8 人生の分岐点
橘海亜の視点。
※第1章《26 竜に家臣ができました》で、由美が唯を女子便所に連れ込んで虐めていた、と、嘘の証言をした女子生徒。
9月2日(月) 朝 外回りの営業中
今日はホントついてない。いや、それを言うなら、高2の時からずっとか。アイツに関わってからというもの、あたしの人生狂いっぱなしだ。
当時、《暴君》なんて呼ばれて、女子のどのグループからも嫌われていた女。だというのに、アイツには男女問わず少なくない友達が居て、決してぼっちなんかじゃなかった。
グループからハブられないために必死で《いい顔》をしなきゃいけなかったあたしが、まるで滑稽にさえ見えてくる。
自分の素を出していられるアイツが羨ましくて……憎かった。
「走れ、橘!」
あたしの前を走る先輩の男性社員が、そんなことを叫ぶ。
高校を卒業した後、あたしは地元の小さな企業に営業職で就職できた。その職場の先輩と、外回りをしている最中。あたしたちは、訳の分からない化物共に襲われた。
あたしは、先輩の後を追うように、勝手知ったる裏路地を駆け抜ける。
本当なら、あたしは大学に行けるはずだった。まあ、それも女子のグループで鍛えられた外面の良さのおかけなんだけど。
でも、アイツをはめようとして失敗した件をきっかけに、あたしは、グループでの居場所を無くした。そして、あたしがアイツにしようとしていたのと同じやり方で別の女子にはめられ、内申点を大きく落とすことになった。
外面だけを取り繕うことに終始してきたあたしに、それを挽回することはできなかった。
まあ、そのおかげで、グループのほかの女共が大学で遊んでいる今頃、あたしは一足先に給料を得る生活ができている訳ではあるんだけど。
そう思うと、あの時、アイツをはめるのに失敗していたのは、それはそれで良かったような気もしてくる。それでも、今でもアイツのことは、たぶん、憎い。
次の角を抜ければ広い道に出る。そんな時、前を走っていた先輩の体が、急に弾けた。
「……え?」
あたしは思わず立ち止まり、呆けた顔でその光景を眺めていた。まるで風船が破裂するかのように、先輩は赤いものを撒き散らしながら、ただの塊へと変わり果てた。その向こうには、化物の姿が見える。
「あ……あ、ぁ……!」
あたしは尻餅をついた。そのままずりずりと後ずさる。走って逃げようという考えは出てこない。そして……
悲鳴をあげる間も無く、あたしの体は、化物の鋭い爪で引き裂かれた。
●
ここはどこだろう。……認めたくないけど、あたしは、あの化物に殺されたはずよね。それとも、まさか奇跡的に一命を取り留めていて、今は病院のベッドで眠っているとか?
それなら、今は夢を見てるってこと?
「いいえ。残念だけど、あなたはあの化物に殺されたのよ」
突然、女性の声が聞こえてきた。どこからかは、分からない。というか、そもそも自分の体があるのかさえ認識できない。
「あ、あなたは誰!? それに、ここはどこなの!?」
自分の体が認識できないのに、叫ぶことはできる。どうにも変な感じがする。それはともかく。
そうやってあたしが叫ぶと、目の前に1人の女性が姿を現した。……ゲームとかはあまり詳しくないけど、転移? とかいうやつ?
「橘海亜さん。ようこそ、管理者領域へ。わたしは管理者イアス・ラクア。世界の全てを管理する、まあ、神様みたいなものだと思っておいてもらえればいいわ」
なんだか胡散臭いことを言い始めた。
「信じる信じないはあなたの勝手だけど、それなら、死んだのに意識があるのはどう説明するつもりかしら?」
「って、心ん中読むんじゃないわよ!」
あたしは思わず言い返した。……というか、心を読まれるってことは、こいつは本当にカミサマだってこと、信じてもいいのかな。
あたしは、もう少し聞いてみることにした。
「……で? あんたが本当にカミサマだったとして、みじめな高校生活を送ったあげくロクな会社に就職できなかったあたしに、いったい何の用があるというの?」
今の会社に不満がある訳じゃない。それでも、もっと真面目な高校生活を送っていれば、いわゆる大企業に就職できたかも、という思いが、どこかあたしを卑屈にさせている。
「羨望と憎悪……あなたが抱いている、ちょっと面白い感情が気になったからね。あなたの魂を転生させる前に、何か希望があれば聞いてあげようと思って」
「──っ!?」
あたしは思わず体を強張らせ……って、その体があるかどうかが分からないんだけど、とにかく、そんな感じになった。
「ああ、そうそう。当然、願いを叶えるには代償を払ってもらうわよ」
カミサマはそう言った。やっぱり、おいしい話はタダじゃないか。……というか、さっきから、こいつと話してると妙にアイツのことが頭に浮かぶ。カミサマなんだから性別は関係無いはずなのに、喋り方なんかいかにも《女の子》って感じだし。
まあいいや。
さっき、このカミサマは転生がどうとか言っていた。何それ、ゲームみたいな転生特典とかいうやつ?
「まあ、そんなところね」
「だから心ん中読むんじゃねえよ!」
と、とにかく。こいつは、《あなたの魂を転生させる前に》と言った。ということは、あたしはもう死んでいて、助かる見込みは……《橘海亜》として、また元の人生に戻れる可能性は無い、ってことだ。
「……それじゃあ、願いを言う前にまず教えてくれる? あたしは、何に転生させられるのかしら」
あたしはそのことを聞いた。転生先を知ることも願いの1つに数える、とか言われるかな、とも思ったけど、幸い、カミサマはそこは答えてくれた。
「異世界の……あなたたちが《剣と魔法の世界》と呼んでいる世界の、とある国の貴族。その息子よ」
へえ、つまりゲームの中みたいな世界ってことか。……って、おい!
「今、息子って……!」
「ええ、言ったわよ」
「いや、だから。見てのとおりあたしは女で……!」
「《前世の体》はね。魂に性別の違いなんて無いわ」
カミサマはさらりと言った。……ちょっと待て。
魂に性別は無いというのなら、その発言をした張本人、カミサマ自身はどうなるのか。……なんてことを思っていたら、目の前の《女性》がいきなり《男性》に変身した。
「見た目だけでも、異性と話すより同性と話すほうが落ち着くだろう?」
男性は渋い声でそう言った。そして、さっきまでの姿に戻る。
なるほど、そういうことね。
さて、転生に際しての願い、か。ありがちなのは《前世の記憶を持ったまま転生》よね。……こんな記憶なんか捨てて、いっそ新たな命として生き直したいとも思うけど。まあ、そこはカミサマの判断に任せるとして。
どうせ剣と魔法の世界に生まれ変われるのなら、類稀な魔法の才能とか欲しいわよね。というか、この際魔法だけじゃなくて剣術とか、あらゆる才能に恵まれてれば、次の人生楽できそうじゃない?
あたしがそんなことを考えていると、カミサマが確認をしてくるようにあたしに言った。
「それじゃあ、あなたは来世、全ての能力が成長限界に達した状態で生を受けたい。ってことでいいのかしら?」
「成長限界?」
「あらゆる生命は、魂の規模を上限として、それ以上成長できない……つまり、魔力にしろ肉体的な力にしろ、それ以上強くなれない点があるわ。経験によって得る知識は別だけどね。ゲーム風に言えば、あなたは来世、スキルは何も取得してないけど、ステータスだけはカンストして生まれることができる、ってことよ」
たぶん、あたしに分かりやすく説明するためなんだろうけど、ゲーム風に説明してくれるカミサマっていうのも、なんだか違和感があるわね。……でも、そのおかげでなんとなく理解できた。
「……それで、その代償は?」
あたしは聞いた。
「前世の記憶を持って転生すること」
カミサマは答えた。……え?
「ちょ……! それって転生特典の1つじゃ……!?」
「前世の経験を生かして幼少期からうまく立ち回りたい、って人には、そうでしょうね。でも、あなたの場合はそうとも言えないんじゃない?」
「っ……!」
図星だった。
あたしは、アイツのおかげで、虐められる側の気持ちに気づくことができた。でも、アイツのせいで、高校生活の残り半分は悲惨なものになった。良くも悪くも、高校生活という人生の分岐点に、アイツが大きく関わっている。
そんなあれやこれやを全部忘れて、また1から人生を仕切り直したいという気持ちは、確かにある。……なるほど。前世の記憶を引き継ぐのが代償、か。
「分かったわ。その代償、受け入れようじゃない」
こうして、あたしは、レギウス王国という国の、とある貴族の長男として生まれ変わることになった。




