殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。この三戒を守る事。

それは実在の無実の神なる律法である。

戒めの律法は、絶えず変化する社会と違って、付き合い方が一定で、律法は変化しない。

という訳で、我々は神との付き合い方を知っている。

いわば、神との付き合い方を知っているという事は、それと同等程度の神と同種であるという事である。

行き過ぎた情欲は実在をも犯す。

しかし、理性はそれ以上に、実在の無実を証明する鍵である。

情欲はレイプを生む。「既に彼女を犯しているのだ。」つまり、燃え盛る情欲の炎は実在をも犯し、乗っ取ってしまう。

その時、実在はむざむざ、理性を捨て、無実への鍵を捨ててしまうのだ。

いわば、理性を鍵とした実在の無実は、理性が理性たらしめられる事によって、三戒を守る事によって、実現される。

それは神なる律法であるから、その識別によって、神の識別を得る事が出来る。

そういう訳だから、法を守ろうという意識は、神の識別によって、果たされる。

神はひとりだが、道の神は沢山いる。黄道の神、月道 (満ち)の神、神道の神 (出雲の神スサノヲ)、武道の神 (タケミカヅチノヲ)。

神、それは始まりに過ぎない。それを取って、使って、人間はそれに従う事で、いわば、自分を生かし、他人を助ける事と成るのだ。

もちろん、神は始まりという事は、道の始めがあるという事だ。

神の道を歩む事は、大体神道を歩む事である。すなわち、スサノヲの罪着せを行っているという事で、罪によって、己が地球に沈み込まない様にしているのだ。それだけ罪には重みがあるという事である。それを自覚した者から、神道を歩む様に。

「神は無罪です。しかし、人間は有罪です。人間は有罪であるが為に神に救いを求めます。神の中にこそ、あがないがあります。キリストの神の中の中、そこに、あがないがあり、救いがあるのです。ある意味、キリストは神ではありません。それは肉体だったからと言えます。しかし、キリストは神です。だから、キリストの神の中にこそ、救いがあるので、キリストは本当の天使なのです。インマヌエルと聖書に書かれてあるでしょう。それこそ、創造の根源たる天使の名前なのです。霊体にして、最強の天使、それがキリストなのです。キリストは元々にして、兵士一万人分の戦力を持っております。」

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