5 触れてはいけない怒り
【本体の視点】
11月4日(月) 09:30 レディクラムの宿酒場
分体を大学に行かせて、わたしはこの店へやってきた。
一旦人目に付かない所へ転移して、それから普通に入店。事情を知ってくれているデイラムさんたちはともかく、そうでない一般客を驚かさないために、だ。
「おー、月曜からこっちに来るなんて、由美ちゃん最近モノグサになってきてない?」
フォスティアの悪戯っぽい声と笑顔がわたしを出迎える。
「ものぐさってあんた……まあいいわ」
わたしは呆れつつ言い返し、依頼が張り出されている掲示板に目を通す。……実際、ものぐさだと言われても反論はできない。
わたしが分体で大学に行くのは、主に生活費を節約するためだ。分体は食事の必要が無いから、朝、早起きして弁当を作らなくても良い。
本体の昼食は、こっちで食べれば《日本での食費》は圧迫しない。それ以外にも、日中に部屋を使わないことで水道光熱費も抑えられる。……なんだかアパートを借りる意味も無くなっている気がするが、気にしない。
代わりにこっちでの生活費がかかってしまうが、その出費以上に、こっちでのわたしには冒険者としての収入がある。
フォスティアには《わたしの家》を留守番してくれているお礼として、この店での飲食代を全部わたしの付けにしてもいいと言ってあるが、それでも、わたしの財布は揺るがない。
そんなことを考えながら、張り出された依頼書を読んでいた時、わたしは不意にデイラムさんに話しかけられた。
「おお、そうだ。由美、ギルドを通して、《天才魔導士の再来》イリス・アルフィネートがあんたに会いたがっている、って連絡が来てるぞ」
「イリスが……?」
わたしは思わず聞き返した。イリスなら、彼女の故郷ザールハインからでも、このレディクラムまで余裕で通信魔法を届かせられるはずだ。
わたしがこの町に、というか、こっちの世界に居ないことも多いが、それでも、どうしても会いたい用事があるなら、日を改めて通信を試みればいい。それをせず、わざわざギルド間の連絡網を使ったということは、イリスは今、彼女でさえ通信魔法を飛ばせないほど離れた所に居る、ということだ。
「分かったわ。それじゃ、ちょっと行ってくる」
わたしはデイラムさんにそう言い、イリスの下へ転移した。
●
09:35 レギウス王国 とある町の大通り
転移先は、町の大通りを歩いていたイリスの目の前。当然、イリスを含めて、通りを歩いている大勢の人々に驚愕の目を向けられる。
「ちょ、ちょっと由美!? こんな目立つところで転移なんて……!」
「いいからいいから。わたしに会いたかったんでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
イリスとは今年の4月、京と一緒に、大学に受かったことを報告しに行って以来ほぼ半年会っていない。それでも、以前と同じようにふざけ合うことができたのは、なんとなく嬉しかった。
そして、そんな風にわたしたちがふざけ合っている間に、通りを歩く誰かが呟いた。
「……ま、まさか、《龍殺し》か?」
それを聞いた別の誰かが、さらに言う。
「《龍殺し》だと……!」
大通りがにわかに騒然とし始める。
「え……え……!?」
その状況に、イリスは戸惑いを隠せないでいるようだ。
わたしの予想どおりだ。イリスの反応が、ではない。
この世界では、通信手段だけは地球のインターネットに匹敵するほど発達している。移動する情報の媒体が、電気通信か、魔法による生身の通信かの違いだけだ。
「イリス、あんたも、この町で《龍殺し》の情報は耳にしてるでしょ?」
「う、うん」
「だったら、そのわたしが今更こそこそしたところで、どうせ人前に出たら騒ぎになるんだから」
「……あ、そっか」
どうせ騒ぎになるのなら、いっそ派手に登場して、《龍殺し》がこの町に来た、ということを大々的に見せつけたほうがいい。
わたしの地元ともいえるレディクラムならともかく、それ以外の地域で、《龍殺し》が人目を忍んで訪れた、のような噂が立ってしまうと、そっちのほうが面倒な事になりかねない。
イリスは、わたしの説明に納得した後、通信魔法で誰かと話し始めた。
……今のわたしは、意識せずとも魔法の《雑音》を感じ取れる。つまり、盗み聞きするつもりが無くとも、イリスの通信魔法が《聞こえて》きてしまう。
「由美、ちょっとお願いがあるんだけど」
「その人の所まであんたを抱えて飛んでいけばいいのね?」
「……う、うん。お願い」
イリスにちょっと引かれつつ、わたしは彼女を抱えて《加速》を発動した。
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09:50 ベインファスト家 屋敷の前
「前世の親友がどんどん人間離れしていく件」
「……まあ、否定はしないわ」
イリスとそんなことを言い合いつつ、わたしたちは目的地に到着した。
イリスが言うには、どうやら《雑音》だけで通信魔法の内容を聞き取るのは、そのために意識を集中させれば、イリスくらいの実力者なら難しくはない、という程度だそうだ。
わたしは抱えていたイリスを自分の足で立たせて、
「ていうか、由美、大学はどうしたの?」
そのイリスに、疑問の目を向けられた。……やっぱり、イリスにも分体のことは話しておくべきか。
イリスにも、というより、こっちでわたしの素性を知っている、例えばデイラムさんにも、いずれ言う時が来る気がする。
「後で言うわ。それより今は……」
「……そうだね」
わたしたちは一旦話を切り上げ、屋敷の正門に向かって歩きだした。
門番、というより守衛か。見張りに立つ2人の男性に、イリスが用件を伝える。しばらくの後、屋敷から別の人間が現れて、わたしたちを案内してくれることになった。
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ベインファスト家 応接室
わたしたちを応対してくれたのは、この屋敷の主、第2貴族のガイス・ヘル・クォウ・ベインファスト。イリスの基礎学校時代の親友フィークス・キゥメイアの母方の祖父でもあるそうだ。
ガイス一家が貴族同士の交流の一環でゼイルカスト領──ザールハインの町がある地域──を訪れていた時、ガイスさんの娘が現地の男性に一目惚れ。庶民との結婚ではあったがガイスさんはそれを許し、フィークスが生まれた。
今回の件は、母親の里帰りに同行するフィークスに、イリスが護衛を兼ねて同行。ベインファスト邸に着いたところでイリスはフィークスと別れて、それ以降は《伝説の傭兵》の娘として、戦争回避のために活動していたという。
それから数日後、フィークス母娘がザールハインへ帰るその日になって、フィークスが誘拐された。そのことをイリスに伝えるため、ガイスさんは冒険者ギルドに宿を取っていたイリスの下へ使いをやった。
フィークスが誘拐される前日までは何事も無かったのに、夜が明けた時には、フィークスの姿は忽然と消えていたそうだ。同じ寝室で寝ていた彼女の母親は、縛られて部屋の片隅に転がされていた。
「それが3日前のことだ。娘は、フィークスを攫った連中から我々への伝言を命じられていたらしく、それによると、《天才魔導士の再来》は、レギウス以外の国への亡命をせず、自らの意志で王家に従え……要するに、遠回しに戦争に参加しろ、ということだ。同時に《伝説の傭兵》と《天才魔導士》も説得するように、ということと、従わなかったり亡命をすれば、フィークスの命は無い、とも言ってきている」
ガイスさんは苦々しげにそう締めた。が、その脅迫を受けているイリス本人には、そのことで悩んでいる、という様子はあまり無く、むしろ、わたしにキラキラした視線を向けている。
フィークス・キゥメイア。今年の4月、わたしがイリスに大学合格を知らせに来た時に、彼女はイリスと一緒に居た。というより、2人で一緒に居たところにわたしと京が転移した、と言ったほうが正しい。
わたしは、ガイスさんに強気の笑みを向けて、言った。
「お任せください、ベインファスト卿。フィークスは……お孫さんはわたしが助け出してきます」
「お気持ちはありがたいが、《龍殺し》殿……フィークスがどこに捕えられているのかすら、現状では──」
「わたしは《助ける》と申し上げました。少なくとも、現状より悪化はさせません。……イリス、後は説明よろしく」
ガイスさんへの説明をイリスに丸投げして、わたしは次元の狭間へ飛び込んだ。……《無傷で助ける》と言いきることができなかったのは、現状、既に殺されているか、そうでなくとも傷物にされている可能性があったからだ。
そうなっていないことを祈ろう。
 




