6 禁じられた技術
【本体の視点】
11月4日(月) 10:30 次元の狭間
燈台下暗しとはまさにこのことか。
フィークスの気配は、ガイスさんの屋敷がある町の郊外にある、ちょっとした魔法研究機関と思しき建物の中にあった。彼女が捕えられているのは、その研究機関の地下室。入り口は巧妙に隠されていて、これをすぐに見抜くのは、おそらく無理だろう。
……それはいい。何だ、これは。
フィークスは四肢を、特に腕は後ろ手に縛られ、床に這いつくばっている。その姿勢で、彼女の目の前に居る男が持ってきたであろう食事……これも《食事》とは言いがたい粗末なものだが、それを、男の監視の下で犬食いさせられている。
わたしが、室内に転移して男を蹴り飛ばす際、蹴る時の衝撃で殺してしまわないように手加減することができたのは、我ながら奇跡的だとさえ思えた。
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状況に頭がついてきていないらしいフィークスを背に、
「ちょっと待っててね」
わたしはただ一言、務めて冷静にそれだけを言って、蹴り飛ばした男の下へ歩いていく。そして、その襟首を片手で掴んで力任せに男の体を持ち上げる。
「ぐ……!」
情けない呻き声を吐き、苦悶の表情を浮かべる男に、わたしは低い声で問いかけた。
「何やってんの、あんたたちは」
彼らがここで何をやっているのか。
イリスに言うことを聞かせるために、イリスの親友フィークスを人質として生かしてある。……それは見れば分かる。わたしはそんなことを言っているのではない。
人質をどう扱うか、生殺与奪の権は捕えた側にある。対立する相手と交渉する際には、それを利用することがやむを得ない場合もあるだろう。だが、人質を殺すにしても、せめて人として殺せ。
これでは、ゼンディエールの魔族のほうが、人間を労働力として隷属させる、愛玩用として飼育する、食用として屠殺する、いずれにしろ《人間を人間として》扱っている分、ずっとマシだ。
「……な、なんだオマエ……ぉぐっ!?」
わたしの問いに答えない男を、さらに締め上げる。まあ、《ここで何をしているのか》なんて、本当に聞きたい訳ではないが。
わたしは室内で適当に見繕った縄で男を拘束した。本当は《変成》で床板を適当に組み替えて即興の枷を作りたかったが、そうする訳にはいかない理由がこの部屋に……いや。
そもそも、この男はどうやってこの地下室に入ってきた?
この部屋の入り口、隠し扉は本棚で塞がれていた。それをどけなければ、ここへは入ってこれない。
……まあいいか。とにかく、今はフィークスを連れ帰るのが最優先だ。
この部屋に仕掛けられているモノの都合上、帰りも転移にしたい。そのためには、できれば彼女が灰の者でないことを確認してから連れ帰りたかったが、今はそうも言っていられない。
わたしはフィークスのそばへ駆け寄り、
「ごめんね、後で必ず説明するから。変なことはされてない?」
彼女を連れて転移する前に、一応、そのことを聞いてみた。
フィークスは不安げな面持ではあったが、それでも、わたしの問いには首を縦に振ってくれた。着ている衣服にも、乱れた様子は無い。
わたしは、フィークスを抱えて次元の狭間へ飛び込んだ。
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10:45 ベインファスト家 応接室
「──ですから由美は……由美!」
室内に転移したわたしに、先に気づいたのはイリスだった。イリスの視線を追うように、やや遅れてガイスさんもわたしに気づく。
わたしは、フィークスを拘束していた枷に軽く手を触れながら《変成》を発動し、その結び目を分解する。いきなり枷がほどけたらフィークスは驚くだろうから、枷に手を触れたのは《わたしが外した》ことを彼女に理解させるための演出だ。
イリスがわたしの転移能力についてガイスさんに説明し、今ここにいるわたしとフィークスは幻なんかじゃなく現実だ、ということを理解してもらう。
そして、3人は抱き合い、無事に──とりあえず、フィークスは傷物にならずに済み──再会できたことを喜び合った。
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一連の出来事を説明するため、わたしはガイスさんに、フィークスのお母さん、シェリナさんをこの応接室に呼んでもらった。フィークスもこの場で一緒に話を聞くことを望んだので、わたしはそのまま説明を始めた。
その内容は、フィークスを助けるまでの流れと、フィークスを連れての転移に踏み切った理由。
あの部屋には《封魔》が仕掛けられていた。
《封魔》も魔法の1種だから、それを発動、維持するための人間が必要なはずだ。だが、あの部屋にはわたしとフィークス、そしてあの男以外には誰も居なかった。もちろん、あの男が1人で《封魔》を維持していた訳でもない。
以前デイラムさんに聞いた、旧レディクラムが崩壊した原因。それは、《根底の流れ》から直接魔力を汲み上げる実験に失敗して、汲み上げた魔力が暴発したから。
……と、この旧レディクラムに関してはあえて話さなかった──おそらく、隣国の歴史として知っているだろうから──が、ともかく、《根底の流れ》から直接取り出した魔力で《封魔》を維持していたらしい、ということは伝えた。
あの地下室で、わたしが《変成》を使うのを躊躇った理由もこれだ。魔法は、逆位相の《雑音》をぶつければ発動を妨害できる。つまり、発動した魔法同士は共鳴する。
あの部屋でヘタに魔法を使えば、既に発動されている《封魔》と変な風に共鳴して、《根底の流れ》から取り出され続けている魔力が暴走するおそれがあった……かもしれない。
入り口の本棚をどけるために、《封魔》が発動しているそばで《重力制御》を使う必要があるだろうから暴走の危険性は低いとは思うが、もし暴走したら、待っている結末は旧レディクラムだ。
「……1度に多くのことが起こりすぎて、何から考えればいいのか」
ガイスさんは、どうにか絞り出したというような声で、それだけを発した。イリスも、どことなく青い顔をしている。
……と、ここでふと、わたしは《ある重大なこと》に思い至った。というか、今までそれに気づかなかったことを後悔した。
旧レディクラムの地下には、各家庭に動力用の魔力を配布する導魔線が張り巡らされていた。
「……ベインファスト卿」
わたしは、務めて冷静に口を開く。
「何かな、《龍殺し》殿」
「《根底の流れ》から魔力を汲み上げて、人の手に依らずに魔法を発動する……という機構は、レギウスではもう実用化されているのですか?」
「……いや。100年ほど前、ビザインで爆発事故が起きてからは、両国間の条約で研究が禁じられたはずだ。あの《爆発事故》を意図的に起こせるようになれば、人間が発動する魔法とは比べものにならない威力の兵器が作れてしまう、ということでね。……あの事故が起きる以前のように、人に負担を掛けずに魔道具を使えるという、有用な技術でもあったのだが」
道理で。旧レディクラム以外、あれと同じような地下施設を持つ町が、少なくともわたしが訪れた限りでは存在しなかったのは、そういう背景があったからか。
しかし、旧レディクラムの遺構と、今回の《封魔》の件……おそらく、技術としては、爆発事故当時、既にほぼ完成していたと見て間違い無いだろう。
「ですがお父様。《龍殺し》様のお話を伺う限りでは、フィークスを攫った……おそらく好戦派の者たちは、その条約に違反しているということでは? そんなこと、王家が見逃すはず──」
「シェリナ」
不安げに言うシェリナさんを、ガイスさんが遮る。
「は、はい……!」
「やつらがイリスへの脅迫で何と言っていたか、思い出してみなさい」
「え? そ、それは……っ!?」
ガイスさんの言葉で、シェリナさんはそのことに気づいたようだった。
《天才魔導士の再来》は、自らの意志で王家に従え。
解釈の仕方によっては、王家が戦争を起こしたがっているようにも取れる。そんな重要な情報を、こうもあっさり敵方に漏らすだろうか。
ただ、今回の誘拐計画はあまりにもお粗末と言わざるを得ない。
今更、《伝説の傭兵》一家を脅迫によって味方につけたところで、単純な戦力では絶対に勝てない。脅迫していたことが明るみになった時のリスクしかない。
今回の誘拐犯はそれを実行した。そんなことをするような連中が、そこまで考えているだろうか。
「……とにかく、今回の件はビザイン政府に伝えます」
わたしは言った。
今回の件をビザイン政府に伝えて、その後政府がどういう判断を下すかは、わたしの知ったことではない。
端から見ればわたしは状況を引っかき回しているだけにしか見えないかもしれないが、それを言うなら《伝説の傭兵》など、高い知名度を持った人物の行動は、全てそれに当てはまる。規模が、影響力が、大きいか小さいかの違いだけだ。
周囲への影響を気にして守りたい人間を守れない、なんていうのは御免だ。
「仕方あるまい。こちらが条約違反をしていたことは事実だからな」
ガイスさんは苦い顔でそう答えた。
この後、わたしはフィークスとシェリナさんを転移でザールハインへ送っていくことにした。
もともと、2人はフィークスが誘拐されたその日にザールハインに帰る予定だったことだし、熊車での移動中にまた狙われないとも限らない。
わたしがそのことを言うと、ガイスさんたちも転移で送っていくことに同意してくれた。




