14 安全に避難する
緒方唯の視点。
9月4日(水) 12:30 聖桜高校 グラウンド
管理者領域から戻ってすぐ、わたしは佐々木君を抱えて跳んだ。もちろん、佐々木君の首と胴体は繋っている。
直前までわたしたちの体があった場所を魔物の爪が引き裂く。
「お、緒方さん!? 僕──」
「黙って!」
わたしは佐々木君を抱えたまま地面を転がり、体勢を立て直して《光弾》を……撃とうとしたら、突如空から無数の閃光が降り注いできた。
わたしと佐々木君に襲いかかろうとしていた魔物。
薬袋君や朋美ちゃんたちが必死で戦っている魔物たち。
依然校舎に襲いかかっている魔物たち。
それら全てを的確に、かつ1撃で沈黙させていく、漆黒の閃光。お姉ちゃんと肉弾戦を繰り広げていたあの女も、呆然とその光景を眺めている。
閃光の発射点は、わたしたち生徒の教室がある第1校舎の屋上。そこには、両翼を広げて荒々しく怒り狂う、閃光と同じ漆黒のドラゴンが鎮座……しているかのような幻影が見えた。
校舎の屋上には、わたしの位置からは何かが居るようには見えない。でも、わたしにははっきりと……たぶん、ほかのみんなにも、ドラゴンの幻影が見えている。圧倒的な恐怖を撒き散らし、その姿を見た者には抵抗しようという意思すら抱かせない、その姿が。
学校の敷地から逃げ出そうとする魔物も居た。しかし、ドラゴンが放つ閃光は、そんな魔物にも容赦無く、その背後から突き刺さる。
不意にドラゴンの幻影がかき消える。その直後、ドラゴンが姿を現したのは、女の真後ろ。そのまま片手で女の首を掴む。
ドラゴンの幻影に見えていたのは、由美先輩だった。
「何をしてくれてるのかしらね、あんたは」
先輩は女の首を掴んだまま、抑揚の無い平坦な声で言う。
女にとって、先輩が背後に立っていることは幸福だった。今の先輩の目を正面から向けられたら……わたしだったら、正気を保っている自信は無い。さっきの口調と同じく、虚無を思わせるような、平坦な視線。
わたしがそんなことを思っていると、女と先輩との間でわずかな魔力の揺らぎが生じた。
「魔法が……!?」
うろたえる女に、
「わたしの近くで魔法は使わせないわよ」
先輩は変わらず冷たい声で言う。そして、女の首を掴んだ手を捻り、女をフォスティアさんの方に向けさせる。きちんと両腕が揃っていて、自分の両足でしっかりと大地を踏みしめているフォスティアさんの方へ。
驚愕に顔を固める女。……わたしも状況が理解できていない。フォスティアさんは、この女に四肢を食べられたはずだ。
「ば、馬鹿な! コイツはあたしが……!」
「んふふ、天使があれくらいで死ぬ訳ないじゃーん」
女をからかうような、しかし、どこか硬い、フォスティアさんの声。
女の顔は絶望に歪んでいた。そして、先輩の指が女の首にめり込んでいき……
上と下が分離するのに、さほど時間はかからなかった。
●
12:40
「お、緒方さん。あの……そろそろ離してもらえると……」
凄く近い所から佐々木君の声がする。ふと視線を胸元へ下ろすと。
「──!? ご、ごめんなさい!」
さっきの戦いで、わたしは魔物の攻撃をかわすために、佐々木君を胸に抱えて地面を転がった。その時の体勢のままだった。
慌てて彼を解放し、わたしも立ち上がる。……こら、佐々木君。頬を赤らめるのをやめなさい。
ふと顔を上げると、朋美ちゃんや桂子たちを連れて、先輩がわたしの方へ駆け寄ってきていた。
「あれ、先輩、どうしたん──」
「今すぐここを離れるわよ」
先輩はやや急ぎ気味にそう言う。
「え、なんで……?」
「理由は後で言うから、とにかく聖桜公園へ」
「は、はい……!」
●
聖桜公園へ向かう路上
佐々木君兄妹、薬袋君、桂子、志織、そして、わたしとお姉ちゃん。わたしたちは、聖桜公園まで先輩の転移で送っていってもらうのではなく、自分たちの足で走っていた。
先輩が転移を使わないのは、人数が多いからか、それとも別の理由があるのか。いずれにしろ、先輩もわたしたちを先導するように一緒に走っている。時々振り返り、全員ついてこれているかを確認しながら。
そして、この走っている間に、先輩はなぜ学校を離れたのかを説明してくれた。
「良くも悪くも日本人は……ああ、軍人や要人警護みたいな戦闘に携わる人々は別だけど、平和ボケしているわ。だから──」
「おい、平和ボケってなんだよ! 国防軍とか、戦争とか、中学で習ったぞ!」
先輩の説明に薬袋君が割り込む。
「その割には、薬袋、あんた、魔物が攻めてきた時にけっこう喚いてたじゃない。実際に攻め込まれたら、っていう意識が欠けてたんじゃない?」
「あっ、あれは……! ……ほ、ほら、あれだ。ま、まさか本当にそういう……しかも、その……い、異世界から……」
薬袋君の反論は言い訳にしかなっていないようにも聞こえるが、走りながらだから頭が回らない、落ち着いて考えられないというのもあるのだろう。それに、走りながらの会話だから当然、薬袋君の息も荒くなってくる。
「《まさか本当にそうなるなんて思ってなかった》、それを平和ボケというのよ。まあ、そうやってボケていられるのが1番幸せなんだろうけど。とにかく──」
先輩は全く息を乱すこと無く、話を続ける。
安全だと思われた空路も魔物に──実際は魔族の幹部だったようだが、一般市民にはそんな区別はどうでもいい──襲われた。
《空路は安全》だとした国防軍の判断は適切だったのか。より安全な別の避難経路は無かったのか。そういう指摘をする輩は必ず出てくる。まして、襲撃の現場に魔物と戦えるわたしたちや、ヘリを落とした魔物を瞬殺した先輩があの場に留まっていたら、《責任を追及する声》は絶対にあがってくる。
そこまで話が進んだところで、わたしたちは聖桜公園に到着した。
「襲撃されている時点で《安全》なんてどこにも無いのに、人々はそれを求める。《戦える人々》は《戦えない人々》に安全を提供するのが義務だと思い込んでいる。だから、今後……そうね、シオンさんの討伐隊がこっちに来るまでは、あんたたちはできるだけ、町の人々の目に触れないほうがいいわ」
先輩はそう締めた。志織でさえわずかに肩が上下しているというのに、普段と全く変わらない調子で、だ。
そして、先輩がそれを言い終わるのとほぼ同時に、巨大な魔力の揺らぎ、《雑音》が辺りに響き渡った。聖桜公園に次々と転移してくる人、人、人。
公園の殆どが人で……いや、よく見れば彼らの耳もあの女のように尖っているから、魔族か。ともかく、人口密度がかなり上がった。最後にシオンさんが転移してくる。
「……おお、唯君。ちょうどいい所──!?」
シオンさんはわたしに声を掛けたところで、あり得ないものを見たかのような顔で固まった。その視線を先輩の方に向けて。
「あ、あなたがなぜ……ここに……?」
「あまり詮索しないでもらえると助かるわ。それより、今回の討伐隊はあなたたちが自分たちの尻拭いのために派遣したのであって、わたしたちがこっちの世界の代表として要請した訳ではない。そのことを、改めてわたしの後輩たちの前で宣言してもらえるかしら?」
「はい。それは、もともとそのつもりでしたから」
……話が見えない。シオンさんも魔族……耳が尖っていたこともそうだし、さっきの先輩との会話から、立場的に先輩のほうが上らしいことも分かる。でも、いつの間にそうなっていたのかは分からない。
そんな風にわたしが混乱している間にも、シオンさんは先輩に言われたとおり、彼らが自発的に討伐隊を聖桜へ派遣したのだと宣言した。
先輩はわたしたちに、シオンさんの保護下に入るように告げた。そして、
「それじゃあ、わたしは大学の午後の授業に出てくるから。悪いけど、説明はその後まで待ってね」
そう言い残し、転移でこの場を去った。……今日は分体でゼンディエールへ、本体で大学に行っていた先輩が、なぜ聖桜へ来れたのか。どうやら、昼休みを潰して来てくれていたようだ。
 




