16.5 得るものと無くすもの
【分体の視点】
9月4日(水) 13:15 聖桜高校 校長室
黒龍たちと別れた後、わたしは、ファーレン邸へ戻る前に聖桜高校へやって来た。次に魔族に攻め込まれた時のための、地球側での《準備》を調えるために。
住民たちを避難させる輸送ヘリが撃墜されてから、ほぼ1時間半。聖桜高校に派遣された国防軍の隊長は、ちょうど校長室を出ていくところだった。その彼を、呼び止める。
「おや、何でしょうか」
「ええ、ちょっと。それと、校長」
彼にソファに座り直してもらった後、わたしは校長に、今すぐ用意できる限りの大量の白紙と、それに隙間無く文字を書き込むに耐えられるだけの筆記具を提供してもらえないか、聞いてみた。
「そ、そんなにたくさん、いったい何に……?」
「今後、また魔物の侵攻が無いとも限りません。そのための対策です」
わたしは、校長と隊長それぞれに視線を巡らせながら答えた。
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数分後、校長はわたしが要求したとおりの物を持ってきてくれた。ちょっとした研究室の本棚なら簡単に埋まってしまうくらいはあるだろうか。
これだけあれば、わたしが記憶している異世界研究所の研究成果の全てと、魔法に関するある程度の基礎知識を書き写すことができる。もちろん、紙と一緒に持ってきてくれた筆記具を使って手作業で、ではない。
書き写すのは《変成》を使って、筆記具からインクを直接抽出、紙の繊維に組み込むという方法で行っていく。
1秒もあれば、わたしと同じ体格の人体を原子レベルで完全に分解できるから、インクを紙に組み込んでの書き写し作業も、それほど時間を要せずに終わるだろう。実際、書き込む際の書面レイアウトに悩む時間のほうが長かった。
「こ、これは……!?」
書き写しが終わった資料を、次々とページをめくる隊長。その目は、初めてゼルク・メリスに飛ばされた時のわたしに似ていた。
そんな彼に、わたしは、異世界研究所に関して全てを語った。
「そ、それは……!」
隊長は、どこか言葉に詰まるような反応を見せる。おそらく、思うところはあっても、軍事機密に触れるなどで民間人には言えないこともあるのだろう。
「多くは申しません。それを兵器に応用すれば……お分かりですね?」
わたしは低い声で言った。
これはわたしにとっても賭けだ。魔法と現代兵器を組み合わせれば、上位魔族にも対抗できる兵器が造れるかもしれない。しかし、それは同時に、魔族をも滅ぼしかねない兵器が、その兵器を持った国家が、地球にも誕生してしまうことを意味する。
魔族の脅威に対抗するためには、日本だけがこの技術を持っていても意味が無い。だが、複数の国家がこの技術を手にした時、それが戦争に使われない保障は無い。
この技術は異世界研究所が研究していたものだから、いずれ何かの形で表社会に普及していた可能性はある。《わたしにとっての賭け》とは、その時を待たずに、今、わたしが国防軍にその技術を教えることだ。
かつてゼルク・メリスのザイアンさんが言っていたように、わたしは画期的な人殺しの道具を造った開発者として、地球の歴史に汚名を残すのか、否か。
わたしは短く溜息をついた。
京がトラックに轢かれた時は、京を助けてイリスの存在も守るために、わたしの魂を削った。
今回は、地球人に魔族への対抗手段を持たせるために、わたしの名誉を削ることになるかもしれない。しかも、今回は魔族が次も必ず攻めてくるとは限らない上に、魔法技術を応用した兵器が、魔族への対抗手段としてのみ用いられる保障も無い。
京の時はそれしか方法がなかった。でも、今回はもしかしたら、これ以外の方法があったかもしれない。それを探すだけの時間的余裕と、わたしの精神的余裕が無かっただけで。
「……? いかがなさいましたか、竜之宮さん」
隊長に聞かれて、
「いえ……自己犠牲なんて柄じゃないのになぁ、と」
わたしは、どこかぼんやりとした声で答えた。




