12 近づく《その時》
緒方唯の視点。
9月3日(火) 18:45 聖桜高校 校長室
国防軍の隊長さんが、由美先輩との話し合いで決まった内容を復唱する。
「では、我々は民間人の避難誘導を最優先に行動する、ということですね」
「ええ。それと、もし、わたしたちの誰かが魔物と戦っているところに遭遇したら、支援攻撃をしていただければありがたいですが、決して前には出ないでください」
隊長の言葉に応じる先輩に、
「お、おい、竜之宮!」
と、お姉ちゃんが待ったをかけた。
お姉ちゃんの方に目を向ける先輩。
「何? 緒方」
「何って、国防軍は戦いのプロだろう? なんで軍を差し置いて、わたしらに戦わせるんだよ?」
お姉ちゃんがそう言うと、先輩は少し考える素振りを見せた後、校長と少し言葉を交わす。そして受け取ったのは、ガラス製の調度品。
昨日、わたしが佐々木君と薬袋君に、魔力による肉体強化の効果を見せる時に使ったアレだ。あの後、先輩が魔法で修復したのだが、たぶん、佐々木君たちは気づいていなかったと思う。
先輩はそれをお姉ちゃんに向けて持ち、
「緒方……名字で呼ぶと唯と紛らわしいわね。……舞」
「一応、わたしのほうが先輩なんだけどね……で、何?」
「魔物を殴った時と同じ要領でこれを殴ってみなさい。ほら」
そう言って、いきなりそれを放り投げる。
「おい、てめ……!」
お姉ちゃんは一瞬慌てたようではあったが、それでも冷静に、ガラス製のそれを空中で叩き割った。砕けた破片がバラバラと床に落ちる。
先輩はその破片の1つを拾って、言う。
「分かったでしょ? 素手でガラスを叩き割っても、手には傷1つ付かない。同じことを魔物もやってるから、個人が携行できる程度の銃器では、たぶん足止めするのが精一杯よ」
先輩はそのまま無造作に破片を握り潰した。
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19:00
校長先生と一緒に国防軍の隊長さんが部屋を出ていく。それを見送り、扉が閉まった後、先輩が口を開いた。
「さっきはごめんね、唯」
……え?
一瞬、先輩が何を言ったのか、わたしは理解できなかった。
「え……あの?」
「わたしの判断に文句をつけるな、ってやつよ」
「……あ。ああ、いえ。あれは、その……」
わたしのほうこそごめんなさい。そう返そうと思っていたけど。……まあ、いいの、かな?
わたしがそんなことを思っていると、
「今更だけど、久しぶりね、竜之宮」
ずいっ、と、お姉ちゃんが1歩踏み出し、喧嘩を売るような、それでも、どこか楽しげな声を先輩に掛ける。
「高校以来ね、舞」
「だから先輩への礼儀を……まあいいか。──」
お姉ちゃんは先輩を質問攻めにした。
隊長が去り際に言っていたように、本当に先輩1人で国1つ潰せるだけの力があるのか。
本当にそんな力があるのなら、なぜ魔物たちを一掃できないのか。
高卒で働いているにしろ大学に進んだにしろ、聖桜に来ているということは、それらをサボってきたのか。
先輩は、まず魔物を簡単に一掃できない理由を説明した。その説明で、お姉ちゃんの顔に浮かぶ疑問の色がさらに強くなった。
今度はそれの説明のためだろうか。先輩は、まずフォスティアさんと短いやり取りを交わした。わたしの知らない言葉だったけど、たぶん、これがフォスティアさんの母語なのだろう。
やり取りの最後に、フォスティアさんは妙に生き生きとした表情で親指を立てた。
この後、わたしたちは先輩に連れられて、佐々木君兄妹に魔法を教えた時に使った会議室へ移動した。移動中、学校へ戻ってきた佐々木君とも合流した。
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会議室
部屋の隅に由美先輩、反対側にわたしとお姉ちゃん、佐々木君兄妹が陣取っている。
先輩が《光壁》を張るから、わたしたち全員で、全力の攻撃を叩き込んでみろ。先輩のそんな提案だった。……ちなみに、わたしは《疲れているから》という理由で、先輩にこの余興への参加を辞退させられた。
先輩が黒い《光壁》を張る。
お姉ちゃんと佐々木君兄妹がそれぞれ本気の魔法攻撃を先輩に向かって浴びせるが、先輩の《光壁》はびくともしない。それどころか、《光壁》は少しずつわたしたちの方へ向かって前進してきている。
結局、お姉ちゃんたちの攻撃は数十秒と続かなかった。こっちは全員が肩で息をしているのに、先輩はまだまだ涼しい顔をしている。……その時。
「お兄ちゃん!?」
どこか怯えの滲む叫び声を、朋美ちゃんがあげた。……佐々木君が床に倒れていた。慌ててわたしが駆け寄ろうとすると、
「心配要らないわ。魔力の使いすぎで立てなくなっただけよ」
と、先輩がわたしを手で制し、佐々木君を抱き上げる。……お姫様抱っこで。
「た、竜之宮さん……!?」
「佐々木。あんたと薬袋はほかのみんなと違って、練習で魔法を使えるようになった訳じゃないわ。力加減が分かるようになるまで、魔力の使いすぎに気をつけなさい」
「は、はい……!」
……いらっ。
さっきから、佐々木君に何かがあるたびに……佐々木君が倒れた時、由美先輩にお姫様抱っこされた時、その状態での先輩とのやり取りの時……言いようのない苛立ちを覚える。
「唯。それから、佐々木の……」
「あ、名前で呼んでくれていいですよ」
「じゃあ、朋美。2人で肩貸してあげて」
先輩はそう言ってわたしと朋美ちゃんに……え?
「わ……っとと!」
わたしと朋美ちゃんとで、佐々木君の両脇を支える体勢になる。
「ごめんね、朋美、緒方さん」
「もう、お兄ちゃんったら無茶しすぎ!」
朋美ちゃんの声には、無茶をした兄を諫める、だけではない、別の感情が込められているように聞こえた。……いや。父親を亡くして、《年上の男の家族》である兄のことを普段以上に心配しているだけだろう。
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19:20
会議室から校長室へ戻る途中、廊下を歩きながら、お姉ちゃんが先輩に言った。
「それで、竜之宮。あんたの力はさっき見せてもらったけど、ほかの質問にはいつ答えてくれるの?」
「校長室へ戻ったら分かるわ」
「校長室? なんでわざわざそんな……」
「いいからいいから」
先輩にそう返され、不満げなお姉ちゃんの顔は、校長室に入ったところで驚愕に固まった。室内に校長先生とフォスティアさん、そして、由美先輩が居たからだ。
目をこすって双方を見比べる、という動作を、わたしは生まれて初めて目にした。
わたしたちと同行している由美先輩と、校長室に居る由美先輩。どっちが本体でどっちが分体なのかはわたしにも分からないが、2人の由美先輩を、お姉ちゃんは夢か幻でも見るかのように、交互に見比べていた。佐々木君兄妹も似たような反応を見せていた。
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20:00 校長室
校長室のソファで落ち着いた頃、先輩は分体のことと、ついでに転移のことも、お姉ちゃんたちに実演を交えて説明した。
その後、先輩の体の1つは、再び転移でどこかへ行った。たぶん、《手駒》の増産だろう。
「……なるほど。体が2つあって、どこでも瞬間移動できるから、大学をサボらなくても魔物共と戦えるってか」
お姉ちゃんは、ちょっと嫉妬のこもった目で言った。
「ええ。でも、明日は、わたしの本体も分体も、聖桜には来れないわ」
「な……なんでよ?」
「今回の襲撃の元凶……異世界の魔王軍を分体で叩きに行って、本体は大学に行かなきゃならないからよ。聖桜に来れるのは、授業が全部終わってからね」
先輩がそれを言い終えたところで、お姉ちゃんは先輩に掴みかかった。
「おい、竜之宮! こんな時くらい大学なんかサボって、この町──」
「お姉ちゃん!」
わたしは思わず立ち上がっていた。
「な……何よ、唯」
「先輩の体が2つあること自体が、本当なら《あり得ないこと》なのよ。今こうやって、わたしたちに協力してくれてるだけでもありがたいじゃない! それに──」
襲撃してくる大元を叩かなければ、わたしたちはジリ貧だ。もし、先輩の体が1つだったとしたら、その大元を叩きに行ってくれている間、聖桜はわたしたちだけで守らなければならない。
本来はそうなるはずだったのだ。いや、もしかしたら、先輩は大学生活と身内の護衛だけで手一杯で、わたしたちのことまで気に掛ける余裕は無かったかもしれない。
「──先輩の体が2つあることに甘えすぎちゃ駄目よ」
わたしの言葉に、お姉ちゃんは何も言い返さなかった。
……偉そうなことを言ったが、わたしも、心のどこかでは、お姉ちゃんが言ったようなことを望んでいた。それが、情けない。
明日は、わたしたちだけの戦いだ。




