1 平和な日々が懐かしい ★
【本体の視点】
11月3日(日) 09:30 レディクラムの宿酒場
「《神童》……?」
わたしはデイラムさんの言葉をオウム返しで聞いた。
「ああ。レギウス王国の、今ちょうどうちの国と領土問題起こしてる第3貴族、ディナリウス家の長男だ」
デイラムさんはわたしが注文した銘酒レディクラムの準備をしつつ、どこか呆れ気味に答えてくれた。
呆れる対象は、たぶんそのディナリウス家とかいう貴族に対してだろう。……決して日曜の朝から酒を飲もうとしているわたしに対してではない。店内にも、依頼を請ける前の景気づけと言わんばかりに、派手に呷っている冒険者の皆さんはけっこう居る。うん。
まあ、それはともかく。
さっきデイラムさんが言った《第3貴族》というのは、レギウス王国の貴族の階級の1つだ。上から第1、第2、と続き、第5まである。第3というと、公侯伯子男でいうところの伯爵にあたると考えればよさそうだ。
この階級というのは、かつてはそれぞれの貴族が治める領地の規模などによって、細かな分類があったらしい。しかし、今では、第1以外は単なる格付けにしか使われておらず、その第1でさえ、《王家と親戚関係にある》ことを示すだけの意味しかないそうだ。
で、その第3貴族ディナリウス家の長男ウィスト・ヘル・ミア・ディナリウスが、3日前、レギウス王国での成人年齢である18歳を迎えた。そして、ディナリウス家当主は息子のお披露目と同時に、彼が領内で《神童》と呼ばれていることを公表したらしい。
デイラムさんは続ける。
「そう呼ばれているらしい、という噂は、もっと前からあったんだ。だが、それをなんで今まで隠していたのか。なんで、今になってそれを公表したのか。それが分からないんだよな。ほらよ」
そう言って、デイラムさんはわたしに銘酒レディクラムが注がれたグラスを差し出してくれた。わたしはそれを口に運びつつ、軽い調子で答える。
「《伝説の傭兵》や《天才魔導士》が切り札として使えなくなったから、その代わりとかじゃないの?」
これは、ゼンディエールから聖桜地区への襲撃事件が片付いた後、わたしが伯父さんたちとつけておいた話に関わるものだ。
わたしには、このレディクラムの町で買った家がある。それを、今はデイラムさんに頼んで、なんとか4人が暮らせるくらいに増築してもらっている最中だ。
4人で暮らせる家を用意しておく。そうすることで、もしレギウス王国が伯父さんたちを戦争に利用しようとしても、伯父さんたちにはそれを蹴ってこっちに移住してもらうことができる。
住み慣れた家を離れさせるのは申し訳ないが、少なくとも《伝説の傭兵》《天才魔導士》《天才魔導士の再来》が戦争に利用されるのを防ぐことはできる。……そういえば、カインはこういう異名を持ってないな。まあ、それは今はいいか。
この案は伯父さんも受け入れてくれて、早速、冒険者ギルドを通して国にその旨を伝えたそうだ。
レギウスにとっては、これから戦争をけしかけようかという相手国には《龍殺し》と、それに使役される黒龍の幼体が居る。
《伝説の傭兵》とその関係者は自国民ではあるが、それを戦争に利用しようとすれば、《龍殺し》の手引きによって相手国へ亡命される。
ここまで不利な状況にあって、まだ強硬姿勢を崩さないというのは、何か、さらなる切り札があると見るべきか? そして、その切り札というのが今回の《神童》なのでは?
しかし、もしそうだとしても、その《神童》が普通の人間である以上、いや、仮に灰の者であったとしても、今の状況をひっくり返せるとは思えない。だから、レギウス王国の意図が読めない。
……もし、《神童》もわたしと同じように前世の強大な力を引き継いだ転生者だというのなら、もっと早い時期でそのことを公表しているはずだ。そのほうが有利だから。
まあ、国同士の喧嘩はそれこそ国にやらせておけばいい訳で。頼まれたから手を貸すだけの立場のわたしがあれこれ考えたところで、あまり意味は無い。
その喧嘩に、最低限、身内が巻き込まれないように気をつけておくぐらいしかできないだろう。
とりあえず、今のわたしがすべきなのは、今までどおり冒険者として依頼をこなしつつ、アルフィネート家の移住先を守ることだ。
「……そういや、《伝説の傭兵》って、あんたの血縁者だったんだよな」
不意にデイラムさんが、思いついたようにそんなことを言った。《伝説の傭兵》クラウス・アルフィネートは、確かにわたしの伯父だが。
「……? そうだけど、それが何か?」
「いや、地球から来たあんたが、実はこっちの英雄と血縁でした、なんて、誰が想像できるかよ、ってことなんだが。だったら、《神童》ともなんらかの関わりがあるんじゃないか、って思ってな」
「それはさすがに……」
わたしはグラスを置いて、思うところをデイラムさんに話した。
初めてカインと会った時、お母さんに《故郷の言葉》だと教えられていた言葉がカインに通じた。そのことがあったから、もしかしたらお母さんの血縁者がこっちに居るんじゃないかと予想ができていた。それがたまたま《伝説の傭兵》だったというだけだ。
今回の《神童》の件では、カインとの出会いのような、思い当たる節がまるで無い。
「まあ、そうかもしれんが、会うだけ会ってみたらどうだ? うちの国に手を貸してくれてるんなら、いずれ会うこともあるだろうし。今のうちに会っておくのも悪くはないと思うぞ」
「……それもそうね」
デイラムさんに押し切られるような形ではあったが、結局、わたしは《神童》に会うことにした。
デイラムさんが言うには、《ビザイン政府に頼めば面会の場くらい設けてくれるだろう》とのことだ。無理なら無理で構わない。
「言葉といやあ──」
すぐ隣から聞こえた声。その主は、わたしとデイラムさんとの話が終わる少し前から、わたしの隣の席に腰を下ろしていたフサフサ髪のおっちゃんだ。
わたしが初めてこの宿酒場に来た時に銘酒レディクラムを奢ってくれた、ゴルテンさん。
彼は続ける。
「──由美、あんた、だいぶこっちの共通語がうまくなったじゃねえか。最初の頃は、なんつーか教科書的なくせにレギウス訛りが混じってる変な喋り方だったが。ああ、気を悪くしたらすまん。だからどうしたという訳じゃないんだ」
「まあ、わたしにこの言葉を教えてくれたお母さんがレギウス人だったからね」
ゴルテンさんに言われて、わたしはなんとなく納得した。
例えば、わたしが彼らに日本語を教えるとして、地元の方言を排除して完璧な標準語を教えられるかと言われれば、その自信は無い。できるだけ教科書どおりに教えようとしつつも、それでもどこか方言が出てしまうだろう。
そんなことを思っていると、デイラムさんが再び口を開いた。
「ああ、そうだ。《龍殺し》の名前を出せば大丈夫だとは思うが、もし余裕があるのならレギウス語も覚えておくといい」
デイラムさんは言う。それぞれの国に独自の言語はあるものの、ビザインとレギウスの2国に限っては、共通語を第1公用語に指定している。それにもかかわらず、レギウス王国の貴族たちは日常的にレギウス語を使い、公的な場でのみ共通語を使う、と。
ビザイン政府に面会の場を設けてもらえるとしても時間はかかるだろうし、その間にカインかイリスにでも習っておこう。
◆ ◆ ◆
【分体の視点】
09:40 アパート前の道路
本体がデイラムさんと話をしている頃、こっちはこっちでちょっとした事件が起こっていた。
ゼンディエールからの襲撃事件の後、日本でも魔法が使える人間がちらほらと現れ始めた。それは仕方のないことではあるのだが、そうなった時に生じる新たな問題は、魔法を使った犯罪だ。
京、純と一緒に日用品の買い出しに出かけようとした、まさにその時。わたしたちの目の前で、歩道を歩いていた1人の男が、同じ歩道ですれ違った老婆を《火球》で焼き殺した。おそらく、ただの通り魔だろうが。
最近、あちこちで《雑音》を感じるようになってきたせいで、わたしも男が発した《雑音》を気に留めていなかった。
「京、通報。純は動画を」
「う、うん……!」
「分かった」
警察への通報を京に、これから起こることの動画撮影を純にそれぞれ任せ、わたしは車道を渡って男のそばへ駆け寄った。
「ヒャッハー! ホントに便利な力だよなぁ、魔法ってのは……あん? なんだテメェは」
1人で興奮していた男は、わたしに気づくと舐めるような目つきでガンを飛ばしてきた。
ここがゼルク・メリスなら──現代日本ほど警察機構が整っていないがゆえに──町中で現行犯を目撃したことを理由に、こいつを捕まえて役所へ突き出すことができるのだが。
「現行犯の場合は私人にも逮捕権がある、って、知ってるわよね?」
「あぁ? だからどうした。俺がこのババアを殺した証拠がどこにあるってんだ? サツに突き出した後、そっからどうすんだよ? へへ……」
男は言った。完全にわたしを舐めている、というより、絶対に捕まらない自信があるようだ。
一応、純に撮影してもらってはいるが、アパートの敷地とは車道を挾んだ反対側だから、きちんと声を拾えているかは怪しい。
日本で魔法による犯罪が問題になるのは、あの襲撃事件であまりにも急激に日本社会に魔法が広まってしまったせいで、法律や捜査手法などが対応しきれていないからだ。この男の場合も、こいつが言うように、こいつが老婆を焼き殺した物的証拠が残らない。
男は続ける。
「さあ、そこどけよ。それとも、てめぇもこのババアみてえに焼き殺してやろうか?」
「やってみなさい。できるのならね」
「……! ナメてんじゃねえぞコラ!」
ブチギレて《火球》を発動させようとする男。しかし。
「……え? あれ!? なんで……なんで火が出ねぇんだよ!?」
出るはずが無い。わたしが逆位相の《雑音》をぶつけて発動を妨害しているのだから。
男は魔法を使うことを諦めたのか、今度は素手でわたしに殴りかかってきた。が、もちろん、格闘でわたしが後れを取る訳が無い。襲撃事件の後、国防軍の精鋭部隊と手合わせしたことがあるが、1対多でも格闘戦なら互角以上に戦えた。
この後、京の通報で駆けつけた警察に男の身柄を引き渡し、わたしたち3人も状況説明のために同行することになった。……今日の買い出しは諦めたほうがいいかもしれない。




