15 食物連鎖の頂点は
緒方唯の視点。
9月4日(水) 13:30 ファーレン邸 応接室
シオンさんの保護下に入るように。
由美先輩にそう言われ、わたしたちは、シオンさんの部下にこの部屋へ案内された。聖桜地区に攻めてきている魔物たちの故郷、わたしたちにとっての異世界ゼンディエール、そのとある町にある、ファーレンという人の邸宅だそうだ。
「それでは、しばらくこちらでお待ちください。我らが主ファーレンが、あなた方に事情をお話し致します」
そう言って、わたしたちをここまで案内してくれた彼、シオンさんの部下が退室する。
「おい! これ以上まだ待てって……クソ!」
薬袋君が彼を追おうと立ち上がりかけて、結局ふてくされたようにソファに座り直した。
実際、わたしたちがこっちの世界へ連れてこられてから、随分と……といっても20分程度だが、けっこう歩いたし、待たされた。
「……大丈夫? 緒方さん」
佐々木君がわたしの顔を覗き込んでくる。心配してくれているようだ。
「ええ、大丈夫」
答えて、思い出す。わたしたち1人にシオンさんの部下1人がそれぞれ付き、1対1で《世界渡り》を使われた。あの魔法では、自分以外を同時に1人までしか運べないらしい。が、それはいい。
わたしにとって問題だったのは、先輩の転移と比べて、《世界渡り》は随分と乱暴だったことだ。
移動中の押し潰されるような不快感、自分以外の周り全てから響いてくる《雑音》。移動完了から数分はまともに立つこともできなかった。
そんなことを思い出していると、部屋の扉が数回叩かれた。どうやら、こっちの世界にもノックという文化はあるようだ。
●
秘書か、それとも護衛か。部下2人を引き連れて、1人の女性が部屋に入ってきた。女王、という雰囲気ではないが、何かの組織の指導者のような威厳がある人物だ。
わたしたちとは向かいのソファに座った彼女は開口一番、
「まず、あなた方に謝罪したい」
そう言って、軽く頭を下げた。
「謝罪だと? まさか、あの化物共は……!」
また立ち上がりかける薬袋君に、
「あれを送り込んだのは我々ではない。が、身内だと言われれば否定もできない。内輪もめのような争いに異世界のあなた方を巻き込んだことに対して謝罪したい。そういうことだ」
女性は冷静に、そう返した。そして、話を続ける。
「わたしはファーレン・デストクレス。詳細は追って説明するが、この世界で《魔王》と呼ばれているガイア・デストラードの長女だ」
「魔王の娘……!」
佐々木君が驚きの声を出す。
この後、ファーレンさんはこっちの世界ゼンディエールについて、詳しい事情を説明してくれた。
まず、この世界で最も繁栄している種族、地球でいうところの《食物連鎖の頂点》である人間にあたる種族は、魔族。
そしてこの世界にも、わたしたち《地球の人間》とほぼ同じ容姿で、種族名も《人間》と呼ばれる種族は存在するが、魔族にとっては奴隷であり、食料であり、愛玩動物である、と。
……日本では牛肉を食べるが、牛をペットにする人はまず居ない。鶏肉なら、かろうじて鶏を飼う人は居るかどうか、だろうか。
ファーレンさんは言う。
「あなた方にとっては気分の良い話ではないだろうが、聞いてほしい」
この世界に、自分の意思で生き、自由な生活を送っている、いわゆる《野生》の人間はほぼ居ない。殆どが、食用として飼育されているか、愛玩用にペットショップで販売、そして、ブリーダーの手で繁殖されている人間ばかりだ。
その話に顔をしかめる佐々木君たち。それはわたしも同じだったが、ただ1つ、気になることがあった。
「……この話を、由美先輩は?」
思わず、わたしはファーレンさんに聞いていた。
「由美先輩? ……ああ、あの人のことか。もちろん、ご存じだ」
ご存じ。この世界の支配者の娘が敬語を使う。そのことに、わたしたちは思わず顔を見合わせた。
「……? どうした?」
「あ……い、いえ。あなたが……その、《人間》に対して敬語を使うというのが……」
ファーレンさんの話では、人間は魔族にとって家畜同然の存在のはずだ。そんな人間であるわたしたちと今こうして面会してくれていることから、少なくともファーレンさんとその周囲の人……いや、魔族たちは、そのように見てはいないようだが。
「ふふっ。彼女は、まるで人間の皮を被った魔王だ。おそらく、本気で攻められれば我が父でも勝てぬだろうさ」
ファーレンさんは、どこか楽しげにそう語った。そして、態度を改めて、再び真剣な面持ちで続ける。
「それに、我らには……人肉食に反対する者たちには、人間を家畜として扱うつもりは無いよ。翻訳魔法さえ使えば、あなた方もそうだが、こちらの人間たちとも意思疎通ができる。人間には、それだけの高い知能がある」
ファーレンさんは言う。そんな高い知能を持つ人間を愛玩用に販売したり、ましてや食用にするなどとんでもない。自分たち魔族と同等の存在として扱うべきだ、と。
「こちらの世界に占める我が勢力圏はごく狭いが、その領内では、人身売買……魔族に加えて人間の売買も禁じている。当然、人肉を食することも認めていない。……さて、あなた方の保護について話をしようか」
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15:00 ファーレン邸 客間
ファーレンさんとの会談が終わった後、わたしたちは客用の宿泊施設に通された。全員が集まれる広間があり、そこからそれぞれ、1~3人程度の個室に繋っているという構造だ。……が、わたしたちは広間に集まり、さっきまでのファーレンさんとの会談について話し合っていた。
わたしたちの保護、というのは、シオンさんの討伐隊が聖桜地区から魔物を一掃するまで、わたしたちはこのファーレン邸で生活する、というものだった。
これについては、由美先輩が事前にシオンさんやファーレンさんに話をしていたらしく、今日の輸送ヘリ撃墜の件が無くとも、わたしたちの意思を確認した上で、わたしたちが希望すれば事件終息後も引き続き……ということになっていたらしい。
異世界からの魔物、それに対抗できる力を持った少年少女たち、となれば、報道関係や世間の目が放っておく訳がない。それらからの保護、という意味もあったようだ。
だが、わたしたちの興味はそこではなかった。
「なあ、ここの魔族と人間との関係ってよ……」
薬袋君が声をひそめて言う。わざわざその必要は無いのだが、なんとなく、だろう。わたしたちがこれから話そうとしている内容を考えれば、そんな気持ちになるのも仕方ない。
薬袋君の言葉には、
「地球にも似たような話があるわね」
と、お姉ちゃんが答えた。
世間的には自分たちより下位とされているが、その種族は高い知能を持っているから食べてはいけない。その思想の相違から、同族で対立する。
「てことは、さしずめあたしらは《人間に反旗を翻した牛肉》ってところか」
と、これは志織。その顔と口調は不機嫌に満ちている。
ふと、ここに連れてこられる時、案内役の魔族の青年に聞いたことを思い出す。わたしからの質問に対する回答だった。
※ ※ ※
「ここで保護してもらえるということは……その、食事などは……?」
「もちろん、提供致しますよ。ああ、ご安心ください。人間の肉は使っておりませんから。肉料理は全て、牛、豚、馬のいずれかを使います」
※ ※ ※
人間の肉は使わない。そう、人間の肉は。
別にわたしは一切の肉を口にしない完全菜食主義者ではないが、人間という特定の種族のみを食用から除外する彼らの態度に、何とも言いがたいモヤモヤしたものを感じる。
まあ、それはいい。彼らがどんな思想を持っているのか、それによってこっちの世界でどんな問題が起きているのか。無責任かもしれないが、地球がその被害を被らなければ対岸の火事だ。それよりも。
「なかなか面白いことを言うじゃない、北条。でも、それなら、こっちの文化に根ざした問題を、竜之宮1人で解決できるとは思えないわね」
お姉ちゃんが言う。
魔族にとって、人肉食は1つの文化らしい。
それをやめさせるということ。志織の言葉を借りるなら、わたしたちは人間に牛肉を食べるのをやめさせようと立ち上がった牛だ。一部の牛肉否定派の人間の力を借りたとして、地球の全人類に牛肉を食べるのをやめさせられるかといえば、たぶん無理だ。それとも……
わたしは、お姉ちゃんの言葉に続けて発言した。
「それじゃあ、《地球からの食糧調達》だけをやめさせるのは?」
お姉ちゃんと、ほかのみんなの表情が硬直する。
ゼンディエールの、いや、地球以外の人間たちが魔族に狩られたとしても、地球人には関係無い。地球以外の世界で同様のことが起きても、地球に被害は無い。
「おい、緒が……緒方妹! それって、こっちの人間たちを見捨てるってことかよ!?」
顔を赤くし、声をひそめつつも、ほんの少し荒げる薬袋君。
「それしかないでしょうね。わたしたちに彼らを救う力が無い以上は。……まあ、先輩がどんな判断をするのかは分からないけど」
わたしは言った。現状ですら、先輩に頼らなければ魔族の侵攻を食い止めることさえできなかったのだ。ゼンディエールの人間全員を魔族の支配から救うなど、できる訳が無い。
わたしたちにとって唯一幸福だったのは、少なくともわたしたち7人だけは、ファーレンさんの保護下で安全が保障されたことだ。……先輩を信じない訳ではないが、たとえ、地球が魔族の《人間牧場》になったとしても。




