8.5 《神童》との面会(1)
【分体の視点】
11月6日(水) 11:15 国境都市ゼナン上空
「我が名は《龍殺し》。本日正午よりの《神童》との面会のため参上した! ディナリウス家の方々には着地場所への誘導をお願いしたい」
町の住人全員に向けた通信魔法で、わたしはそう宣言した。普段のわたしだったら絶対にしない喋り方だが、《龍殺し》の威厳というか、もったいつけるにはちょうどいいだろう。
黒龍ベイスニールに抱えられて、わたしがこの町の上空へ接近するまでの間、幸いにも町からの迎撃は無かった。抽出魔法での対空砲撃はまだ開発されていないのか、それとも、ゼナンに配備されていないだけなかのは分からないが。
しばらくして、やや大きな屋敷の中庭と思しき場所から、《光弾》が真上に向けて放たれた。どうやら、あそこがディナリウス家の別荘のようだ。
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11:30 ディナリウス家 別荘
ベイスニールには中庭で待機してもらって、わたしは使用人の案内で応接室へ。
やがて、屈強というほどではないがそこそこ体格の良い男性と、彼によく似た顔つきの、まだあどけなさの残る青年、そして、執事……というよりは事務員という雰囲気の男性、その3人が部屋に入ってきた。
彼らが席に着く前に、わたしと青年は、互いの顔を見合わせ、同時に同じ表情になった。驚きの顔に。
わたしが彼に驚いたのは、その魂に。彼が驚いた理由は、たぶん、わたし本人にだろう。
「あんた……竜之宮!?」
青年は日本語で叫んだ。青年本人が男だから当然声も男だが、その口調からは彼女の面影を感じる。
ここに居るのが彼とわたしとの2人だけだったのなら、このまま日本語で話を続けても良かった。しかし。
身内が《龍殺し》に向かって、未知の言語で声を荒げた。そのことに、事務員風の男性はあからさまに恐怖の色を見せる。そして、体格の良い男性、おそらくディナリウス卿は、取り乱しこそしなかったものの、一瞬、表情が動いた。
……彼らに助け船を出す形になってしまうが、面倒が増えるよりはいいか。
「ほう……我が故郷の言葉を知っているとは、なかなかに勉強していると見える。気に入った」
慣れない言葉遣いのせいで随分と演技臭くなってしまったが、わたしは満足げな笑みを作って、ゼルク・メリス共通語でそう言った。
それに不思議そうな顔を向けてくるのが、事の張本人である青年。……不思議そうな、というより、痛い人を見る目、というべきか。
「……? あんた、急に何言って──」
「あんたがいきなり日本語で叫んだからでしょうが。こっちの世界で《龍殺し》と恐れられている、このわたしに向かって」
少し熱くなってきた顔面を意識してしまったからか、わたしは少し早口に捲し立てた。
当然、青年とのこのやり取りは日本語で、だ。同級生同士がやり合うような、こんな砕けた会話を共通語でやったら、ディナリウス卿はともかく事務員風の男性は間違い無く失神するだろう。
この後、青年はわたしの知らない言葉でディナリウス卿とやり取りを交わし、わたしに向き直った。そして、日本語で話し始める。
「お父さ……男の声で前世みたいな話し方をするのは、あたし……俺自身にも違和感があるな。とにかく、親父には軽く説明しておいた。キショいとは思うが、我慢して付き合ってほしい」
「まあ、仕方ないわね。あんたが今の……たぶんあんたが《神童》なんでしょうけど、生まれ変わった経緯なんかも知りたいし。……ね、橘海亜?」
わたしがそう答えると、彼は目を見開き、固まった。
「な……なんで名乗る前から……!?」
「《龍殺し》を舐めないでもらおうかしら……なんてね。まあ、種明かしをすると──」
わたしは相手の魂を直接感じ取ることができる。だから、1度でも面識を持った相手であれば、その相手がたとえ生まれ変わったとしても、《その相手》だと分かる。
わたしはそのことと、わたしがゼルク・メリスへ来ることになった経緯を、かいつまんで彼に説明した。その際、分体のことだけは伏せておいた。
そして、彼から聞かされたのは、まず、やっぱり彼が《神童》ウィストで、前世は高2の時にわたしと同じクラスだった橘海亜だということ。
橘は高校卒業後、地元の小さな企業に就職できた。そこで先輩従業員と外回りの営業に行っていた時に、突然現れた《化物》に殺された。……彼女も、魔族の被害者だったということか。
橘海亜からウィストへ転生する際、管理者イアス・ラクアに叶えてもらった願いは、知識以外の全ての能力が成長限界まで達した状態で生を受ける、というもの。その代償は、前世の記憶を引き継ぐこと。
その話を聞いた時、わたしはふと思った。そして、
「つまり、スキル無しの全ステータスカンスト、ってことか。成長はしないけど、確かにこれは《神童》と呼ばれるにふさわし──」
喋っている途中、わたしは、ウィストの顔が驚きに固まっていることに気づいた。
「どうしたの?」
「……いや、別に。ただの偶然だろうしな」
「……? まあ、あんたがいいならいいけど。さて、それじゃそろそろ──」
「待った! もう1つだけ。あんた、今何歳だ? ……いや、聞き方を変えよう。日本では、今は何年の何月何日だ?」
彼の質問の意図は、すぐに分かった。
わたしは、1度大きく呼吸してから、ゆっくりと言う。
「今、わたしは大学1年よ。あんたは過去に転生……いや。橘海亜が死んだのは、今からほぼ2ヶ月前」
それを言い終えると、ウィストは気が抜けたようにソファに沈み込んだ。
前世と同じ、橘海亜として、日本での生活に戻ることはできなくとも、《異世界からの移住者ウィスト》として、前世で死んだ時と同じ時代の日本で、再び生活できる可能性が見えてきた。そんなことを考えているのだろうか。
……同じ状況で、イリスは《イリスとして生きる》ことを選んだ。
ウィストは頭を振り、言った。
「俺はこの家の長男だ。それに、これ以上あんたに迷惑を掛ける訳にもいかない。……また日本へ連れていってくれだなんて、な」
「……そう」
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13:00
ディナリウス卿の希望で、面会は昼食を挾んで続けられた。
わたしとウィストとの話は昼食前に殆ど終わっているから、ここからはわたしとディナリウス卿との面会という色が濃いか。だが、それならそれで、色々と知りたかったことをディナリウス家当主に直接聞ける絶好の機会だ。
ところで、万が一、昼食に毒が盛られていたとしても……分体でも、できれば苦しむのは避けたいが、とにかく、死んでも再生成できる。そう思ってわたしは気にせず食べていたが、幸いにもそんなことは無かった。
毒はきちんと盛られていたが、単にわたしの致死量に達していなかっただけ。それも一瞬考えたが、今の彼らの落ち着いた様子を見る限り、その可能性は無かったと判断しても良いだろう。
「……それで、ディナリウス卿。昼食を振る舞ってくれたのはありがたいけど、なんで、そこまでしてわたしを呼び止めたの?」
わたしは、まずそのことを聞いた。ギリオール商会との関係なんかをさっさと聞き出したいところではあったが、いきなりその話題を出してしまうと、それを材料に、向こうに有利に事を運ばれるおそれがある。
ディナリウス卿は、少し躊躇う様子を見せてから答えた。
「一刻も早く、《龍殺し》様に……ビザインにでもいい。我が国レギウスへ宣戦布告をしていただきたいからです」
彼の口から出てきたのは、ある意味わたしの予想どおりの、しかし、別の意味では正反対の言葉だった。




