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3.

 僕が不死身になったのは、小学校に進級するよりも、いくらか前のことである。

 その日、妹とかくれんぼをしていた僕は、考古学者である父の書斎に隠れようと企んで、ひそかに窓から忍び込んだ。父は決まって書斎のドアに鍵をかけており、僕たちにも部屋に入らないようにと口を酸っぱくして言い含めていたから、ここに隠れれば僕を見つけられない妹が、「お兄ちゃん、どこー?」って泣き叫びだすまで、時間がかせげると考えたのである。

 屋根裏を伝って部屋に侵入した僕は、そのとき父の書斎の机の上に、青い色の飴玉がビニール袋にいれられて、大切そうに置かれているのを見つけてしまった。

 それは、すごく美味しそうな飴玉に見えた。

 ずるい。――僕はそう思った。

 いつも部屋に鍵をかけて僕たちを閉め出しておきながら、父親はこんなに美味しそうな飴玉をひとり占めしていたんだ。

 そう思った。

 当時8歳だった悪ガキの僕は、父親を懲らしめるべく、その飴玉を食べてしまうことに決めた。ビニール袋にひとつだけ大切そうに仕舞われている飴玉を取りだして、口に含んで味わった。

 飴玉は、全然甘くなかった。それはつまり、飴玉ではなかったからなのだけど、幼い僕には、そんなことはわからなかったらしい。がっかりした僕は、ごくんと一息で飴玉を飲み下してしまった。

 ……その飴玉がつまり、父が怪しいツテを頼って密かに入手していた「不死の秘石」だったというわけだ。石がなくなったのに気づいた父親は大騒ぎをし、僕はだんまりを決め込んだ。

 その後しばらくして、家の屋根に登ってロッキー山脈登頂ごっこをしていた僕が、足を滑らせて転げ落ち、手足を骨折したものの数分で治癒したことがきっかけとなって、石を飲み込んだことはバレたのだけれど、さて大変、まさか息子が不死になってしまうなどとは一ミリも予想していなかったらしく、父はおおいに気を動転させ、どうにか僕を普通の人間に戻そうとしてあちこち奔走することになった。

 けれども結局のところ、解決策は見つけられなかったのだ。ひとまず僕は不死身のまま、特に不都合もなく、こうして平凡な中学生をしている。只今、僕の両親が海外に滞在しているのも、実は僕の不死身を治そうと色々な遺跡の研究機関をたずねていってるからなのだが、まあ僕からしてみると、不死であることを、それほど不便に思っているわけでもない。

 不死であるのが他人にバレるとさすがに不味いことになるらしく、それを上手に隠蔽しながら日々をすごしているのだけれど、さほど不都合なこともなかった。喧嘩をしたって負けたりしないし。うちの学校においては、僕は不屈のタフネスとして知られ、不良たちに一目置かれたりしているのだった。

 まあ、あまり喧嘩をしすぎて不自然な治癒能力に気づかれてしまうと不味いので、波風をたてないようにしているけど。



 ……などという、しょうもない回想から現実に帰還してくると、女の子はちょこんとソファに身体を沈め、身じろぎもせずに、じっと僕のほうを見つめていた。感心してしまうくらいの無表情だった。小柄な体格で、上下を黒のスーツで統一しているのもあり、まるでゴシック人形のような趣きを漂わせている。何となく僕は胃が痛くなってくるのを感じた。

 居心地の悪い思いで、コーヒーを口へと運ぶ。

「……やっぱり、死なないんですね」

 少しして、女の子が呆れた口振りで呟いた。

 意味がつかめず、僕はパチパチと瞬きをする。

「えっ? それって、どういう……あっ、もしかしてコーヒーに毒をいれたとか!?」

 女の子は、ちょっと大げさに肩を竦める。

「……当たり前です。さっきから、ずっと殺してみせるって言っているじゃないですか。いったい何のために、わたしが身の上話までして、あなたの気を逸らさせたと思っているんですか」

「え、えげつねえ……」

 やけに素直に、組織のこととか自分の生い立ちとかを話してくれると思ってたら、毒を盛るためかよ……。どうりでさっきから胃が痛いと思った。というか、いつのまに盛ったんだ。全然気づかなかった。

「……象も殺せるほどの致死毒だったんですけどね。さすがです」

「……ありがと。たぶん、毒は身体に入っても勝手に解毒されるんだ。食あたりとかしたことないし」

 僕はがっくりと気持ちがしおれていくのを感じた。こいつとはわかりあえそうにないのかな。いや、いきなり路上で襲撃してくるようなやつ相手に、なに甘いこと考えてんだろうな僕は。

「僕を殺せないと、きみにどんな不都合があるの? 組織ってところから罰を受けるとか?」

 少しだけ沈黙があった。それからぼそぼそした声が返ってくる。

「……恐らく、わたしは始末されるでしょうね」

「えっ!?」

「……ですから、わたしは始末されてしまうと言ってるんです。このまま、あなたを殺せずに戻れば」

 そう告げるのも、あくまで淡々とした声だった。僕は女の子の緑色の瞳を見つめてしまう。でも、そこにある感情をちょっとでも読み取ることができない。

 そして突然だった。何の前触れもなく女の子が立ち上がり、スーツの懐から、手馴れた動作で折りたたみ式のナイフを取りだし、その刃を立たせたのだ。

「……だから、絶対にあなたを殺してみせます」

「うわあっ!? ちょっと待てって!」

 半ば反射的に、僕は女の子の手首をつかんでいた。必死だったからだろう。自分でも信じられないくらいの反応速度だった。さしもの女の子も、僕がそんなに素早く対応してくるとは予測していなかったらしく、寸でのところで右手をかわせなかったようだ。

「……はっ、離してくださいっ」

「離したら刺すだろ!?」

 女の子がじたじたと右腕を振り払おうとするのへ、僕は懸命に叫んで静止させようとする。

 少しの間、僕たちはその場で揉み合いになる。

「……刺さなきゃ殺せないじゃないですか!」

「刺されたって死なないんだよ僕はっ!」

「……大丈夫です、絶対に殺してみせます」

「絶対に死なねえっ! ていうか、刺すなっ!」

「……刺すのは絶対条件です」

「死ななくても、刺されたら痛いんだぞ!?」

「……わたしの関知するところではありませんっ!」

 などとアホな会話を交わしつつ、僕らは脚を踏み鳴らしながら揉み合いを続けた。さすがというべきか、少女にしてはその娘はかなり力が強かった。やはり組織とやらで格闘術なんかを仕込まれたりしてるんだろうか。

「……仕方ないです。離してくれないなら、この腕の関節を決めて、投げ飛ばして床に叩きつけますよ? この手を離してくれれば、ひと思いに頚動脈を切断してあげます」

「なんだその究極の選択はっ!?」

 それでも手首を離そうとしない僕に業を煮やしたのか、女の子は左腕で僕の腕をつかみ、握られたほうの手首を返して、捻じるような力を加える。僕の腕が捻られ、肘関節が悲鳴をあげた。その場に踏み止まる気力を根こそぎ奪われてしまい、僕は一瞬のうちにフローリングの床に叩きつけられることを観念した。

 でも、そうして床に叩きつけられようとした、そのときである。

「きゃあっ!」

 女の子が唐突に悲鳴をあげ、たたらを踏むような動作を数瞬してみせた後で、僕の腕を引っ張りながら、背後のソファへと倒れ込んだ。びっくりして声もでなかった。彼女に引っ張りこまれた僕は、気がつくと女の子に覆いかぶさるようにして、ソファの上へうつ伏せになってしまっていたのだ。

 顔をあげて検めると、さっき女の子が立っていた場所には、いつのまに来たのか我が家の愛猫アミーが、いたずらっぽい瞳をこちらに向けてちょこんと床に鎮座していた。どうやらアミーにじゃれつかれて驚き、逃がれようとして失敗した女の子が、僕までソファに引きずり込んだらしい。

 呆れ返って顔を戻した。と、女の子はなぜか泣きそうになっていた。相変わらず無表情ではあるのだが、うっすらと目尻に涙が浮かんでいる。……なんだこいつ。顔色ひとつ変えずに人を刺そうとするくせに、ひょっとして猫が苦手なのか? こんなんで、暗殺者としてやっていけるのか?

「……」

「……」

 ソファの上で間近に向かい合ったまま、何となく黙り込んでしまう僕たち。女の子は眉をぴくりともさせなかったが、少しだけ泣きそうに見えた。ふわり、と女の子らしい甘い香りが僕の鼻孔をくすぐった。

 そして、そのとき。

 僕たちのいる居間のドアが、大きな音を立てて勢いよく開かれた。隙間から顔を覗かせたのは、湯上りであるらしい僕の妹、結花だった。

「――お兄ちゃん、お風呂空いたよ? ねー、さっきから騒がしいみたいだけど、何かあったの?」

 小花模様のパジャマ姿で、見た目にもほっこりと温まっている様子の妹は、いつも決まってポニーテールにしているのだけど、湯上りということで、今は解いて下ろしている。リラックスし切って緩んでいたその顔は、しかし僕と眼が合うな否や、ぴきりと瞬時に凍りつく。

 そして、あうあうと声にならない言葉を紡いで唇を動かした。

 ……十歳くらいの涙ぐんだ外国の女の子をソファに押し倒し、手首をつかんでムリヤリ組み敷いている実兄の姿が、そこにあった。

「いや――――――――――――――――――――――――――ッ!?」

 多くのことが一瞬で起こった。

 まず、妹のあげた絶叫が家中にコダマした。次いで、木製の椅子をもちあげながら、鬼の形相でこちらに迫ってくる妹の姿が見えた。そして、妹が僕のいるソファの手前で立ち止まり、頭上高くに椅子を振りあげ、――「なにしてるのよ、お兄ちゃんっ! エロッ、へんたいっ! こんな子供を連れ込んで襲おうとするなんて見損なったよっ!」――僕に向かって振り下ろしたところまでは憶えている。

 しかし、次の瞬間にはもう、僕の意識は暗い闇の淵へと投げ飛ばされ、そこで暗澹たる悪夢にじっくり付き合わされることになったのだった。

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