2.
コーヒーをいれ終わると、女の子が座っているテーブルに、そっと差し出すようにカップを置いた。自分が飲むコーヒーは、もう片方の手にもっている。マグカップからコーヒーをこぼさないよう気をつけながら、僕は女の子の対面の椅子に腰を下ろした。
僕たちが今いるのは、僕の自宅のリビングだった。二階建て一軒家の一室なのだけど、それほど広くもなく、高級というわけでもない。まあ、四、五人でくつろぐのには悪くないとか、そういった感じの部屋である。
「……ありがとうございます」
女の子は遠慮がちにマグカップを持ち上げ、探るように匂いを嗅ぐ。中身に口をつけず、ふたたびテーブルにカップを戻した。
「大丈夫だよ。毒とか入ってないから」
「……習慣みたいなものです。それに、」
「それに?」
僕が興味深げに訊くと、女の子はふい、と顔を背けた。
「……それに、こんな季節に熱いコーヒーを飲むなんて変だと思います。もう六月です」
「ああ。そういうこと」
腑に落ちて、僕は苦笑を返す。「そうだね。僕は、たまに変わり者だって言われるかな。でも、冷房もかけたし、ちゃんと粉からいれたコーヒーだし」
「……そういう問題じゃないです」
あれから僕は自宅に戻り、血に塗れたシャツとズボンをごみ箱に捨てて、箪笥から引っ張りだしてきた新しい服に着替えた。女の子に刺された傷口は、もう癒えてふさがっている。不死人である僕は、常人に比べて、治癒能力が非常に高いのだ。たとえトラックに轢かれて粉砕されたとしても、二時間もすれば元通りに復元してしまうと思う――さすがに試したことはないけど――便利といえば便利だ。
「で、どうしてウチまでついてきたの?」
女の子に訊いた。
僕を殺そうとした女の子は、あの後なぜか、僕の家まで付いてきてしまった。それで今、こうして二人でテーブルを囲んでいるというわけだ。正直よくわからない状況だった。だって、付いてくるなよって言っても、強引に追跡してくるんだもんな。
それで押し切られて、已む無く家に上げてしまう僕も、どうかといえば馬鹿なんだけど。
それにしても、ほんとうにきれいな娘だった。部屋の蛍光灯の下で、女の子の波打つ髪は、陽の光を編んだみたいにきらきらとしている。おまけに肌は産まれたばかりみたいに真っ白だった。
女の子は、薄い緑色の瞳でまっすぐ僕を見つめて言う。
「……あなたを殺すためです」
部屋に一瞬の沈黙が降りる。思わずコーヒーをこぼしそうになってしまったけれど、僕は平静を装いながら、次の言葉を搾りだす。
「……僕を殺して、いったいなんの得があるわけ?」
「別に、得だとか、そういう問題じゃありません。わたしが人を殺すのは、それが仕事だから。組織からそういう命令があるからです」
「組織って……」
女の子は、ただでさえ無表情な顔をいっそう曇らせ、かすかに俯いた。
「……あの、あなたはいったい何なんですか? わたしは今まで、数多くの標的を仕留めてきました。一度も失敗したことがなくて……だから、今回みたいなケースは初めてで、どうしたらいいのかわからないです」
めずらしく声を詰まらせて、女の子はきっと僕の眼をにらむ。
何となく彼女の考えていることがわかった気がした。僕は呆れて声を投げる。
「つまり、僕を殺せるまで、付きまとう気なわけ?」
ためらいがちに、女の子はこくんとうなずいた。
「……そうしないと、組織に顔向けができません」
「何なんだよ、組織って……。しかも、殺すって予告してから本人に付きまとうんじゃねえよ……」
僕はため息をつく。少しだけ事情がわかってきた。たぶん彼女は、僕を殺すことを失敗してしまったために、その組織とやらに戻ることができなくなってしまったのだろう。
「……組織は、孤児だったわたしを拾って、育ててくれたところです」
「でも、悪いことをしているところなんだろ?」
いい組織は、人を殺させたりはしない。と、思う。
「……恩がありますから。……少し、話しすぎました。これ以上はなにも喋りません」
「ふう、ん」
それきり女の子は口を利かなくなり、結局コーヒーには口をつけずに部屋の壁際まで行って、布張りのソファにちょこんと腰を下ろし、人形みたいに動かなくなった。僕はあっけにとられる。
「あの、もしかして、ずっとそんな風にウチにいるつもりなわけ? えと……名前」
「名前は、ありません。必要ないですから。ですが、組織の人は、私のことをNo.12って呼んでいます。……私のことは気にしないでください。どうしたらあなたを殺せるのか、さりげなく観察をつづけるだけですから」
「気にするよっ!」
思わず僕は叫んでしまう。怒ったというより、びっくりしたというのが正しい。いくら僕でも、四六時中、女の子に監視され続けていたら気が休まらない。だいたい僕は、年頃の男子なわけで、その、やっぱりそれなりに色々あるわけで……。というか、本人の前であなたを殺すとか言うのって、どうなんだよっ! いや、僕は死なないんだけど。
「……ご両親は、いないのですよね?」
思い出したように女の子が呟いた。うん、と僕はうなずいてみせる。
「そこまで調べてあったのか。そうだよ。今は妹と二人暮らし。気ままな生活さ」
女の子が言うように、僕の両親は一ヶ月ほど前から、事情があって海外に旅立っていた。僕たちは置いていかれ、こうして郊外の一軒家へと、妹と二人だけ取り残されているというわけだ。ときどきは叔母さんが様子を見に来てくれるし、家事を分担してそれなりにうまく生活しているつもりだったけど、それが今、なんだか破壊されようとしている気配がある。
それにしても――と僕は思う。そこまで調べてあるというのに、なぜ女の子のいう組織とやらは、僕が不死身だということを知らなかったんだろう? というかそもそも、なぜ僕を殺そうとしたんだろう? 僕を殺して、何か利益があるわけでもないだろうに。
僕は、たしかに不死身だけれど、それ以外はほんとうに普通の中学生に過ぎないのに。
いや、不死身というのは語弊があるな。
実をいうと、僕は歳をとるからだ。背も伸びるし、爪や髪の毛だって伸びる。だからたぶん、寿命はあるのだろう。
僕がもっているのは、肉体再生能力だけだ。なぜなら、僕の身体を不死にしたあの石は、まだすごく不安定な状態だったから。