6.5 キャラクターの気持ち
【本体の視点】
11月4日(月) 12:00 アパート 由美の部屋
フィークス母娘をザールハインへ送っていった後、わたしは、イリスをアパートへ招いた。
分体について説明するために、わたしたち以外の人間が居ない状況を作りやすい場所というと、ここか竜之宮家。
今、わたしは1人暮らしに慣れるためにわざわざ実家を離れているのだから、結局こっちにした。
「そういや、由美、大学に行ったら1人暮らしするって言ってたっけ」
室内を見回しながら、イリスが日本語で言う。
わたしはそんなイリスに相づちを打ちながら、ここへ来る前にデイラムさんの店で買ってきた弁当を机の上に置く。弁当、といっても冒険者向けの携帯食料だから、食器を広げる必要は無い。
冷蔵庫にはペットボトルのお茶もあるから、洗い物はしなくて済む。……モノグサと言いたきゃ言え。
食事の準備──といっても弁当を広げただけだが──を終えて、ふと顔を上げた時、イリスのどこかもの悲しげな横顔が目に入った。
「……イリス?」
「え? ……ああ」
わたしの呼びかけでイリスは振り向き、
「大学、行きたかったな、って」
と、小さな声でこぼした。
「イリス……」
「あはは、ごめんね、しんみりさせちゃって。さあ、ご飯ご飯」
イリスはやたら明るく、ゼルク・メリス共通語でそう言って、席に着いた。
●
12:30
昼食を食べ終えたところで、分体をこの部屋へ来させる。大学の昼の授業は13時からだから、イリスに説明するだけの余裕は十分にある。
「……えーと……?」
思考を放棄したような顔で、本体と分体とを交互に見比べるイリス。
「この世界の神様に頼まれて別の世界の悪い神様を倒してきたら、そのお礼として体を2つにしてもらえました、終わり」
「いやいやいや、分かんないから!」
顔の前で大げさに左右に手を振り、イリスはツッコミを入れてくる。
とりあえず分体をイリスに見せはしたので、分体は再び大学へ転移させる。その後、わたしはこの能力を得るまでの経緯をイリスに説明した。
管理者やピュリフィアなど、実際に自分が体験したことだというのに、話していて漫画やゲームの妄想を垂れ流している気分になってくる内容、その全てを。
わたしでさえそんななのだ。てっきり、イリスも似たような反応を示すと思っていた。しかし。
「何をそんな空想じみたことを、と言いたいところだけど。あたしもゲームみたいな経験しちゃってるからねー……」
イリスは、遠い目でそう言った。
前世で、吉田京として、トラックに轢かれて記憶を持ったままイリスに転生。異世界転生モノのラノベや漫画におけるテンプレそのままな経験。……あれ?
「そういや、イリス。あんた、前世で死んでからイリスとして生まれ変わるまでの間のこと、覚えてないの?」
わたしはそのことをイリスに聞いた。
さっき、わたしが管理者イアス・ラクアのことを話した時、イリスはそれを初めて耳にするような反応をした。しかし、事前に京は管理者に願いを聞いてもらっていて、死んだ時は転生が行われるだけだったにしろ、京からイリスに転生する時に初めて管理者に会ったにしろ、京も管理者のことを知っているはずなのだ。
イリスは、少し首をかしげて答えた。
「んー……トラックに轢かれて、意識が消えてくって思ったら、もう赤ちゃんになってたからね。覚えてないよ。……それがどうかしたの?」
「ああ、いや……ちょっとね」
わたしは少し考えてから、イアス・ラクアのことをイリスに話した。未練を残して死んだり、強い願いを持っている者の願いを、イアス・ラクアは気まぐれに叶えてくれることがあること。京からイリスに転生したのも、たぶん、そのおかげだということを。
「──だから、たぶんあんたもアレに会っているはずなのよ」
「へえ……でも、やっぱり思い出せないよ」
イリスは首を横に振った。
イアス・ラクアが関与しない、自然発生的な転生もあるのか。……いや、白龍シェルキスは、京からイリスへの転生もイアス・ラクアによるものだと言っていた。
ということは、イアス・ラクアの関与があっても覚えていないことがあるのか。……だとすれば、わたしにも同じことがあったかもしれない、と?
「どうしたの? 由美」
「あ……ああ、別に……!」
「……何かを考え込む時に急に無言になる癖、変わらないね」
そんなことを言うイリスは、どこか嬉しそうだった。
「……そりゃあ、癖なんてそうそう変わらないわよ」
「ふふっ」
とりあえず、イリスに分体のことは説明した。
この後、どこへ送っていってほしいかをイリスに聞いたら、アイズホート、ガイスさんの屋敷がある町という答えが返ってきたので、わたしは言われたとおり、イリスを転移でアイズホートへ送った。
そして、再びこの部屋へ帰ってきて、思う。
イアス・ラクアの関与があっても、関与された側がそのことを覚えていない場合があるかもしれない。覚えていないというより、関与があったことを記憶から消されているといったほうが正しいか。
イリスがどちらなのか、本当に覚えていないだけなのかは分からないが。
そして、わたしには、《関与があったことを記憶から消された》ことがあったのか。もし、あったのなら、その時にどんなやり取りを交わしたのか。
……この人生が本当にモニターの中で展開されているゲームだっとして、モニターの向こうに《ゲームプレイヤー》あるいは《小説の読者》なる存在が居るのなら。
わたしは、彼ら彼女らに今の状況を質問したい気分だった。




