3 管理者の楽しみ
管理者イアス・ラクアの視点。
管理者領域
次元の狭間を泳いでいた由美の本体と、警察署に居た分体を招く。
今回、由美をここへ招いたのは、本当にわたしの気まぐれだ。まあ、それを言うなら、《内側の存在》の願いを聞いてやったり、天使化させたり、ああいうのも全て気まぐれなのだが。
今回のは本当にただの思いつきだ。だから、
「……え? ここは……管理者領域?」
と、いきなり招かれて事情が理解できないでいる由美に、一応説明はしてやるが、元の世界へ帰す時には、ここでの記憶は全て消すつもりだ。今後の人生で、余計な心配や懸念を抱かずに済むように。
「いきなり招いてごめんなさいね。ちょっと、あなたに話があったから、ここへ来てもらったのよ」
「話……?」
「ええ。話というか、提案ね。ただし、あなたがこれを受けるにしろそうでないにしろ、元の世界へ帰す時には、ここでの記憶は全部消させてもらうわ」
わたしがそのことを言うと、由美は、顔には出ていないが、恐怖の感情を抱き始めた。……今まで、わたしが彼女にしてきたことを思えば無理もない。
管理者候補ピュリフィアを、ほかの世界に損害を出さずに駆除するために、《内側の存在》が負うには重すぎる責を負わせた。
ここから帰す時に記憶を消すのは、これ以上、由美に管理者関係で余計な不安を与えたくないがための措置だ。もちろん、今の《分体》の能力を奪うことも考えてはいない。
そのことを、わたしは由美に説明した。
「そこまでわたしのことを考えてくれているのに、なんで、今……?」
なぜ、今また彼女をここへ招いたのか。
「それでも、あなたに興味が湧いてしまったからよ。……竜之宮由美さん。あなたの人生を全て終えた後、わたしの跡を継いで管理者になる気は無いかしら?」
「──っ!?」
由美は驚愕に目を見開いた。……そう、わたしの提案を聞いて、驚くことができた。
由美でなければ……例えば最近天使化したシェルキスやフォスティアでさえ、同じ提案をされたとしても、管理者の冗談と受け取るだろう。《内側の存在》が管理者になることなどできるはずが無い、と。
自力では、という前置きが付くなら、それは正しい。しかし。
「……ちょ、ちょっと待って、イアス・ラクア。管理者になるって、わたしが《内側の世界》から外へ出て、あなたと同格になる、ってこと?」
「いいえ。言ったでしょ? 《わたしの跡を継いで》と。……魂に縛られない《個》、連続した自我の認識が何に因っているか、あなたならもう分かっているはずよ」
記憶を司るはずの脳が破壊されても、天使は自我の連続性を保ったままで居られる。自殺以外の方法で死ぬことは無い。それなら、肉体の脳が損傷している間の記憶はどこに保存されているのか。
わたしの言葉で、由美はそんなことを考え始めた。
そして、その疑問に彼女が出した推測は、《天使化前は脳がストレージとCPUの機能を果たしているが、天使化後は脳はCPUとしてのみ機能し、記憶は別の場所へ……おそらく管理者領域へ移されるのではないか》というものだった。
そう、これだ。この理解の早さと的確さに、わたしは興味を持ってしまったのだ!
彼女にはピュリフィア駆除の武器になってもらった。そのせいで、《竜之宮由美》という人間は、普通の《内側の存在》とも、普通の天使とも違う、やや特殊な存在になってしまった。そこで終わるのではなく、彼女は自らに与えられた知識から推測を重ねて、管理者に限りなく近いところまで昇ってきた。
こんな存在をただの《人間》として終わらせるなんて、もったいなすぎる。
由美は、言葉を絞り出すように、言った。
「記憶を……管理者に上書きする?」
「正解。わたしたち管理者も定期的に、PCでいうところのリフレッシュみたいなことをしなきゃならないのよ。その時に、どうせならあなたの記憶を初期化データとして使わせてもらおうかな、って。だけど──」
由美を管理者にするにあたって、簡単に言えば、管理者としてふさわしいかを見るための試験のようなものを課す。今この瞬間から、由美が《竜之宮由美》として死ぬまでの人生、それを観察して、《試験》の合否を決める。
もし不合格だったとしても、その時は他の《内側の存在》たちと同じように、魂が肉体から離れて《魂の源泉》へ還るだけ。何のペナルティも与えない。
わたしは、それを説明した。由美はしばらく考え込んでから、
「……なるほどね」
と、それだけを口にした。
わたしが由美を元の世界へ帰す時に、この提案を受けるか否かにかかわらず、この話に関する部分の由美の記憶を消す。その理由を、由美は《記憶が残ったままだと、管理者試験に受かるように自分が良い子ぶるおそれがあるから》、とは考えなかった。
そんなことをしても意味が無いと知っているから。
天使化した際に使えるようになる管理者権限の中に《他人の思考を読む》というものがあるが、わたしでさえ、知らないうちにその権限を与えてしまっていたんじゃないかと思ってしまうほど、由美は的確にわたしの真意を推測してくる。
だから、わたしは由美が気に入ったのだ。……そんな由美でも、己の肉体能力についての推測だけは外れているのが、自分でも言っていたように間抜けといえば間抜けか。
首を刎ねられても脳細胞が死ななかった。20分以上息を止めていられるのはなぜか。
そういう《栄養供給が断たれた時のダメージ耐性》が普通の人間より高いのは、前世である黒龍の影響、ではない。
あれは《灰の者》の肉体が持つ特性の1つだ。圧倒的な神経細胞の性能を支えるために、物理的能力に関しても桁外れの能力を持っている。
10倍速の加速現象の中にあって、《体が重い》のような違和感を感じること無く動けているのはなぜか。そこに気づけば、己の肉体について、もうちょっと的確な推測ができるだろうに。
まあ、それを含めての《由美らしさ》でもあるんだけど。
「それじゃあ、そろそろあなたを元の世界へ帰してあげるわね」
「ええ、ありがとう、イアス・ラクア」
わたしは、宣言どおりに由美の記憶を消してから、彼女を元の世界に送り返した。




