12 骨を断たせて心折る
【分体の視点】
11月6日(水) 17:05 《浮遊島》 王の間
すぱっ。
言葉にするなら、まさにそんな軽い音だった。
やたら豪奢な造りの扉を両手で押し開けた直後。わたしは、その音が自分の首から発せられたのだと、視界が回るまで気づかなかった。
まさか、人生で2度も首を刎ねられるとは思わなかった。それも、1度目の時はともかく、今回はどんな方法で刎ねられたのか、刃系の魔法か、わたしの死角に罠が仕掛けられていたのか、それが全く分からないだなんて。
まあ、本体が無事でいる限り、分体は何回死んでも構わないから、しばらく様子を見ることにしよう。
頭部を失ったわたしの体は、首の断面から噴き出す鮮血の勢いで体勢を崩して、床に崩れる。その状況を冷静に観察している頭部も、ゴツ、という鈍い音をたてて、床に落ちた。痛い。
玉座には後頭部を向けて落ちたので、状況は分からない。
「ガハハハッ! 《龍殺し》といえど所詮は人間! 首を刎ねれば、ほれ、このザマよ!」
後ろから豪快な、しかし、どこか品の無い笑い声が聞こえてくる。たぶん、この声の主がフォーデルなのだろう。聞いた感じでは、まだ若い、20代だろうか。
アールディアの時は、首を刎ねられてから《変成》で繋ぎ直すまで、だいたい1分くらいだった。その程度なら、意識が薄れることも無く、魔法を使うのにも支障は無い。
分体の意識が薄れ始める前に、通信魔法でこの声の主に話しかけて、驚かしてみよう。そんなことを思った時、ふと、わたしはあることに気づいた。
切断された首の位置は、喉仏よりも下。つまり、この頭部の側に声帯が残っている。《風結界》で空気の流れを操作すれば、頭部だけで喋れるかもしれない。
それを試す前に、まずは《加速》で頭の向きを玉座の方に変える。ごろん、というゆっくりした動きに、男がほんの少し、びくっ、と反応した。
「アー……オ、アア。……マサカ、コノ程度デワタシヲ殺セルトデモ思ッタノ?」
だいぶ不明瞭ではあったが、何を喋っているのか聞き取れる程度には発声できていたと思う。ついでに不敵な笑みも浮かべてみたら、
「ひ、ひいぃぃっ……!?」
フォーデルと思しき厳つい男は、その巨体に似合わず、面白いほどにびびってくれた。
……刎ねた首が勝手に動いて自分を睨み、不明瞭な言葉で話しかけてくる。そんな状況を目の当たりにして、正気を保っていられる人間が居るとも思えないが。
もう少し遊んでみよう。
「返シテ……ワだシノ体、ガエじデぇぇェぇ!」
「う、うわあああぁぁっ!」
狂ったように叫ぶ男。そして、その直後、わたしの頭部は、ここの扉を開けた時とおそらく同じ攻撃であろう、不可視の刃に切り刻まれた。
◆ ◆ ◆
【本体の視点】
次元の狭間
分体の頭部が切り刻まれる直前、ほんの一瞬ではあったが、魔力の《雑音》を感じた。
やはり、あの《不可視の刃》は魔法だ。あの男が発動させた様子は無かったから、おそらく抽出魔法によるものだろう。
わたしは改めて分体を生成し、あの男の眼前に転移させた。
◆ ◆ ◆
【分体の視点】
《浮遊島》 王の間
鼻先が触れるかというほどの至近距離。いまだ落ち着きを取り戻していない男の、どこでもいいので体の一部に触れようと手を伸ばした、その時。
「──!?」
言葉になっていない男の叫びと共に、またあの《不可視の刃》がわたしを襲った。右腕は肩口から、左腕は肘から先が切り飛ばされ、胸や腹にも浅くない傷が刻まれる。
わたしを突き飛ばそうと繰り出される、男の手。普段のわたしなら、こんな遅い拳は余裕でかわせるのだが、両腕を失い、深い傷を負った身ではそれもままならない。
「がっ! ……っぐ!」
殆ど反射的に《変成》で傷口を塞いだおかげで、見える出血はそれほどでもなく済んだ。が、《不可視の刃》は内臓も傷つけていたようで、突き飛ばされて床に転がった後、わたしは血を吐いた。
当然、すぐに管理者権限《分体維持》で体を再構築する。
ちょっとまずいかもしれない。《不可視の刃》が発生する直前に《雑音》が生じるのを感じ取ることはできる。だが、わたしの加速状態でも、《雑音》から《不可視の刃》の発生までが早すぎて、反応できない。おそらく、実時間では100分の1秒あるかどうかだろう。
わたしはその場に立ち上がり、口の中に溜まっていた血を吐き捨てる。
さっき切り飛ばされた両腕や、首から下の体、切り刻まれて肉塊と化した《頭部だったモノ》がそのまま残っていることから、《分体維持》で体を再構築しても、《分体の一部だったモノ》は消えずに残るようだ。
「な、なんなんだ貴様は……! 首を刎ねて、頭も完全に潰したはずだ!」
厳つい男が裏返った叫び声をあげる。
相手の手の内が分からないのはわたしも同じだが、ここは強気に出たほうがいいだろう。
「なんだと言われても……まさか、《龍殺し》が頭を潰されたぐらいで死ぬとでも思ってたの? だとしたら、とんだおめでたい男ね、あんた」
本体なら死ぬ。だが、分体は問題無い。痛いけど。
わたしは、男に向かってゆっくりと歩を進める。男はわたしのことを《殺しても死なない》と思っているようで、あれ以降《不可視の刃》を使ってくる気配は無い。
「……ま、待て! 取引をしようではないか……!」
いかにも苦し紛れ、といった風ではあったが、男はわたしに向かってそう言ってきた。わたしも、一旦足を止めてそれに応じる。
「取引?」
「わ、我輩はいずれこの世界の王となる男、フォーデル・イル・ゾスト・レギウス6世だ。我輩の配下となれ、《龍殺し》よ。さすれば、まずは我輩がこの星の王となった暁には、そなたに第1貴族の位と、旧ビザイン領を全て、所領として授けようぞ」
男、フォーデルは、わたしが足を止めたことで安心したのか、その口調が尊大なものになってくる。
──冗談でしょ。と、わたしは、彼の《取引》を最初から蹴るつもりでいた。しかし、ふと、それよりも別のことに興味が湧いた。
「……世界、ね。この星だけじゃなくて?」
ゼルク・メリスには……少なくともビザイン共和国には、この《ゼルク・メリス》が恒星の周りを公転する惑星だという一般常識がある。その程度には天文学が発達している。
日本では《地球上に存在する全ての国》という意味で《全世界》と言うこともあるように、こちらでも《惑星ゼルク・メリスに存在する全ての国》という意味で《世界》という表現を使うことはある。
だが、さっき、フォーデルは《この世界》《この星》と、あえて表現を使い分けた。
「いかにも。頭を潰されても死なんということは、そなたも天使なのであろう。我輩のほかにも天使が存在するというだけで癪だが、仕方のないことでもあるゆえ、そこは認めてやる。……さて、そなたも天使であるのなら、イアス・ラクアの名は知っていよう?」
どうやら、フォーデルはわたしにとって都合の良い勘違いをしてくれているようだ。そのまま話を合わせることにしよう。
「ええ、知ってるわ」
わたしがそう答えると、フォーデルはあからさまに顔を歪めた。たぶん、《王である自分》に酔っている彼にとって、他人が対等な口をきいたのが許せないのだろう。
「……ふん。とにかく、この世界はアレによって与えられた、我輩のための箱庭だ。であれば、我輩がその王になるのは当然のことであろう?」
えーっと……わたし、どこかに眼球落としてきたっけ?
聞いてもいないのに、フォーデルは自分が天使であることを喋ってくれた。それはいい。
彼もイアス・ラクアから《内側の世界》について聞かされたはずだ。それを、どこをどう解釈すればあんなことになるのか。
話についていけていないわたしを置き去りにして、フォーデルは続ける。
「さて、改めて問おうぞ、《龍殺し》よ。我輩の配下となれ。ならぬのなら、せめて我輩の邪魔だけはするでない。互いに死なぬ者同士、無駄な争いをしたくはあるまい?」
その言葉に、わたしは言葉ではなく行動で答えた。
魔力を物理的な破壊力に変えてぶつける魔法、《光弾》。その射出点は、自分の手元である必要は無い。魔力の発生源である肉体から離れれば離れるほど消費魔力は増えるが、射出点に指定できる範囲は《自分が認識している空間》だ。
わたしは、射出点をフォーデルのそばの全方位、射出方向をフォーデルに向けて、10発以上の《光弾》を同時発動し、十字砲火を浴びせた。
天使は死なない。しかし、それは攻撃が通じないのではなく、存在が消滅しない──HPが0になっても自動的に蘇生する──というだけだ。
管理者権限で被弾を無効化されてでもいない限り、一時的にでも天使の肉体を破壊することはできる。そして、破壊された肉体が再生する瞬間に再び攻撃を加えれば、おそらく蘇生後瞬殺できる。
「なんのつもり──」
十字砲火。
「我輩はこの世界の──」
十字砲火。
「王となるべき──」
十字砲火。
「やめろ! やめてく──」
十字砲火。
「頼む、やめ──」
十字砲火。
十字砲火。
十字砲火。
●
17:40
既に跡形も無くなった玉座、だった場所に、フォーデルはぐったりと倒れ込んでいた。
肉体的には、今の彼の体にダメージは一切無い。だが、肉体を壊されて再生……天使化前の常識で考えれば、殺されて蘇生して、というのを何度も何度も繰り返されれば、精神が耐えられないのだろう。
蘇生から次の十字砲火、肉体破壊までのわずかな隙に管理者権限で防御されることもわたしは想定していたが、幸いにも、そうなることは無かった。フォーデルがそこまで頭が回らなかったのか、それとも、それだけの隙を与えずにわたしが攻撃できていたのかは分からないが。
「やめ……やめてくれ……やめ……や……」
うわごとのように、同じ言葉を繰り返すフォーデル。
ふと思う。今の彼になら、《世界の王になる》ことを諦める、と誓わせることができるかもしれない。今、無理に彼を殺す必要は無いんじゃないか、と。しかし──
『強き者よ』
不意に、さっきの黒龍からの通信魔法があった。
『……っと、ごめん。何?』
『《浮遊島》からの反撃が無くなった。おそらく、おまえのおかげなのだろう。後は、我らが外からの攻撃で落とすが、よいな?』
言われて、ふと思い出す。この《浮遊島》には、フォーデルに賛同するだけの一般人、貴族か平民かはともかく、非戦闘員も多く居る。だが、それに気づいたのは、わたしも黒龍たちに《島を壊す》と宣言して、実際にここに転移してきてからだ。
外からの攻撃が通じていれば、それに気づかないまま、わたしも黒龍たちが《浮遊島》を沈めるのを見ていただけかもしれない。
『分かったわ。それじゃあ、わたしも今すぐここを脱出するから、後は任せてもいい?』
『うむ、任せるがよい』
黒龍との通信はそこで終わった。
わたしは、いまだに「やめてくれ」を繰り返し続けているフォーデルを抱えて、次元の狭間へ飛び込んだ。




