19 新たな日常の始まり
緒方唯の視点。
9月5日(木) 13:30 ファーレン邸 客間
「こ、こっちに残るって。桂子、なんで……?」
わたしはどうにか声を絞り出し、ファーレンさんの隣でわたしたちに向き合う格好で立っている桂子に聞いた。
「だって……日本にはもう、わたしの家も家族も……何も残ってないんだよ?」
震える声で、そして、屋上のフェンスの向こうに立つ時のような顔で、桂子は言う。
ただでさえ、魔物の襲撃からの復興でこれから慌ただしくなる聖桜地区で、家も保護者も無くした高校生が1人、まともに生きていけるのか。
平時でも、父子家庭、母子家庭は何かと偏見を持たれるこの時世、自分が《普通の生活》を送れるとは思えないし、その自信も無い。
それなら、事件が片付いた後もわたしたちを保護してくれるというファーレンさんの提案に甘えたい、と。
「みんなと気軽に会えなくなるのはちょっと寂しいけど……ほら、あれ、両方の世界を行き来する魔法があるんだからさ。いつか、その魔法を覚えて、また、みんなに会いに──」
「甘えたこと言ってんじゃねえよ、橋本」
薬袋君が、静かな怒声で桂子の言葉を遮った。その勢いに押されてか、桂子は、
「え……甘えたこと、って……?」
と、怯えとも戸惑いともつかない様子で返す。
「天涯孤独になった? 家を無くした? 今回の事件で同じようなことになったのは、何もおまえだけじゃねえだろ。そりゃあ……なんだ、色々とつらいとは思うが──」
「だから何? みんなつらいんだから、わたしも頑張れっていうの?」
桂子の声が急に鋭くなる。
薬袋君は、まさか桂子に言い返されるとは思っていなかったのだろうか、少したじろいだ様子で、それでも、さらに言い返す。
「……そ、そういうことだ。それに、ここで保護されるってのは……この人の前であんまり言いたかねえが、飼われるってのとどう違うんだよ」
薬袋君の言葉で、ここに居た由美先輩とファーレンさん以外の全員が、なにがしかのわずかな反応を見せた。微妙に表情が変わったり、眉が少し動いたり。……わたしもそうだ。全くのポーカーフェイスは、貫けなかった。彼の言い分が、ある意味で正しいと思ってしまったから。
誰も、何も言わない時間がしばし流れる。
「否定はしないよ」
その沈黙を破ったのは、ファーレンさんだった。
彼女の言葉に、再びわたしたちは息をのむ。そして、そんなわたしたちが落ち着くのを待っていたかのように、ファーレンさんは少し間を置いてから話しだした。
「野生の……いや、失礼。適切な言い方が見つからないから、許してほしい。……とにかく、野生の人間がほぼ居ないこちらの世界で、《人間らしい生活》ができる保障は、確かに無い。その意味では、保護といっても我々に飼われているのと大差は無いかもしれん。保護という言い方が嫌なら……《身の安全だけは保障する》と言い換えようか」
彼女の話は、薬袋君の言う《飼われる》に対してわたしが抱いた印象と、ほぼ同じ内容だった。
地球でも、捨てられたりなどした動物を人間が保護する時は、その動物を人間の管理下に置く。その《管理下の環境》は、その動物の《野生の環境》とは程遠い。
桂子は、まずファーレンさんに、
「そんな……気にしないでください」
と、遠慮がちに言ってから、薬袋君の方を向く。……その表情に、どこか暗いものを感じさせながら。
「保護でも飼われるのでも、どっちでもいいのよ。みんながつらいからって、わたしも頑張らなきゃならない理由がどこにあるの? 頑張らなくてもいい生き方が目の前にあるのに、なんでわざわざつらいほうを選ばなきゃならないの? ねえ、身内に誰も被害が出なかった薬袋君、教えてよ。なんで、大事なものを全部無くしたわたしが、この上つらい思いをしてまで生きなきゃならないの!?」
桂子は涙で顔を歪めて、最後はもう喚いていた。
「頑張らなくてもいい生き方って、おまえ……それ、もう人として生きてるとは言えない──」
「薬袋」
まだ反論しようとしていた薬袋君を、それまで一言も口にしなかった由美先輩が止めた。
「……な、なんだよ」
「橋本が日本で生きなきゃいけない理由を言ってみなさい」
「そ、そりゃあ……あれだ。こっちに残ったら簡単には会えなく──」
「日本に駐留するシオンさんに頼めば連れてきてもらえるわ」
「……飼われる生き方って、それ人として生きてるって──」
「生き方を決めるのは橋本自身よ。あんたに口出しする権利は無いわ」
「……じゃ、じゃあ! 頼めば連れてきてもらえるっつっても、それでも気軽には無理だろ? やっぱり、簡単に会えなくなると周りの人間が悲しむ──」
「誰が? ご家族はもうみんな亡くなってるし、幼馴染みの唯1人くらいなら、わたしがどうにか時間を作って付き合ってあげられる。あんたが気にすることじゃないわ」
薬袋君が何を言っても、ことごとく由美先輩に説き伏せられる。その繰り返しにいい加減痺れを切らしたのか、薬袋君は声を荒げだした。
「……てめぇは! ペットみてえに飼われる生き方でも構わないっつうのかよ!? 大人になっても自立しないで、住むトコと餌与えられてりゃ満足すんのかよ!」
「さっきも言ったけど、それを決めるのは橋本よ。あんたがそれを許せないっていうのなら、なんで素直にそう言わないの? わざわざ《周りの人間が》とか《みんながつらいのに自分だけ甘えるな》とか、なんでそうやって話をすり替えるのよ」
先輩の口調は飽くまでも冷静だった。そして、先輩にそこまで言われて、薬袋君は顔を赤くして黙り込んだ。
先輩は今度は桂子の方に向く。
「橋本。あんたがどういう生き方を選ぶのか、わたしがどうこう言うつもりは無いわ。けど、こっちで保護されることを選ぶのなら、あんたは日本人じゃなくてゼンディエール人になる。それでもいいのね?」
危うく、わたしはまたも表情を崩しそうになった。先輩が言わんとしていることは、なんとなく分かる。
先輩は……たぶん、桂子に《魔物の襲撃で家族を亡くした高校生女子》をやめることの覚悟を問うているのだ。薬袋君を説得して桂子の背中を押すだけでなく、本当に背中を押してもいいのか、を。
「……はい」
桂子は、首を縦に振った。
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地球へ戻ってからしばらく、わたしたちは《不思議な力を使う子供たち》として、報道関係に追われる日々が続いた。
しかし、由美先輩と国防軍のおかげか、そんな日々は半月もすれば落ち着いてきた。
一部では、わたしたちを厳重な監視下に置こうという動きも、どうやらあったらしい。
先輩が言うには、魔物を撃退できるような力を持った子供たちが居ることを知った《良識ある大人》たちが、子供たちが暴走することを懸念したのだろう、と。
これに関しては、国防軍が《独自のルートで入手した》と、魔法に関する基礎技術の全てを一般に公開することで、どうにか《良識ある大人たちの懸念》騒動は落ち着いた。
要は、《魔物を撃退できる子供たち》と同じ力を、あなた方も持つことができますよ、と、目の前に餌をちらつかせたのだ。……まったく、現金というか、なんというか。
それから、あの時先輩に言われたとおり、あれ以来、わたしは1度も魔法を使っていない。
今のわたしには、死霊術で魂を入れ替えられる前のわたしと同じく、魔力……魂の力は、殆ど残っていないも同然だからだ。前のわたしはかなり無茶をしていたんだな、と、今になって思う。
ともかく、シオンさんが日本に駐留し、日本でも魔法が知られるようになった今、自分の命にかかわるとはいえ、魔法が使えないというのはかなり厳しいハンデになるだろう。……まあ、それに関しては佐々木君が、
「僕が唯の分まで魔法を使えるようになって、唯を守ってみせる!」
と意気込んでくれているので、それに甘えることにしよう。
ところで、この事件と直接は関係の無い話題だが、今回の事件以降、聖桜地区ではゾンビものの映画やゲームに対する評価、というか、価値観ががらりと変わった。
それまで、ゾンビといえば主人公に襲いかかる敵として描かれるものが殆どだったが、聖桜地区ではゾンビが味方になる、あるいはゾンビが主人公の作品が流行るようになった。
……先輩の《手駒》が人々に与えた影響は、いろんな意味で大きかったようだ。
第2章・終




