17 電池交換
佐々木啓太の視点。
9月4日(水) 15:10 ファーレン邸 客間
「それしかないでしょうね。わたしたちに彼らを救う力が無い以上は。……まあ、先輩がどんな判断をするのかは分からないけど」
緒方さん、いや、お姉さんと紛らわしいから、唯さんと呼んだほうがいいかな。とにかく、彼女がそう言った後、しばらく、この広間に重い空気が流れた。
「……さて。それじゃ一旦、それぞれの部屋に戻る?」
そんな重い空気を振り払うかのように、舞さんが明るめの口調でみんなに言う。それに誰かが答える前に、広間の入り口がノックされた。はい、どうぞ、などと、返事をしたのは誰だったか。
「失礼致します」
広間に入ってきたのは、魔族の青年。人間だったら30代後半か、40代、というにはかわいそうか、といった見た目だ。
青年は言う。
「魔王ガイアから、《人間、竜之宮由美の要求を全面的に受け入れる》と、正式な申し入れがありました。我らが主ファーレンと由美さんとの話し合いもほぼ終わりましたから、後はシオンの部隊が帰還し次第、あなた方を地球へ帰して差し上げることが──」
どさっ。
青年が全てを言い終える前に、唯さんが、隣に座っていた舞さんの膝へ倒れ込んだ。
室内がにわかに騒然となる。
「ちょっと、唯!?」
「あ、あれ……? 体に、力が……」
舞さんに抱えられた腕の中で、唯さんは自分の体を起こそうと、ソファに手を突いた。……が、その腕はがくがくと震えるだけで、唯さんの体が動く気配は無い。
「緒が……唯!」
気がついた時、僕は彼女の下へ駆け寄っていた。唯の脇へ腕を差し入れ、ソファにもたれるように、体を起こして──
どさどさっ。
唯の体に全く力が入っていない。まるで、無理な体勢で等身大の人形を抱えようとして失敗した時のように、僕たち2人はソファから転げ落ちた。
「ご、ごめんなはい……! 佐々木君、らい丈夫?」
「ぼ、僕は平気。それより、唯こそ……!」
唯は微妙に呂律が回っていない。
「わ、わらひは……ゆ、由美先ふぁいを呼んれ……」
唯の状態はどんどん悪くなっているようだ。いったい、なぜ……?
●
15:20 唯と舞にあてがわれた客室
いつの間にか広間から居なくなっていた魔族の青年が呼びにいってくれたのだろうか。広間に転移でやってきた竜之宮さんが、唯をベッドまで運んでくれた。
唯は、意識はしっかりしているようだ。僕たちが呼びかけたりしたら反応を返してくれるから、五感にも問題は無いだろう。でも、体を動かすのは、指先がかろうじて動くくらいになってしまったし、喋ることも、どうにか《言葉》であることが判別できるくらいの、非常に不明瞭なものになってしまった。
そして、そんな自分の声を僕たちに聞かれたくないのか、それ以降、唯はもう、喋らなくなった。
「なあ、唯はどうなっちまったんだ?」
北条さんが、縋るような声で竜之宮さんに聞く。竜之宮さんはまず唯に顔を向けて、
「唯。話してもいいなら、わたしの手を握って」
そう言って、唯の手に、自分の手を重ねた。そして、それを弱々しく握り返す唯。
「……分かったわ」
竜之宮さんは唯にそう返すと、今度は僕たちの方に向いた。
「結論から言うわ。唯はもう助からない」
竜之宮さんの言葉に、唯以外の全員が固まった。少しの後、
「ちょっと竜之宮! 助からないってどういうことよ!?」
舞さんが竜之宮さんの襟元に掴みかかる。竜之宮さんはそれを振り払うでもなく、そのまま答える。
「そのままの意味よ。唯はもうすぐ死ぬ。──」
竜之宮さんは、なぜ唯が助からないのか、その理由を僕たちに説明してくれた。
魂のバッテリー切れ。もともと、普通の人間より少し短い程度の寿命しかなかったであろうところに、今回の魔物襲撃事件のために魔法を覚えて、しかも、かなり本気を出して戦っていた。
生まれた時点で消耗していた魂は、全力での魔法の発動に耐えられなかったのだろう、と。
舞さんはさらに竜之宮さんに詰め寄る。
「もうすぐっていつよ……唯は後どれだけ生きていられるのよ!?」
「それを気にしている暇があるのなら、今は少しでも唯のそばに居てやりなさい。今の唯は、もう末期だから」
●
17:00
竜之宮さんと一緒に。僕たちは唯のベッドを取り囲むように、それぞれ時間を過ごした。
唯の幼馴染みの橋本さんは、誰よりも多く、唯に話しかけていた。
朋美は、唯とは同じ吹奏楽部の先輩後輩の関係だからか、橋本さんと競うように唯に話しかけていた。
北条さんは、拳がどうとか、本気の試合がどうとか言っていた。
僕を通して休み時間に少し話すくらいの付き合いがあった一真は、少しだけ唯に話しかけた。
舞さんは、日頃からお互いの性格を知り尽くしている姉妹だからだろうか、殆ど話しかけはしなかった。ただ、ずっと手を握っていた。
そして、僕は……
「緒方……唯、さん。好き、でした」
もう、ぎごちない笑顔を返してくれることしかできなくなっていた唯に、それだけを告げるのが精一杯だった。その笑顔に、その頬に、僕が手を触れた直後……
その笑顔は、笑顔のまま変わらなくなった。
唯は、死ん……あれ?
「気づいたみたいね」
竜之宮さんが言う。その後、僕たちの様子に気づいたらしい一真や舞さんたちも、次々と唯の体を覗き込んでくる。
唯の胸からお腹にかけてが、まだかすかに動いている。呼吸をしている。
「唯の体は、まだ死んではいないわ」
竜之宮さんは言う。魂が消耗して体の各機能が停止していく現象は、生命維持に必須でない部分から進む。今の唯は、肉体の全ての入出力が無くなり、つまり五感が無くなって意思表示もできなくなり、最低限の心肺機能と脳だけが動いている状態だ、と。
「そ、それじゃあ……!」
暗闇の中に一筋の光が照らされた気分で、僕は言う。
「ええ。少なくとも《唯の体》を助ける方法は、無くはないわ。たぶん、唯自身はこんなこと望まないだろうから、わたしも今まで言えなかったんだけど──」
竜之宮さんが言うには、今の唯は、魂の力が尽きかけている状態、電気製品でいうなら、電池が切れかけているような状態らしい。
それを竜之宮さんの死霊術で、今の唯の《切れかけの電池》から、死霊術で持ってきた《まだ少しは残っている電池》と入れ替えることで、少しは延命できるのではないか、とのこと。
「──肉体は唯の物、記憶も唯の物。ただ1つ、魂だけが交換された《緒方唯》としてなら、体を延命させられるかもしれない」
「……それ、ってさ、《唯ちゃんの体と記憶を持つだけの別人》なんじゃないの?」
橋本さんが遠慮がちに言う。
「そうかもしれないわね。だから、あんたたちがそう思うのなら……唯はもう死んだと思うのなら、やめればいい。わたしも、こんな方法で唯を助けるのが正しいことなのか、分からないから。……ただし、迷っていられる時間はそんなに無いわ。唯の呼吸が止まったら、たぶん、もう無理ね」
竜之宮さんはそう言って、最後にぐるっと、僕たち全員に視線を巡らせた。まるで、僕たちに選択を迫るように。
たぶん、竜之宮さん自身はそれをしないつもりなのだろう。それでも、僕たちにどうするかを選ばせてくれた。……それとも、もしかしたら彼女もそれを迷っていて、僕たちに決定を委ねたのだろうか?
僕は……




