6 ある意味日常の危機?
6月21日(火) 昼過ぎ レディクラムの町の酒場
わたしが灰の者だということをデイラムさんに説明し、その証明のためと、お母さんにも事情を説明するために、またお母さんにこっちへ来てもらった。その際、カインが提案したアールディア地下組織壊滅作戦に参加するであろう酒場の常連客たちにもわたしのことを知っておいてもらうため、転移は店内で行った。お母さんを連れて再びこっちへ戻ってきた時、店内はどよめきに包まれていた。
『おお……まさか本当におまえが灰の者だったとはな』
半信半疑の様子だったデイラムさんが、改めて感嘆の声を出す。デイラムさんには、改めてわたしの本当の素性を説明しておいた。
『まあまあどうも、うちの娘がお世話になってますー』
『お、おぉ……世話っつっても、あんたの娘とはついさっき顔を合わせたばっかだがな』
日本人的応対をするお母さんと、それに慣れていないであろうデイラムさんとの、どこか場違いな感じさえ漂ってくる挨拶。……ていうか、こっちの言葉で「お世話になってます」なんていう日本語独特の言い回しを再現してしまうお母さんに驚きだけど。
ひととおりの顔合わせが済んだ後、壊滅作戦の説明の前に、わたしとお母さんの実力を酒場のみんなに見せることになった。
酒場を臨時休業にして、町の中心部にある中央広場へ移動。
カインは、この町の冒険者ギルドは精鋭揃いだと言っていたが、デイラムさんや他の常連たちによると、その精鋭たちの中でもカインは頭1つ抜け出しているらしい。……そのカインが、この間の襲撃者には1人では勝てなかったと自己分析したのは、些か怖い話だが。
まあ、それでも今回の壊滅作戦を立案したということは、何らかの策はあると見ていいのか。
『それじゃあ、まずは俺が姉ちゃんの相手をさせてもらおうかな、っと』
そう言ったのはゴルテンさん。わたしにお酒を奢ってくれたフサフサのおっちゃんだ。使う武器は、カインと同じ長剣。
外野から『いきなりおまえかよー』だの『さすがにあの姉ちゃんがかわいそうなんじゃねーの?』だのといったヤジが飛ぶ。
『どういうこと?』
わたしがゴルテンさんに聞くと。
『ああ。まー一応な、デイラムんとこの酒場じゃあ、カインに次いで俺が第2位に座らせてもらってるんだ』
ゴルテンさんはちょっと自慢するように答えた。その言葉はごく普通に受け答えしただけのように見える。何も、わたしを脅かそうなどといった意思は感じない。だというのに。
『……へえ。なかなかいい顔するじゃねえか、姉ちゃん』
すっ、と、ゴルテンさんが目を細める。そして『使いな』と、鞘に収められた1本の剣を、わたしに投げて寄越した。
今まで、わたしは武器を使ったことは殆ど無い。が、それは今まで相手にしてきたのが自分よりはるかに弱いただの不良などだったからというだけの話で、同等のレベルの相手に丸腰で勝てるかといえば、おそらく無理だ。
一応、お母さんに武器を使った戦い方も教わってはいるし、昨日の黒ずくめとの戦いでも相手の武器を奪って牽制程度には使えていたので、今回は自分の力量を計るためにも、あえて剣を使ってみようと思う。
ゴルテンさんは剣を抜いた後の鞘をやや乱暴に地面に投げ捨てた。それなら、と、わたしも真似して鞘を投げ、それが地面に落ちたのを合図に勝負が始まった。……あ、そういえばわたし防具着けてないけど……ま、いいか。
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『これで終わり。わたしの勝ちよ』
ゴルテンさんを地面に仰向けに組み伏せ、その眼前にかざした手のひらに覚えたばかりのゼルク・メリスの魔法で小さな火の玉を出して、わたしは勝利を宣言した。
『……ま、参った』
ゴルテンさんの言葉に遅れること一瞬、外野から喚声が上がる。
わたしの勝ちは勝ちなのだが、かなりの接戦ではあった。かわしきれなかったゴルテンさんの攻撃で服が切れ、漫画だったら危うくR18指定されかねない事態になるところだった。まあ、この場に居るみんなには『着替えてくる』と言って次元の狭間経由で帰宅、《変成》で服を直して戻ってきたから問題は無い。……というか、ゴルテンさんも、最初は割と手加減してくれていたようで、剣先がわたしの服をかすめるなんてことも無かった。けど、途中からなんか本気の目になってきて、結果こんなことになってしまったんだよね。
で、剣を使ってみた感想は、正直微妙。ゴルテンさんとの勝負でも結局牽制程度にしか使わなかったし、最後の勝利宣言の時なんて完全に剣を放り出していた。まあ、言い換えれば、それは同レベルの相手にもわたしは格闘で十分渡り合える、ということか。
さっきまで格闘技の試合を観戦するかのような勢いではしゃいでいた外野のみなさんは、一転、今は静まりかえっていた。そりゃ実力ナンバー2がいきなり敗れればそれも仕方ないか。
『さて……それじゃ次はお母さんとカイン、いっとく?』
このままではなんだか場が白けてしまいそうだったので、わたしはちょっと明るめの声を作ってそう言った。
『あら、いいわね、それ』
『……え?』
こうして、けっこう乗り気なお母さんと、まさか話を振られるとは思っていなかったらしいカインとの勝負が始まった。……うん、自分から振っといてなんだけど、わたしより背の高いお母さんと、たぶん日本の成人女性の平均よりちょっと高いくらいのカイン、並んだらまるで大人と中学生だ。
結果は、接戦を制してカインの勝利。ただ、後で2人に聞いてみたら、
『もう20年以上戦いとは無縁の生活だったからねー、やっぱり体がなまってたわ』
『勝負だから勝てたようなものだよ。敵として戦ってたら負けてたかもしれない。あれで全盛じゃないなんて、本当に怖いよ』
だそうだ。魔法剣士として現役のカインにそこまで言わせるなんて、お母さんいったい何者?
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店内に戻って作戦の概要説明が行われた。といっても、それは実に簡潔明瞭なもので、アールディア地下組織本部に突入して首領を叩く少数精鋭の本隊と、本隊が組織本部に突入しやすい状況を作るため、周辺の雑魚掃除や各地の支部の制圧を行う部隊、そして、デイラムさんや各冒険者ギルドの長に同行して関係各所との交渉、もしくは圧力をかける部隊とに分かれる、というだけのもの。
そこまで説明したところで、デイラムさんは1度大きく息を吐く。
『で、だ。これが1番難しいとこなんだが、突入部隊の先陣を、俺はクラウスさんに依頼しようと思ってる。レギウスで《伝説の傭兵》とまで言われたあの人なら、たぶん地下組織の首領を叩けるはずだ』
その言葉に、店内がざわつく。クラウス、わたしの伯父で、カインのお父さんだ。まさかそんなすごい人だとは思わなかったけど。
『でもよ、おやっさん』
デイラムさんの意見にハゲオヤジが待ったをかける。わたしがこの酒場に来た時に酔って絡んできた人だ。
『こっからあの人の故郷までっつうと、角熊を飛ばしても半月はかかるぞ。角熊の体力も考えると、どう頑張っても1月は見といたほうがいい』
酔ってるとは思えない、しっかりした受け答え。酔うのも早いが覚めるのも早い人なんだろうか。そして、カウンター席を立ち上がりかけていたカインが座り直したのが、わたしの視界の端に映る。たぶん、同じような理由で、カインもクラウスさんに依頼するのは反対だったのだろう。
『ああ、そこだ。往復を考えるとどうしても2ヶ月かかっちまう。カインと由美にかけられてるやつらの監視魔法がここまで届いてるかは分からんが、できれば1ヶ月以内には行動を始めたい』
『……って、兄さんに伝えといたから。明後日以降ならいつでも出発できるって言ってたわよ』
『……………は?』
いきなりといえばいきなりなお母さんの発言に、デイラムさん含め酒場のみなさんがフリーズする。……仕方ない、補足してあげるか。
『言うのを忘れてたけど、お母さん、クラウスさんの妹なのよ。お互いに通信魔法が使えるみたいだから、たぶん、伝説の傭兵、のあたりから、わたしたちの会話を全部中継してたんじゃないかな。……ああ、それと。こっちから迎えに行くのにカインを連れてってくれれば、わたしの転移ですぐ連れ戻せるから、合流ししだいすぐに戻ってこれるわよ』
まあ、実際のところは別にカインでなくても、《わたしの知ってる人》、つまりこの酒場のメンバーなら誰でもいいのだが。実の息子が直接迎えに行ったほうが話もしやすいだろう。わたしはそのことと、知っている人が居る所か知っている場所でないと転移できないため、わたしが直接迎えに行くことはできないこともデイラムさんたちに説明した。
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6月22日(水) 放課後の教室
「京、一緒に帰ろう」
帰り支度を済ませて、京を誘う。
「え? いいけど、今日はあっちはいいの?」
「うん、しばらく動きは無いからね」
不思議そうな顔の京に、わたしはそれだけ答えた。デイラムさんの話では、クラウスさんを迎えに行くのに片道で1月。お母さんが通信魔法でクラウスさんに事情を説明してくれて、クラウスさんも明日には出発してくれるとのことだから、合流はもう少し早くて2週間から20日後くらいか。
ゼルク・メリス側の状況は、少なくともわたしとしては、迎えに行ったカインとクラウスさんが合流するまで動きようが無い。そして、こっち側の問題、異世界研究所に対しては、お父さんに聞いたら「話くらいなら聞いてもいいだろう」と返されたので、山田さんには次の日曜日にわたしから出向くことを伝えた。これにはお母さんも同行する予定だ。
それと、1つ京に言っておくべきことがある。
「ああ、そうそう、こ──」
「あー、なになに? 何の話ー?」
興味津々といった口調でわたしたちの会話に入ってきたのは、恭子。わたしや京と同じく帰宅部なのだが、帰る方向が違うので一緒に帰ったことは無い。
……そういえば。何かとグループを作る女子の中にあって、帰宅部である恭子や京がいじめの対象になっていないのは、どうもわたしと仲が良いから、らしい。よくは分からないが、去年、恭子のクラスでリーダー格だった女子が、恭子に嫌がらせをしようと、男子の中でも特に力の強い元不良に相談したらしい。そうしたら、その男子が自らわたしに《報告》してきた。
※ ※ ※
「あなたのツレに手を出そうとしてた命知らずな女子が居たんで、やめろ、って釘を刺しておきました」
と。そいつは、中学の時にわたしが潰した不良グループのメンバーだった。で、いったいどんな釘の刺し方をしたのか、それ以来、クラス内での最大派閥とか、規模は小さくても目立ちたがりなグループとかからは、わたしたちはあからさまに避けられるようになった。まあ、それはそれで面倒事が自分から遠ざかってくれる訳で、これといって困りはしないんだけど。
……っと、それはいい。
※ ※ ※
恭子を、まあ京もそうだが、わたしの問題に巻き込む訳にはいかない。京はある程度事情を知っているからいいものの、恭子には1から事情を説明しなければならないし、説明したとして、素直に受け入れてもらえるだろうか。そんなことを考えていると、京が助け船を出してくれた。
「今、由美はちょっとした……うーん、問題、っていうのかな。とにかく、そういうのを抱えてるから、その話だよ」
「えー、大変だね。わたしで良ければ相談に乗るよ?」
「ごめんね、これは由美の家庭の事情だから、あたしたちが変に首を突っ込まないほうがいいと思うんだ」
「ふーん。……分かった。でも、あんまり無理はしないでね」
わたしの方に向いて言う恭子。
「え、ええ……ありがとう、心配してくれて」
じゃあねー、と手を振りながら、恭子は教室から出ていった。
……おい、京。と、わたしは京に突っ込みを入れそうになったが、ふと思う。
アールディアの地下組織に狙われてるカイン、クラウスさんの息子。
カインの父親クラウスさん、わたしの伯父。
……うん。わたしの家庭の事情でも、あながち間違いではないわね。
「ごめんね、由美。家庭の事情だなんて嘘ついて」
「あー……いや。実は全くの嘘、っていう訳でもなかったりするのよねー、実は」
「……?」
「まあ、その話はどこか人の居ない所で、ね」
●
という訳で、わたしは京を学校の屋上へ連れ出した。普段は屋上へ出る扉には鍵がかかっていて、生徒の出入りなんてもちろんできる訳が無い。わたしは、京と連れ立って便所へ──トイレとかお手洗いではなく便所だ──行く風を装い、個室から次元の狭間経由で屋上へ転移した。
地上からも出入り口からも死角となる、貯水槽の陰で話をする。
「屋上で密会だなんて恋愛ゲームみたいだね、由美」
なんだかワクワクしている様子の京。
「恋愛ゲームって……あんたはわたしとそういうコトをしたいのか?」
呆れて思わず突っ込んだ言葉に、京は一瞬間を置き、
「ゆ……由美となら、嫌じゃない、かも……」
と、視線を逸しつつ頬を赤らめながら……って、ぅをぃ!
「ご、ごごごごめんね、変なことを言って!」
慌てて顔の前で両手をばばばばっと振る京。いつもの底抜けに明るい調子で言っていたのなら、わたしも「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」とか適当に返すこともできたのだが。……この様子だと、さっきのは冗談……には見えなかったわね。
「……はー」
わたしは片手で顔を覆いながら、大きな溜息をついた。
こんな経験は、実は初めてではない。恋愛がどうのなどと意識し始める中学からを正式な回数と数えるなら、既に1回ある。2回目が無いことを祈りつつ、それでも来たらどうしようかなーなどとは思っていたが、まさかその2回目が京から来るとは思わなかった。
初めて同性から告白されたのは中学の時、当時所属していた化学部の後輩からだった。彼女とはそれなりに話もしていたし、仲が悪いほうではなかったと思う。でも、
「ほ、ほんとにごめんね。由美には純君が居るんだもんね。あ、あたしは、その……」
京と、もう1人のわたしの幼馴染み、岡純。ぶっちゃけて言えば、わたしと純はできている。それはもう、同級生たちから《熟年夫婦》とからかわれるほどに。だから、件の後輩からの告白も断ったのだが……それ以降、彼女はわたしを避けるようになった。
告白して振られた相手と、以前と同じように接するのがどことなく気まずいのは、まあ、なんとなくは分かる。分かるのだが……!
「あ、あの……由美?」
わたしは、京を大事な親友だと思っている。京と、そんな気まずい関係になりたくはない。
だから、その一言を言うのは、ものすごく……怖かった。
「……ごめん、京。今までどおり、親友のままで居よう」
登場人物紹介 5
デイラム・ディストルヴ 性別:男
誕生日:9月29日 本編開始時の年齢:44歳
身長:170.9cm 体重:72.0kg
100m走:10.41秒
握力 右:60kg 左:60kg
ビザイン共和国レディクラムの町の冒険者ギルドの長で、酒場の店主。荒々しい常連たちに舐められないようにするために自身も荒っぽい男を演じているが、根っこは優しいダンディなおっちゃん。